第723話 土を操る男

 唯文に連絡したが、出たのはリンだった。ざらついた克臣の声も聞こえたから、彼もまた電話口にいたのかもしれない。

「敵、ね」

「ジェイスさん、兄さんは何て?」

「彼は、新たな敵らしい。だけどこれ以上被害は増やせないし、どうしたものかな」

 ジェイスの傍にいるのは、ユキと春直だ。

 三人はリンたちと別れ、別の鍵穴を確認しに来ていた。奇妙なそれをどうするのかという話をしていた時、突然鍵が向こう側から射し込まれて扉が開いたのだ。

 そして今、扉越しに黒髪の青年がこちらに向かって拳を突き出している。彼の足元は地割れでも起きたようにガタガタで、御神渡りのような地割れが扉を介してソディールにも届いていた。

 突然せり上がった地面から逃れ、春直が顔をしかめる。

「あんな魔力の強い人、ジェイスさんたち以外にいたんですね。しかも、日本に」

「そもそも、本当に扉が開かれちゃうなんて思いもしなかった。約束の日まで、まだ何か月もあるでしょ?」

 ユキの言う通り、神が約束した二つの世界を繋ぐ扉が開かれるまでは後五か月はある。それまでにこんな事態になるとは、誰が予想しただろうか。

「ユキ、春直。決して無茶はしないで。最優先は、あの扉を閉めることだ」

「うん」

「はいっ」

 氷の弓矢を構えたユキと、操血術を展開している春直が頷く。彼ら三人の視線を一身に受け止めているのは、出会った直後に「相沢あいさわデニア」と名乗った筋肉質の男だ。

「いいね。何処まで俺を楽しませてくれるんだ!?」

 デニアが拳を地面に叩きつけると、割れていた地面からボコボコと大きな土や石の塊が盛り上がる。それらは意思を持っているかのように蛇のごとく動くと、扉を通って春直に向かって突進してきた。

「くっ」

 春直も簡単には負けていない。操血術で編んだ血色の網を広げて塊を捕らえ崩し、そのまま扉の向こうのデニアに襲い掛かろうとした。

「行けえっ!」

「どうかな?」

 しかし何故かこちら側の攻撃は扉に跳ね返され、通ることが出来ない。

「何でっ!」

 デニアの攻撃は扉を通り抜けるのに、春直たちのものは出来ない。これでは一方的な展開になる。

「このままじゃ、良くないね」

 ジェイスは眉をひそめ、ものは試しと矢を弓につがえて引き絞る。そして限界のところで放つが、やはり扉を通り抜けずに霧散した。

「駄目か」

「これじゃ守ってばっかりになるよ」

 頬を膨らませたユキが、凸凹になった地面から跳んで躱す。割れた地面から土で出来た拳が突き上げられ、空振りに終わってズブズブとまた地中へと戻って行く。

「あんなのから逃げるばっかりなんて、性に合わないんだよね」

「扉が一方通行じゃ、どうしょうもないよ。こっちに来たこういうのに対応していくしか……」

 その時、三人の耳にパリンッという硝子の割れたような音が聞こえた。

「何の音?」

「……壁が消えたのかもしれない。あちらとこちらを隔てる透明な壁が」

「それってどういう……」

 意味ですか。春直がジェイスに尋ねようとした矢先、扉の向こうからデニアの嬉しげな声が聞こえて来た。

「おっ! あいつがやったみたいだな」

「あいつ?」

 ジェイスが聞き返した時、デニアが扉の枠を掴んだところだった。彼のしようとしていることを察し、ジェイスは突発的に扉へと走り出していた。

「えっ」

「ジェイスさん、危ないです!」

 ユキと春直が叫んだのは、ジェイスと扉をくぐったデニアが鉢合わせた瞬間。勢い良く突き出したデニアの拳を、一瞬で創り出した空気の壁で防ぐ。

 それでも完全に防ぐことは出来ず、ジェイスは体をよじって拳から逃れた。

「残念! 異世界最初の勝ち星を得たと思ったんだがなぁ」

「それは残念だったな」

 淡々と冷たい声色で応対しつつ、ジェイスは内心驚愕していた。一方的にこじ開けられた扉、それを難なく潜り抜けて来た謎の男、そして状況の全てに。

 デニアは拳が躱されても機嫌を損ねることなく、むしろ面白いものを見付けた子どものように無邪気にジェイスに向かって両手の拳を振るい続ける。右、左、右、左と単純な軌道のパンチは一見して何も考えていないやけくそのように見えるが、若干角度を変えるなどして、ジェイスを徐々に追い詰めていく。

「くっ」

「あんた、面白れぇな! オレの拳に耐え抜く奴なんて、向こうにはほとんどいなかった。やっぱり、こっちに来て正解だな」

 笑いながら、デニアはジェイスに向かって拳を振るい続ける。デニスの方が、ジェイスよりも身長が高い。そのタッパの差は、攻撃のやりやすさにも影響を与えていた。

 ユキと春直がどうにかしてジェイスを助けようとするが、全てデニアに牽制され防がれてしまう。デニアに飛び掛かった春直は土の壁に阻まれ、氷柱を投げ付けたユキは投げたそれを掴まれ、ジェイスへの武器とされてしまった。

「あっ!」

「良い頃合いの棒になるなぁ。これでお前たちの仲間をいたぶってやるよ」

 デニアはそう言って嗤うと、氷柱を持ってジェイスの上から叩きつけた。

「ジェイスさん!」

「――大丈夫、だよ」

 悲鳴を上げたユキの耳に聞こえたのは、苦しげながらも片手で氷柱を受け止めるジェイスの声だった。体を低くして、デニアを睨み付ける。その氷の視線は大抵の者を

 震え上がらせるには十分だったが、デニアに対しては勝手が違った。

「まだまだやれるってか? し合おうぜ、どっちかが死ぬまで!」

「……私は、死ぬまで戦いはしない。お前をもとの世界に戻すだけだ」

「――おっと」

 ジェイスのナイフに氷柱を切り刻まれ、デニアは再び地面を殴りつけた。地面からは幾つもの拳が突き破って現れ、彼を取り囲む。

「オレの先祖はソディールの出身なんだ。だから、これは里帰りなんだよ」

「こんな乱暴な里帰りがあってたまるか!」

 春直が操血術を展開し、土の拳を捕らえ細切れにする。しかし土はすぐに形を回復し、次に立ち向かったユキの氷の矢を掴み潰す。

「ちっ」

「くそ……手強てごわい」

 年少組が肩で息をする中、デニアは余裕綽々の顔で鼻歌すらも歌っている。歌いながら、何度も飛び掛かっていく二人の相手もこなすのだから、どれだけ体力があるのかとジェイスは呆れていた。

「――さて、どうしようか」

 一刻も早くリンたちと合流したい。その前に、デニアをどうすべきか。ジェイスは頭を痛めながら、見えないナイフを配置につけた。

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