第721話 開いた扉

「――はぁ、はぁっ」

 兎に角あの場を離れなければという一心で、天也は町の中を駆けていた。しかし息が切れて立ち止まった時、妙に鮮明に「鍵穴」と「鍵」という単語が耳に入って来る。

「――よーし、鍵穴探そうぜ」

「あっちとか? せめてヒント欲しかったな」

「ヒントなしの宝探しってことだろ? 特徴はわかってるんだから、この鍵が差せる穴を見付けようぜ」

 道路を挟んで向こう側の歩道に、公園で別れたクラスメイトたちがいた。息を整え、天也はそちら側に行こうと横断歩道を探す。すると、数十メートル離れたところに信号機が見えた。

「……行くか」

 クラスメイトに話しかけるつもりはなかった。しかし何か異変が起こった時、近くにいられれば出来ることがあるかもしれないと思ったのだ。

 天也が横断歩道を渡っている時、クラスメイトたちがワッと歓声を上げた。

「見付けた! あれじゃないか?」

「本当だ!」

「よっし! 早速差してみようぜ」

 わいわいと楽しそうな彼らに早足で近付きながら、天也は言い知れない不安を覚えていた。妙に惹きつけられるような気がして、願わずにはいられない。

(どうか、繋がらないでくれ!)

 天也の思いを他所に、鍵はガチャリと正常に回った。つまり、鍵はこの鍵穴のものだったのだ。

「やった! ……ん?」

「あれ? なんか、違う?」

?」

 三人の頭の上に、クエスチョンマークが幾つも浮かんでいる。それもそのはず、開けた扉の向こう側に見えたのは、室内ではなかったのだから。

 三人の後ろに立った天也は、呼吸を整えるのも忘れて叫んだ。

「――リンさん!?」




「……天也!?」

 鍵が回り、扉が開いた。その向こうには、懐かしい日本の風景と見知らぬ三人の学生らしき男子たち。そして彼らの後ろに、天也が息を切らせて立っていた。

 天也に気付いたのは、リンだけではない。傍にいた唯文とユーギも目を丸くしている。

 特に唯文は信じられないという顔で、思わず一方扉へと近付いた。

「どうして……」

「説明は、次に会った時にする! 今は、これを閉じないと!」

 扉を閉めようと前へ出る天也の肩を、クラスメイトたちが掴んだ。

「何だよ、石崎。折角開けたのに!」

「そうだぞ。しかも、向こう側ってどう見たって異世界じゃん? これは行くっきゃないっしょ」

「異世界転移出来るんだろ? 楽しそうだぜ」

「だから、それが駄目なんだ。本来開けてはいけない道を開いたら……」

「――開いたら、何かな?」

 天也が振り返ると、そこには玲遠が立っていた。ニコニコと笑顔で天也に近付いて来た彼は、腕を広げて進ませまいとする天也の肩に手を置き引く。すると天也は前のめりに倒れ、うめき声を上げた。

「いっ……」

「天也! 大丈夫か!?」

 クラスメイトよりも先に、扉の向こうから自分を案じる声が聞こえる。それに苦笑して、天也は膝と手のひらに痛みを感じつつも立ち上がる。

「唯文、リンさん、ユーギ」

「お前、あの人たちのこと知ってんのか?」

「……」

 驚くクラスメイトたちの疑問の声が飛んで来たが、天也の視線は前へと固定されている。ゆっくりゆっくりと、玲遠が開いた扉に近付いて行く。

(止めないと……!)

 思うと同時に、天也は駆け出していた。膝の痛みも手のひらににじんた血も、今はどうでもいい。

「あっ、おい!」

「石崎!」

 後ろからの声には振り返らない。天也は無我夢中で足を動かし、振り返った玲遠に飛び掛かった。

「そこから離れろ!」

「……やっぱり、釣れたね」

「は?」

 玲遠の言葉の意味を、天也は身を持って知ることになる。玲遠がスイッと横に動いたことで、天也は地面にぶつかるしかなくなってしまう。

(こける!?)

 覚悟して目を閉じた天也だったが、痛みは一向に来ない。その代わり、体の自由も効かない。瞼を上げることも出来ず、天也は「なんだこれ!?」と叫ぼうとした。

「……! ……!?」

「喋れないし、動けないだろう? 色々手を出して、私はそういうことが出来る力を手に入れたんだ」

 余裕のある笑みを浮かべ、玲遠はふと視線を天也のクラスメイトたちに向ける。彼らは異世界に繋がる扉を開いたワクワクな気持ちを何処かに忘れて来てしまったのか、青い顔をして腰を引いていた。お化けでも見たかのような顔をして、玲遠に微笑みかけられて体を震わせる。

「やはり、イベントを開催してみてよかった。一人でこの町の扉からあちら側へ繋がる一つを見付けることは不可能だったし、多くの人々を巻き込めば、おのずと目的に出会えると思っていたからね」

「く、来るな。化け物ッ!」

「化け物、か。その言葉、幼い頃から聞き慣れているよ」

 男子高校生に拒絶されても、玲遠は飄々ひょうひょうとそれを受け流す。そして彼らの目の前に立ち、手を差し伸べた。

「君たちは、私に道を開いてくれた恩人だ。望むなら、共に異世界へと繰り出すかい?」

「ひっ」

 後ずさる少年たちを見て、玲遠は少し残念そうに肩を竦めた。

「そうか、つれないな。……ならば、もう用はない」

「い、命だけはっ」

「な、何でもするから!」

「た、助けて……」

「簡単に『何でもする』なんて言わない方が良い。出来ないことをしろと言われても、やれないんだから。……少なくとも、ここを離れるのなら今まで見たことは忘れろ」

「――っ、――」

 早く逃げろ、逃げろって。天也は空中に固定されたまま、心の声で叫んでいた。口を動かすことも目を開けることも出来ず、現状どうなっているのかはわからない。それほど仲が良いとは言えないが、クラスメイトに何かあれば目覚めが悪いものだ。

 やがてバタバタと三人分の足音が遠ざかり、玲遠のため息が天也に聞こえた。

「やれやれ、好奇心のない子どもたちだ。子どもの内は、何にでも興味を持ってぶつかってみれば良いものを。……ああ、忘れていた」

「――ったぁ」

 突然、体が自由になった。地面に落とされた天也は尻もちをつき、ようやく目を開ける。するとそこにはクラスメイトたちの姿はない。どうやら逃げられたらしい。

 ほっとしたのも束の間。天也の目の前に、玲遠がしゃがんだ。

「じゃあ、君に頼もうか」

「……聞く気はないぞ」

「さあ、どうだろうね」

 玲遠がちらりと天也の背後を見た。そちらには、完全に開いた扉とその向こうのリンたちがいる。

「……」

「団長、ジェイスさんと連絡取れました」

「こっちも。克臣さんと連絡取れたよ。こっちに来てくれるって」

「わかった。……あいつは、何をしようというんだ?」

 こちら側にも、向こう側の声は聞こえるし様子も見える。しかし、相手の目的がわからない。謎の青年の視線を正面から受け止め、リンはごくりと唾を飲み込んだ。

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