第742話 荒魂との対話

 ユキの氷の魔力で創り出した花から放たれるのは、絶対零度の冷気。全てを凍り付かせるその息吹であっても、神の荒魂が創り出す竜巻を完全に破壊することは出来ない。唯一、人一人が通り抜けられそうな穴を開けることには成功し、ユキは「兄さん!」とリンを呼んだ。

「ぼくには、これ以上穴を大きくすることは難しいと思う。これでも、兄さんの狙いは達成出来る……?」

「充分だ。そのまま、維持してくれ」

「わかった」

 兄に頷き返したユキは、全力で穴を開け続ける。竜巻の方も穴を閉じようとしているため、一進一退となっていく。

 そんな中、リンは呼吸を整えた。

「……行くぞ」

 穴からは、竜巻の内部の様子がわかる。力なく目を閉じ、浮かんでいる玲遠を目撃したリンは、彼を竜巻の中から引きずり出す方法を考えていた。うまくいけば、荒魂と玲遠を引き剝がすことが出来るかもしれない。

「晶穂は、ユキのフォローを頼む」

「わかった。……気を付けて」

「ああ」

 リンは軽く頷くと、漆黒の翼を広げた。風が吹き荒れる中で飛ぶことは容易ではないが、魔力を調節して目的の穴まで突進する。

「ちっ」

 風に煽られ、バランスを崩す。それでも穴の縁をかろうじて掴み、体を引っ張り上げた。

 縁はユキと荒魂の魔力がせめぎ合っている影響か、凪のように風がない。額のようだと思いながら、体を預けた。

「……よっと。いた」

 穴の縁に足をかけ、中に身を乗り出す。すると穴から体一つ分程下に、玲遠がいる。頭頂部しか見えないため表情はわからないが、棒立ちのような姿勢らしい。

「――っ、玲遠!」

「……」

「無視か、意識を失っているかだな。どちらにしろ、やることは変わらない」

 リンはちらりと外を見た。ユキと姿を探すと、すぐに目が合う。

「……」

「……」

 何か言葉を交わすわけではないが、それだけで兄弟は相手の意図を汲み取った。リンは穴の中に入ることを、ユキは兄が出て来るまで穴を開け続けることを。

 ユキは飛び込んだ兄を目で確認し、晶穂の袖を引いた。

「晶穂さん」

「うん、待っていよう」

「そのためにも、力を貸してね」

「任せて」

 晶穂とユキの手が重なり、手を通して魔力が増幅される。ユキは借りた魔力を、そのまま穴を維持するために流し込む。

 晶穂の魔力は誰かを助ける時に使う時、最もその力を発揮する。守りたい、助けたいという気持ちが強い程に力が大きくなるのだ。

(どうか、リンとユキの力になって!)

 ユキの創った氷の花の花弁が一重増える。大きくなった花からは、更に強い冷気が噴射されていく。わずかに竜巻の速度が弱まり、ユキは晶穂に助けられながら増幅された力を更に強める。

「凍ってしまえ!」

 それは、小さな氷の塊から始まる。小さな欠片は更なる冷気を受けて、その大きさを変えていく。少しずつ大きくなり、氷が穴のふちを額縁のようにする。

「――! これなら」

 ユキが徐々に荒魂を追い込んでいた時、リンはゆっくりと竜巻の中を降りて玲遠の前に立っていた。そうして今、玲遠の顔を真正面から見つめている。玲遠の目は固く閉じられ、顔色は青白い。

「おい、玲遠!」

「……」

「くそっ、無反応か」

 肩を掴んで揺さぶってみるか、反応はない。短い時間での急展開に頭がついて行かないが、リンは疑問を放置して今をどう解決するかに舵を切る。

(一先ず外に)

 翼に力を入れ、玲遠を担いで飛び立とうと試みた。しかし、うまく玲遠の体を引き寄せることが出来ない。何が引っかかっているのかと見れば、玲遠の両手首と足首に細い糸のようなものが絡み付いていた。

「切るしかないな」

 一言呟き、リンは狭い空間で剣を取り出す。万が一落ちないよう玲遠の体を左腕で支え、右手に持った剣を慎重に振り下ろした。

 しかし、糸は切れない。それどころか、何かが糸を守っているらしく弾かれた。

「……は?」

『それを切れば、お前の敵を再び野に放つことになるぞ』

「誰だ、お前?」

 それは、響く低い声だ。何処かで聞いたことのある声によく似ていたが、リンは咄嗟に思い出せない。竜巻の中にいるにもかかわらず、周囲の音はほとんどない。その中で頭に響く声に、リンはその声の主を言い当てた。

「荒魂だな。レオラの、その半身」

『その名を口にするな、汚らわしい!』

「くっ」

 ゴッと大きな風の音がして、リンは頬に痛みを感じた。剣を持ったまま指で触れてみると、赤いものが付着する。

 荒魂が風でリンの頬を切ったのだ。まだ浅い、そう判断して手の甲で拭い、リンは姿の見えない荒魂へと鋭い視線を向けた。

「何をする?」

『ここから出ろ。そして、我らを放置して生きろ。その方が、お前たちにとっても有意義だ』

「……玲遠は?」

『お前の敵だろう? 情けをかける必要などないはずだ。そいつのことは、我が有意義な使い方をしてやる。それを望んだのは、そいつ自信だ』

「……」

 淡々とした荒魂の声は、有無を言わさぬ威圧感を持っている。リンはその圧に呼吸のし難さを感じつつも、ゆっくりと自分の息の仕方を思い出しながら玲遠の体を自分に引き寄せた。

『……ほお』

「悪いが、助けを求める人を置いて行くことは、銀の華の矜持にもとる。お前が敵と語る玲遠は、今俺の目の前で気を失っているんだ。そんな奴に情けをかけるなというのは戯言だ」

『助けたところで、我が存在する限りそいつは諦めないかもしれんぞ。我の願いを叶えるために、いつまでもお前たちを追い続ける可能性すらある』

 リンの気持ちを揺るがそうと、荒魂は誘い続ける。しかし、リンは考えを覆そうとは一切しなかった。

「だとしても、俺は銀の華だ。――俺自身がやりたいから、玲遠を助ける。それだけだ」

 剣を弾こうとする荒魂の力は、一定ではない。リンはそれに気付き、弱まるわずかな時を見極めて腕に力を入れた。

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