第738話 神庭の愁い

 リンやジェイスたちが玲遠たちと対峙していた時、レオラは神庭の神木の前に立っていた。彼の表情は珍しく厳しく、ヴィルアルトと甘音は容易に声をかけられない。

「……やはり、我が荒魂が動き出したか」

 眠っていればよかったものを。そう呟いて、レオラは息をつく。

 彼にとって、荒魂が自分から離れるということは想定外の事態だ。この世界を創って以来、初めての経験で戸惑いが大きい。

 荒魂とは、レオラの半身にあたる。普段表に出ているレオラは和魂、眠っている半身が荒魂だ。荒魂はその名の通り、荒ぶり厄災を起こす神としての側面を凝縮した存在ともいう。

「さて、どう封じたものか」

「銀の華の皆のことが心配ですか?」

「……ヴィル。甘音もいたのか」

「いたよ、レオラさま」

 甘音の大きく丸い目がレオラをじっと見つめ、その小さな手がレオラの服を掴んでいる。

 その可愛らしい姫神の頭を撫で、レオラはふっと微笑んだ。

「荒魂がどうして目覚め、この身から離れて扉を開けさせてあいつらに協力しているのか……。どうすれば戻ってきて再び眠らせることが出来るのか、思い付かない」

「何度も時空にはゆがみが生じ、起こるべくして起こったものもありながら、起こる必要のなかったひずみもあります。それらの弱いところを突かれた、ということでしょうか」

「何をもって『今だ』と判断したのやら。……神である我を欺くとはね」

 面白いこともあるものだ。口ではそう言って笑いながらも、レオラの目は一切笑っていない。

「どうにかして、彼らの負担を減らしたいが……。和魂と荒魂が直接戦えば、間違いなく世界は崩壊する。それは避けなければ」

「……ねぇ、レオラさま。どうしたら荒魂を止められる?」

 甘音が首を傾げ、不安げに瞳を揺らす。彼女にとっても、リンたちは親しい友人たちだ。彼らが大変な思いをしていると知って、居ても立っても居られないのだろう。

 レオラは「心配だな」と甘音の髪を梳く。

「倒してしまえば楽だが、荒魂を殺すと和魂もこの世から消える。同時に世界は均衡を失い……」

 みなまで言わずとも、甘音とヴィルにはレオラが言おうとしていることがわかった。甘音がグッとレオラの袖を引き、言葉を止めさせる。

「それ以上は、だめ」

「ふふ。そうだな」

 しかし、このことはリンたちには伝えられていない。あいつらなら荒魂を殺すことはないだろうが、注意喚起はしておくべきだろう。

「甘音、頼めるか?」

「任せてください!」

 トンッと胸を叩き、甘音は水鏡のあるところまで駆けて行く。その小さな後ろ姿を見送って、レオラはぼそりと呟いた。

「……少し、あいつらに気持ちを傾け過ぎたか」

「確かに、創造の神である貴方が贔屓を作ることは褒められたことではないかもしれませんね」

「はっきり言うな、ヴィル」

「ふふ、ごめんなさい」

 眉間にしわを寄せるレオラに、ヴィルアルトは笑いながら謝る。それに「別に怒っていない」と返され、ヴィルアルトはわかっていますと示すために頷く。

「それでも……それだからこそ、わたくしは貴方が好きです。神にもお気に入りがあったって良いじゃありませんか。それくらいの方が、らしいですよ」

「……らしい、か。これも、あいつらの影響かな」

 別々の世界で生まれた者たちを出会わせたり、永遠の別れをさせずに選ばせたり。更には、姫神の護衛をさせたこともあった。一度宿命を狂わせてしまった責任を感じていることもあり、レオラは人のように銀の華のメンバーを見守っている。

「――我は、もう一人の我を封じる方法を探そう。それまでに、もしかしたらあいつらが方法を見つけ出してしまうかもしれないがな」

 レオラとヴィルアルトは微苦笑を交わし、通話を終えて戻って来る甘音に向かって手を振った。




 甘音からの連絡を受けたのは、克臣だった。

「――成程。甘音、荒魂を殺さず捕えろっていうのか?」

 少女の話を聞き、克臣は渋面のままで問いかける。甘音が教えてくれた話は、克臣たちにとって新情報だ。

 克臣の問いかけに、甘音は水鏡の向こう側で神妙に頷く。

『それが可能なら。だって、もしも荒魂を殺してしまったら……』

「……レオラも消える、か。創造の神が消えたら、この世界自体も形を保っていられるかわからないな」

『そう。わたしは姫神だから……レオラさまの代わりにはなれない』

 目を伏せ、甘音は「ごめんなさい」と呟く。それが誰に向かっての謝罪なのかは問わず、克臣は打って変わって柔らかい表情で笑ってみせた。

「任せろ、甘音。俺たちは、人を生かすことを第一にしている自警団だ。そう簡単に、殺すことを目的にはしないよ」

『うん、ありがとう。何かわかったら、こっちからもまた連絡するね』

「わかった」

 水鏡の通話を終え、克臣は終わるのを待っていた春直とジスターの方を振り返る。

「悪い、待たせたな」

「いいえ。甘音、元気そうでしたね」

「ああ」

 ぱたぱたと駆け寄って来た春直に頷き、克臣は「さて」と携帯端末をもてあそぶ。今聞いたことをリンやジェイスたちに早く知らせたいが、彼らの現状がわからない。

「あいつらに連絡すべきか否か」

「一応、このあたりの確認は終わりましたからね。扉はかなり広範囲に開いてしまっているようですが……」

 ジスターの言う通り、彼らもリンたちと同様にこじ開けられた扉の所在確認に追われていた。三人がいるのは、商店街や住宅地のように建物が密集した場所ではなく、まばらに住宅が建ち、他は田畑や林が広がる郊外。リドアスから最も近い区域である。

 住宅も空き家が半分ほどを占め、そういう家は確かめるのが容易だ。入って覗いてみれば良い。そうして数か所の扉を見付け、レンガを幾つか置いて重石とした。

 そこへ、広範囲を見に行っていた阿形と吽形が戻って来る。

「おかえり」

 ジスター周りをくるくると回る魔獣たちは、それぞれに主へ思念で報告する。言葉を交わせるわけではないが、意思の疎通にはこれで十分だ。

「克臣さん、この辺りにはオレたちが見付けた以上の扉はないようです」

「なら、移動するか。移動しながら、俺は二人に連絡を取るよ」

「わかりました」

「行きましょう」

 三人はアラストの中心部へ向かう道をたどる。そんな彼らの背中を、じっと見つめる一対の目があった。

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