第736話 三つの欠片
「……」
「……っ」
リンは玲遠の左の拳を蹴り上げた足の裏で受け止め、それを軸にして回し蹴りを繰り出す。靴の側面に切れ目が入ったが、気にしていられない。
「――はあっ!」
「くっ」
玲遠は両腕をクロスさせ、リンの蹴りの衝撃から頭を守った。更にリンが着地する最もバランスを取れないタイミングを見計らって、リンの鳩尾を狙って拳を突き出す。もしも急所に当たらなかったとしても、見えない刃をまとった腕が当たれば無事では済まない。
勿論、リンもそういう戦いの流れがあることは理解している。素手で玲遠の拳を受け止めることは出来ないため、小さな防御壁を手のひらサイズで創り出す。
バンッという音と共に衝撃が腕に伝わり、リンは歯を食いしばって耐えた。
「っ!」
「へぇ、耐えるんだ。これで終わらせれば楽だったのにな」
「簡単に言ってくれるな。俺たちは、荒魂を必ず止める」
一旦玲遠から距離を取り、リンはちらりと晶穂とユキの様子を見た。視界の端に移った彼女らは、一つまた一つと見えない敵を倒している。大きな怪我はないようだが、晶穂の動きが若干ぎこちない気がした。
(怪我をしたか、晶穂。ユキも、そうなんだろうな)
ユキはリンと同じ魔種で自己治癒能力が高い。大きな怪我をしない限りは秒で血が止まるが、晶穂はそうはいかない。
いますぐにでも飛んで行きたい衝動に駆られながら、リンは視線を玲遠へ戻す。自分が早く玲遠を止めれば、その分彼女らの戦う時間は少なくなるのだから。
「玲遠、お前に取り付いた荒魂はそこにいるのか?」
「いるよ。……とはいえ、欠片がね」
「欠片?」
「そう、欠片。私たちは三人いる。だから、荒魂様も三つに分裂してそれぞれについておられる」
「三つに……」
ならば、それぞれを撃破しなければならないのか。俺は今この場にいないメンバーのことを思い、苦々しい気持ちを抱いていた。
同じ頃、ジェイスは天也と唯文、そしてユーギと共に調査を進めていた。
何度か開いてしまった扉をくぐろうとする子どもを見付けて引き戻したり、扉の向こうを覗き込みかけた少年の腕を引いたりと、案外やることは多い。
「ジェイスさん。これ、既に向こうに行っちゃってる子がいてもおかしくないんじゃないかな?」
「それは私も思っていたよ、ユーギ」
何度目かの子どもをこちら側に引き戻す作業を終えたユーギに、ジェイスは頷いて応じた。
「大人は兎も角、子どもは好奇心旺盛で、大人の思い付かないこともやってしまう。わたしたちがどれだけ危ないと教えても、自ら体験しなければ理解はしないからね」
ジェイス自身が幼い頃はそうだった。生まれてすぐに両親を喪ったジェイスは、育ての親のもとで育った。だから甘やかされたわけではないが、今では何故そんなことをしたのかわからないようことをしでかして叱られたことは何度もある。
記憶を掘り起こしていたジェイスの横で、天也が腕を組んで唸った。
「向こうに行っても、すぐ扉をくぐれば戻れるかもしれません。後は、美里さんたちと運良く出会えるかどうか……」
「大人は兎も角、子どもが一人であっちに行くのは心配だよな。特に獣人は、
変化とは、唯文のような獣人が人の姿を取ることを指す。大抵は、獣の耳やしっぽを隠す術のことだ。
「だよね。もしかしたら、ニュースになったり実験に使われちゃったりするかも! 怖いっ」
ユーギがブルッと震え、子どもたちは顔を見合わせる。それは、冗談では済まない事態だ。
「ジェイスさん、どうしよう!?」
「起こっているかわからない事態を心配しても、どうしようもないよ。わたしたちはわたしたちが出来ることを、精一杯やるしかない。……そうだろう、橙?」
「あー、バレた?」
キャハハと甲高い笑い声を響かせるのは、玲遠の仲間の一人である橙だ。小柄な彼女は、人家の屋根の上で足を投げ出して座っている。
「あんたたちのこと、見てたよ。良いじゃん別に、異世界に行かせたってさ。好奇心の赴くままに」
アタシたちみたいに。橙はバレエを踊るようにターンを決めると、その軌跡に炎を宿す。まるで生きているかのように舞う炎の玉の一部が、天也の前へとやって来る。
「何だ……?」
「天也、おれの後ろに」
唯文は天也を自分の後ろに隠し、橙の動きを注視する。ジェイスとユーギは、それぞれに自分の周りに浮いている炎の玉を見つめていた。
「フフッ見てる見てる!」
「橙、何をするつもりかな?」
ケラケラと笑う橙に、落ち着いた声でジェイスが問う。その聞き方が気に食わなかったのか、橙は一瞬真顔になる。
すぐに笑みを取り戻し、くるってその場で回ってみせた。
「何だと思う? 前は勝負がつかなかったし、今回はアタシが完全勝利しちゃうよ!」
「そんなことさせないからな!」
「生意気なガキ!」
ユーギが声を張り上げ、橙はそちらに注意を向ける。炎の玉がユーギを囲み、ヒュンヒュンと速度を上げながらユーギにかすっていく。軽い火傷を負わされ、炎を捕まえようにもするりと逃げられてしまう。
「すばしっこいな!」
「キャハハ! そのまま倒れちゃえ!」
「ユーギ、五秒だけ息止めろ!」
「――!」
叫び声を聞き、ユーギは口を手で覆う。それを確認し、ジェイスはユーギを囲む空気の壁を築いた。そしてユーギを囲ったまま、その周辺の炎を上下から板で挟んで潰す。酸素を失い、炎はかき消えた。
ジェイスはユーギを箱の中から解放し、彼の頭を撫でる。
「よく頑張ったね」
「死ぬかと思ったぁ」
「ユーギ、あのままなら死んでたぞ」
「へ?」
きょとんとしているユーギに、ジェイスはくすっと笑いかける。橙はどうしているかと見れば、唯文と物理で戦っている様子が見える。
(天也を守りながらは戦いにくいな。早く、ユーギと共に合流しよう)
ジェイスはコンマ何秒かでそれを考え、不思議そうな顔をしているユーギを見た。
「さっき、橙はユーギの周りにたくさんの火の玉を踊らせていただろう?」
「うん、鬱陶しいなぁくらいに思ってた。火傷もさせられたし」
「これを終わらせて、早めに冷やそうか。……普通はあり得ないけど、橙はユーギを酸欠状態にしようとしていたみたいだからね」
「こんな外で……? でも、神様の力を借りてるなら不可能じゃない、のかな?」
レオラの話を信じれば、玲遠たちはレオラの荒魂の力を宿していることになる。いつ人の枠を外れるかわからないから、気は抜けない。
ジェイスは頷き、唯文たちを見た。頑張っているが、そろそろ一人では限界だろう。
「説明は出来ないけど、無理矢理こじつければそういうことだね。……とりあえず、まずは唯文の加勢に行こうか」
「うん!」
元気な返事をするユーギを伴い、ジェイスは橙に向かって矢を放った。
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