第758話 月夜の散歩

 レオラが消え、ようやく空気が和らぐ。空はまだ夜闇に覆われ、朝が来るまでにはもう少し時間がかかりそうだ。

「こっちです」

「流石に眠い……」

「ほら歩け、ユーギ」

「今ここで寝たら、放置するからな。ユーギ」

「酷いなぁ、克臣さん」

「ふふ。大丈夫だよ、ユキ。あんなこと言っているけれど、克臣は絶対に放置はしない。おぶってでも連れて帰るから」

「聞こえてんぞ、ジェイス」

 それから春直たち年少組を先頭にして、みんなでリドアスへと帰ることになった。玲遠たち三人を道案内する仲間たちを眺めていたリンは、その場にしゃがんで目の前の少女に手を差し出す。

「立てるか、晶穂?」

「あ、安心したら力抜けちゃった……。もう少ししたら立ち上がれると思うから、先に行っててくれても良いよ」

「置いて行くわけないだろ」

 肩を竦め、リンは立ち上がると先を行くユキに声をかけた。

「ユキ!」

「何、兄さん?」

「先に帰って寝ててくれ。俺たちは後で追いかける」

「先にって……ああ、成程」

 一瞬迷ったユキだが、リンの言葉の意味を理解して「わかった」と手を振った。

「早く帰って来てよね。兄さんだって疲れてるんだから!」

「ああ」

 ユキだけでなく、何となく何かを察した仲間たちが笑顔で先へ行く。妙な勘違いをされている気がしながらも、リンはそれを考えることをせずに晶穂の隣に腰を下ろした。

「あの、リン?」

「ゆっくりで良いよ。俺も、正直すぐに歩くのはちょっとな」

 そう言って、リンは微苦笑を浮かべた。晶穂が負い目を感じないようにという配慮もあるが、同時に少し休んでいきたかったのも事実だ。

「……座り込んだら、寝ちゃうかもよ?」

「その時は晶穂が起こしてくれると有難い。……そうだ、晶穂」

「ん?」

 リンが隣で首を傾げる晶穂の頬に指をあてると、晶穂はぴくりと反応して頬を赤らめた。おずおずと手を伸ばし、彼女はリンの手に自分の手を添わせる。

「――っ」

 まさか晶穂の手に触れることになるとは思っておらず、リンは咄嗟に手を引きかけた。しかしそれは耐え、不意に気付いた自分の心臓の音の大きさに赤面する。

「あ、の……晶穂?」

「リンの手、あったかい。よかった、みんな無事で」

「晶穂……」

 それは、心からの安堵の笑みだ。小さな花が開くように微笑む晶穂の頬に触れ、リンは「そうだな」と同意した。手を離し、空を見上げる。暗闇に数え切れない数の星が輝いているのが見える。

「朝になったら、美里に協力を仰がないとな。そして天也たちを向こうに戻したら、ようやくこの戦いも一区切りつく」

「うん。……そろそろ行こう。わたしも、もう大丈夫だから」

 寝る時間が無くなっちゃう。晶穂が立ち上がろうとした瞬間、ぐいっと引っ張られた。抵抗する間もなく、晶穂の体はリンの腕の中にすっぽりと納まってしまう。

 突然リンに抱き締められ、晶穂は耳まで真っ赤にして硬直した。

「あ、あのっ! リン、どうし……」

「晶穂」

「は、はい」

 真剣な瞳で、リンは晶穂を見つめる。美しい赤色の瞳に至近距離で射抜かれ、晶穂は目を逸らせなくなった。

(鮮やかで深い、深紅の瞳。吸い込まれてしまいそう……)

 何度も見つめ合った経験があるにもかかわらず、晶穂は何度目でもリンの瞳に見惚れる。大きく拍動する胸の奥が痛くなる程、目を離せない。

 それはリンもまた同じだ。晶穂の瞳に宿る淡い青色の光が、彼を魅了する。

 ごく自然に互いの目に相手が映り込み、距離が近付く。我に返るのはほぼ同時だったが、先に口を開いたのはリンだった。

「……この件が落ち着いたら、俺と二人で出掛けないか?」

 リンの台詞に、晶穂はきょとんとした。徐々に言われた意味を理解し、林檎のように顔を真っ赤にして俯く。膝の上できゅっと手を握り締め、控えめに尋ねる。

「デートって思っても……良い?」

「……自分で言うのは恥ずいんだよ」

 晶穂につられ、リンもそっぽを向く。しかしその耳が赤いため、晶穂には緊張していることがバレバレだ。

「ふふ、楽しみにしてるね」

「――ああ」

 柔らかく微笑み、リンは立ち上がる。そして晶穂の手を掴んで引き上げ立たせると、そのままリドアスへ向かって歩き出した。

「り、リン。手、良いの……?」

「俺が繋いでいたいだけだから。……駄目か?」

 前を向いたまま、リンは尋ねる。

 リンの頭に幻の犬の耳が見えた気がして、晶穂は思わず「かわいい」と心の中で呟いた。勿論、リンに言えるはずもない。口に出したのは、全く別の本心だ。

「ううん。凄く、嬉しい」

「そっか」

 安堵し、リンはそのままリドアスへ向かって歩き続ける。二人の手が重なったところは熱を持ち、その熱さえも心地良いと思えた。

「……着いた」

「うん」

 黙ったまま歩き続け、二人はリドアスの玄関の前で立ち止まる。それからそっと静かに扉を開け、静まり返った廊下の途中で別れた。それぞれの部屋に帰るために。

 皆もう寝ているのだろう。何処からか、誰かの寝息が聞こえて来る。

「おやすみ、また朝に」

「おやすみなさい」

 名残惜しげに手を離し、二人はそれぞれの部屋へと戻る。

「……眠い」

 先程まで緊張で目が冴えていたが、リンはベッドに横たわるとすぐに眠ってしまった。晶穂も、そして仲間たちも同じようなものである。

 そして、ゆっくりと朝が訪れた。

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