第744話 橙の理由
くすぶっていた黒い竜巻がその風を解き、内側から黒く輝く闇の珠を弾かせる。浮き上がった珠はリンの目の前で止まり、人の姿へと変化した。
「お前が荒魂か」
「何、あれ……」
ユキがぽつりと呟く。その疑問に答えたのは、その謎の存在自身だった。
「人間、我を引きずり出したことは褒めてやろう」
ククッと半透明の男が嗤う。
その姿形はレオラにそっくりだが、まとう空気感が全く違う。レオラは髪も瞳も白銀だったが、こちらの荒魂は炭よりも黒い。まさに漆黒というべき髪と瞳の色を宿している。
その闇の瞳の向きがリンを、そして彼の隣のユキ、更に晶穂へと移動する。晶穂はようやく呼吸の落ち着いた玲遠を守ろうと、わずかに腰を浮かせた。
晶穂を含め、リンもユキも荒魂を見つめている。その一挙手一投足を注視し、動きがあればすぐに動く気でいた。
そんな人間たちを見回して、荒魂は肩を竦める。
「お前たちは忘れているのではないか? 我が身は三つに分かれている。例えこの我を倒したとて、別の我がお前たちを容易く滅ぼす」
「俺たちこそ、簡単に倒されない。お前などに、奪われない」
「――ならば、和魂を認めさせたその力で、我をねじ伏せてみよ」
丁度、
一方その頃、橙と向き合うジェイスたち。橙をジェイスの創る気の壁で創る箱に閉じ込めるため、唯文とユーギは橙の気を自分たちに集中させるべく動いていた。
「――っ、ちょこまかと!」
苛立った橙が、マグマのようにどろどろと動く炎をユーギに向かわせる。炎は石の壁を垂直に上り、石を燃やしながらユーギに近付く。
ユーギはその身軽さを活かし、ひょいひょいと自分を燃やそうと襲い掛かって来る火を躱す。躱しながら、少しずつ移動する。
(このあたりはまだまだ住宅地だ。もう少し暴れやすいところに)
唯文もユーギがやろうとしていることを察し、的確に橙を煽る。いつもは作ることもない、人を舐めた表情で笑う。
「お前の炎は……荒魂から貰った力はそんなもんかよ。全然当たんねぇじゃん」
「くっ……! 馬鹿にして!」
ゴッと炎が勢いを増し、橙の顔を赤く染める。彼女自身と共に溶岩のように移動する炎は、唯文たちを呑み込む一歩手前まで接近した。
「……あいつ、あんな顔も出来るんだ」
ぼそりと呟いた天也の言葉に、ジェイスはあえて応じなかった。必要となれば、そう言うか思います出来るということだ。
まさに背後から襲いかかろうとした炎を前に、ユーギが唯文の腕を掴む。自分の方へ引っ張ることで、間一髪炎から唯文を守る。
「唯文兄!」
「うわっ!? ……助かったよ、ユーギ」
「無茶し過ぎだよ」
「二人共ね」
唯文とユーギの前、銀色が流れる。その正体を二人の頭が理解するよりも早く、ジェイスは自分の前に炎を遮断する壁を築く。
壁により、炎はそれ以上進めずに壁を押し倒そうとする。しかしジェイスがそれを許さず、炎の波は壁から二手に分かれて流れて行った。
「ジェイスさん……」
「ありがとう、ジェイスさん!」
「二人共無事だね? 炎が去ったら動……っ」
「ざんねーん」
ガキン、とジェイスと橙双方の持つ刃物が打ち合う。橙の持つ炎の剣は柄までもが燃えており、ジェイスの気のナイフを焦がそうとした。
しかし、ジェイスは刃が焦げ付く前に身を引く。橙は追ってきたが、ジェイスの壁に阻まれ足を止める。
「ちっ」
「橙、きみはまだやるのかい?」
「はぁ? 殺るに決まってる」
「くっ」
力の加減なく、橙が宙に浮いていたジェイスの壁を上に蹴り飛ばす。
「アタシは、この世界を支配して、アタシの存在を認めさせるんだから」
「……そうか、きみの根底にあるのは寂しさだ」
「――っ」
唐突に橙の動きが止まる。
ユーギと唯文は顔を見合わせ、ジェイスの背中を見上げた。ジェイスはといえば、その視線を感じながらも橙を見つめ続ける。
「どうにも引っ掛かっていたんだ。玲遠は異世界への異常な好奇心と才能、デニアは祖父の故郷への憧憬を感じた。けれど、きみは最もソディールに執着する理由が見えない」
「……めろっ」
「だから、何故だろうと考えていたんだ。それで、ふと思った。きみは元の世界で自分自身を初めて認めてくれた玲遠に、荒魂にすがったんじゃないかって」
「やめろっ」
悲鳴に近い声で、橙は懇願する。
しかしジェイスは、あえて止めない。彼女の中に潜む荒魂を引きずり出すために、これは必要だと感じたから。淡々と考えを口に出し続ける。
(かわいそうだが、見て見ぬふりはし続けられないから)
橙が頭を抱えてうずくまっている。彼女を包む黒い
「……きみもわかっているんじゃないのか? 荒魂が求めるのは、自分に都合の良い器だ。そこに、きみ自身が持っている価値は存在しない」
「やめ……ろ……」
「自分の価値を見失ったのなら、もう一度探せば良い。親を両方幼い頃に失ったわたしでも、こうやって仲間に出会えたのだから」
「――あんた、も?」
唖然と呟いた橙の目が、突然霞む。光を失い、力なく倒れ伏した。
「橙!」
ジェイスは橙を助け起こし、肩を揺する。しかし彼女は脱力して気を失ったまま、代わりに靄が言葉を発した。
『……全く、要らんことをしてくれるものよ』
「……荒魂か」
『その通り』
姿を現したのは、半透明の美青年だ。その髪と瞳が漆黒である以外は、レオラによく似ていた。
荒魂を前に、ジェイスは橙を抱き上げる。ユーギと唯文も前に出て、戦闘態勢を取った。
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