第737話 黒の炎
「唯文、天也!」
「ジェイスさん!」
矢を放つとほぼ同時に、ジェイスは橙と唯文の間に滑り込む。矢が後から目の前に落ちて来て、橙はたたらを踏んで数歩退いた。
「二人共、怪我は?」
「俺は大丈夫です。でも、唯文が……」
「これくらい、かすり傷です。それより、橙の力が少しずつ上がっている気がします」
天也を制し、唯文は現状を報告する。
ジェイスから見れば、唯文は火傷やかすり傷、切り傷だらけで一旦休ませたい。しかし自分が傷付いた分、天也には傷を負わせていない。
(これは、褒めるべきか叱るべきか)
悩ましいところだと考えながら、ジェイスは思考の焦点をを唯文の「橙の力が少しずつ上がっている気がします」というところに当てた。ユキかジスターがここにいれば圧倒的に有利だったが、現実はそうはいかない。
「無視すんな!」
その間に自分を無視されたと考えた橙が、頬を膨らませて炎をまとった剣を一閃する。しかし放った炎の斬撃をジェイスに斬られ、更に不機嫌になった。
「むぅ。あんたたちが話してる間に、こっちを倒そうと思ってたのに!」
「残念だったね」
ユーギが橙の炎を躱し、一気に接近して彼女の足を払う。バランスを崩した所に、唯文が上段から和刀を振り下ろす。
「やぁっ!」
「くっ」
ガキンッと金属音が響く。唯文の和刀を細身の剣で受け止めた橙は、力いっぱい押さえつけてくる唯文を見上げ、ニッと笑った。
橙の顔を見て、唯文の背に悪寒が走る。
「何が、おかしい……?」
「おかしいでしょ。だって……アタシは炎の使い手だよ?」
「――っ!」
橙の全身から、黒い炎が沸き上がる。炎は刃物を通じて触れ合っている唯文にも及び、唯文は危険を察知して地面を蹴った。
「……危なかった」
「ざんねーん」
クスクス嗤う橙の瞳に、黒い影が見えた気がした。唯文は何度か瞬きを繰り返し、眉をひそめる。しかし、橙の瞳はもう元通りになっていた。
何かをじっと見つめる親友を不思議に思い、天也が唯文に声をかける。
「どうした、唯文?」
「今、橙の目の中に何か見えた気がしたんだ。黒い、靄のような」
「黒い? ……俺としては、彼女から噴き上がっている黒い炎の方が気になるんだけど。さっきまで、あんな色はしていなかっただろ?」
天也が指摘する通り、橙は今や、彼女の姿が良く見えないほど黒い炎に覆われている。炎というにはどろどろとしたそれを遠巻きに見ているが、これからどうすれば良いのかがわからない。
橙はそんな唯文たちを煽るように、クスクス嗤いながら手にした剣を大きく振ってみせる。剣には徐々に炎がまとわりつき、刃を黒く燃やし染めていく。
「ふふ……。この炎はね、荒魂様が授けて下さった炎の真の姿。普通の炎じゃ消されてしまうけれど、これには荒魂様の力も加わっているからとんでもなく消えにくいっていう特徴があるんだ」
凄いでしょうと橙は嗤う。徐々に、何かが変わっていく。
ジェイスは胸騒ぎを覚えながら、気の力で創り出した弓矢を構えた。あのまま黒い炎を放置していたら、周囲の家々にどんな被害が出るかわからない。ただ燃えるのか、別の事象が起こるのか。
「唯文、ユーギ、天也」
「はい」
「うん」
「……はい」
「多分、このまま橙たちを野放しにしたらいけない。荒魂がどれほどの力を持っているのかはわからないけれど覚醒させる前に止めるよ」
ジェイスの声が固い。普段、どんな危機的状況でも柔らかな声色が変化することの少ない彼の変化は、三人に現状の異常さを思い知らせた。
橙から溢れる炎は、その浸食領域を徐々に広げていく。
その光景を眺めながら、ユーギがぽつりと呟く。
「……団長や克臣さんたちも、気付いているのかな」
「さあ。だけど、彼らならば大丈夫。そうだろう?」
真剣な表情で、それでも信頼を崩すことはない。ジェイスの言葉に、ユーギは「うん」としっかり頷いた。
「神様だろうと何だろうと、絶対に勝つよ。だって、ぼくらは『銀の華』だから」
「銀の華だから……。ふっ。その自信、何処から来るんだよ」
唯文が笑うと、ユーギはとんっと胸を叩く。
「ここ!」
「そうかい。じゃあ、仕方がないな」
くっくと笑い、唯文は唖然としている天也に目を細めてみせる。
「こうなったら、おれたちは負けないから。絶対、天也を元の世界に帰すよ。それで、五月にもう一度会おう」
「……変わったな、唯文」
「そうかな?」
「良い感じに変わったよ。お前がそう言うなら、俺も……出来ることをするから」
天也の表情も変わった。覚悟が改めて決まったということかもしれない。
四人がそれぞれに気持ちを切り変えた時、黙っていた橙が吠えた。
「アタシのこと、無視するな! アタシはこれからこの世界を支配して、あんたたちなんかひれ伏すような存在になるんだから!」
「それを全力で止めるのが、わたしたちがすべきことだ」
「五月蝿い!」
橙の体から、黒い炎が柱となって噴き上がる。ジェイスはすぐさま気の板を複数創り出し、建物を炎から守った。幸い、この辺りは空き地が多く住宅街ではない。
ジェイスは透明な壁で橙を閉じ込め、覆って捕まえようとしていた。そのためには、壁を作ることにある程度集中しなければならない。
「わたしがあの
「わかった!」
「はい。時間稼ぎくらいは出来ますよ」
「ありがとう。わたしも出来る限り援護はする。天也」
「はい」
「きみは、わたしの傍に。彼女らにとっても、きみは重要人物だから」
「わかりました」
罠を張る者、戦う者。二手に分かれた四人は、それぞれの役割を果たすために動き出した。
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