第725話 性別なんて関係ない

 ――パリンッ。

 それは、硝子が割れたような音だった。

「何だ?」

「何かが、割れたんでしょうか? でも、何が……」

「やったじゃん、玲遠。じゃ、そういうことで!」

 少女はその場でトントンと軽くジャンプすると、地面を蹴って駆け出す。そして異常な状況に目を奪われていた野次馬たちが見守る中、脇目も振らずに扉に突っ込んだ。

「えっ」

「は?」

 驚いたのは、日本の人々だけではない。扉が繋がっていたソディールの晶穂と克臣も目を見開いた。

「ヒヒッ」

 してやったりの顔をした少女はピンクの髪をなびかせ、晶穂の顔面に炎に包まれた拳を振りかざした。

「バイバイ」

「――っ!」

 熱さに目が眩む中、晶穂は反射的に自分の目の前に小さな結界を張る。

 その結界に跳ね返され、少女はチッと小さな舌打ちをした。くるんっと回転して着地し、すぐに立ち上がる。

「一発じゃ仕留められないかぁ」

「……貴女、一体何者なの?」

「アタシ?」

 こくんと頷く晶穂といつでも飛び出せるよう右足を引く克臣を順に見て、少女は余裕の笑みを浮かべた。

「アタシはだいだい。地球っていう世界に収まり切らなくて、異世界に飛び出す放浪者の一人」

「橙……。貴女には仲間がいるみたいだね」

「いるよぉ? こうやってこっちに来れちゃったのは、その一人のお蔭だね。あと、巻き込まれちゃった男の子もいるけど!」

「巻き込まれた?」

「……うん、喋り過ぎだね」

 晶穂の問いに答えず、橙と名乗る少女は早々に話を切り上げた。スニーカーの指先部分で地面を叩き、炎を両手に宿す。

「アタシは、仲間と合流しなきゃだから。ここ、通してもらうね?」

「ふざけるな。さっさと元の世界に帰れ」

「アタシも選んだだけだよ? 見たところ、あなたたちも日本人、なんじゃないのぉ?」

「――っ、お前たちのことを言っているんだ。無理矢理こじ開けた入口から入るなんて、世界の均衡が崩れてしまうだろう」

 図星を突かれ、克臣は一瞬言葉に詰まった。すぐに気を取り直して言葉を続けたが、その隙を橙は聞き逃さない。

「やっぱりね。アタシの勘はあたるから」

 良いカードを手に入れた。そう思ったらしい橙は、身軽に跳ねるように移動する。

「アタシたちが、今度はこの世界をまとめてあげるよ。この世界の血を引く奴と、超能力者と、アタシ。だから、アンタたちは見てれば良い」

「誰かが世界を統べるなんて、少なくともこの世界じゃ出来ないよ。それぞれが独立して、個々に頑張ってる。……それに、あなたたちなんかに世界なんて渡さない」

「強気じゃん?」

 仁王立ちした橙が、鼻で笑う。自分たちの行動を我儘ではなく正義だと言いたげな彼女に、晶穂は毅然とした態度で臨む。声が震えないよう、手を握り締めた。

「わたしは、この世界の人たちにたくさんのことを教わった。自分のため、自分がやりたいからだけじゃなくて、誰かの笑顔のために出来ることもあるんだって。……あなたたちのしたいことは、誰も笑顔にしない。だから、渡さないって決めた」

「言うようになったな、晶穂」

 見守っていた克臣にそう言われ、晶穂は少しだけ肩の力を抜いて微笑んだ。彼にそう言ってもらえたら、もう大丈夫。

 晶穂の瞳に、揺るぎない強さが宿る。ここにいるのは克臣と二人でも、離れた所に大切な仲間がいるから。

「だいそれたことは言えないけど、あなたたちには元の世界に戻ってもらうから」

「やってみたら? 倒されないよ!」

 橙はそう叫ぶとパンチを繰り出し、両手に灯した炎を晶穂と克臣に撃ち出す。対して晶穂は、自分と克臣の前に結界を張ってそれを阻止した。

「くっ」

「助かったぜ、晶穂。今度はこっちからだな」

 克臣はそう言うが早いか地を蹴ると、橙に向かって飛び蹴りを放った。橙はそれをギリギリで顔を背けて躱し、ちょっとと抗議する。

「アタシ、女なんですけど!?」

「世界征服企む奴が、今更女だ男だって言うなよ。ここに立ったってことは、どんな相手でも倒す覚悟でいるんだろうが。だったら、性別なんて気にするな」

「……っ、それもそうだね。じゃあ遠慮なく!」

 橙は自分の身長と同じくらいの直径の炎の弾を創り出すと、それをゴールにシュートを決める要領で蹴り飛ばす。剛速球が迫り、克臣は躱すのを諦めて蹴り返した。

「うるぁぁぁっ!」

「はんっ、バカじゃない!? 自分から死にに行くなん……て……」

「……悪いけど、これがあるから死にはしねぇんだ、よ!」

 ギュンッと音を鳴らし、炎の弾が弾き返される。信じられないという顔で軌跡を追った橙に、克臣は種明かしをしてみせた。

「さっき、晶穂が結界を創ってくれただろ? それ、一回きりで消えちまうと思ったか?」

「は!? もしかして、それで足を守ったって言うの?」

「御名答。ただ、無傷ってわけにはいかなかったけどな」

 克臣の言う通り、彼の右足の甲、靴の表が黒く焦げている。それでも結界のお蔭か、肌の表面に軽い火傷が生じたくらいで済んでいた。

「な……」

「よかった。役に立ちましたね」

「役に立つ以上だ、晶穂」

 ありがとな。克臣に言われ、晶穂は「はい」と微笑んだ。

「ただし、後で火傷見せてくださいね。手当は早い方が良いので」

「わかってるよ。じゃないと、真希にも叱られるからな」

 冗談めかして笑い、克臣は「さて」と橙を睨んだ。

「どうするんだ、橙? このまま続けるか、それとも……」

「くっ……」

 悔しげな橙がこのまま諦めてくれれば、と晶穂が淡い期待を抱いた時だった。

「いた、橙!」

 新たな脅威が、二人の前に現れた。

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