鍵と鍵穴

第716話 サンドイッチ

 日本で謎の青年が暗躍しているとは知る由もなく、ある晴れた日にリンは久し振りに何の仕事もない休日を過ごしていた。昨日までにやらなければならないことが終わり、ジェイスと克臣共々一日休むことにしたのだ。

(こうやって、静かに本を読むなんて久し振りだな)

 風が気持ち良い。小春日和のこの日、リンは朝から中庭で読書にいそしんでいた。花の種探しに向かう前に買っていた架空の冒険譚で、ようやく読むことが出来たものだ。

「……ふぅ」

 昼前になり、リンは本を閉じる。気付けば三時間程経過していたが、一冊に集中していた。

 二巻への伏線が散りばめられ、次も読みたいと思わせられる。敵の幹部を倒した主人公たちは、次の目的地へ向かって旅立った。

 そろそろ昼時か。リンがそう思った時、建物へと繫がる扉が開いた。

「あ、リン。ここにいたんだね」

「晶穂か。どうかしたのか?」

 そういえば、晶穂も今日はリドアスに居ると言っていたな。リンが思い出していると、彼女は「あの」と言葉を紡いだ。

「お昼、一緒にどうかなって思って。ジェイスさんたちもユキたちも出掛けてて、今ここにわたしたちしかいないん……だよ、ね」

「……いいよ」

 少しずつ、晶穂の声が小さくなっていく。耳を赤く染めて俯く彼女の様子が愛おしくて、リンは思わず手を伸ばしかけて引っ込めた。

「……。何食べたい? 作るか?」

「あ……。昨日、真希さんが美味しいからって買って来て下さったパンがたくさんあるよ。それでサンドイッチとかどうかな?」

「うまそうだな。そうしようか」

 二人して食堂を覗けば、確かに買って来たらしい様々な種類のパンがテーブルの上に置かれていた。そこに真希の字でメモが挟んであり、好きなものを早い者勝ちで取るようにという旨のことが書かれている。あんぱん、メロンパン、焼きそばパンといった日本でも定番のものから、果物のジャムやオレンジピールの入ったもの、ハード系まで幅広い。

 晶穂が薄めに切られた食パンを取り、キッチンへと入る。冷蔵庫からバターとジャム、そしてカットされた野菜やハムも幾つか出す。

「リンはパン焼く?」

「どうするかな……。柔らかいし、今日はそのままで」

「わたしもそうしよう」

 バターだけ少し温めて溶かし、晶穂はバターとジャム、リンは野菜とハムでサンドイッチを作る。そこに温かい紅茶を添えれば、ランチの完成だ。

「いただきます」

 手を合わせ、いつものように挨拶をする。猫舌の晶穂が、先にサンドイッチを手に取った。

「そういえば、ユキたちも昼にいないなんて最近じゃ珍しいな。何処かに遊びに行ってるんだろうけど」

「隣町で、雪合戦の大会があるんだって。飛び込み参加大歓迎っていうチラシを見て、ユーギとユキが唯文と春直を連れて行ったよ」

「そっか、目に浮かぶな。……まだ雪が積もってるところもあるのか」

 ちらりと窓の外に目をやるが、雪合戦が出来る程の積雪量はない。ここ数日温かな陽射しが続いていたため、降った分は溶けてしまったのだ。

「大会用に貯めてたのかも」

「なるほど」

 それならば納得だ、とリンは紅茶を一口飲んだ。

 穏やかで静かな昼食を楽しみながら、二人の会話に何となくあまり話してこなかった日本の話が浮かぶ。

「そういえば、天也たちは元気かな?」

「五月になったら会えるよね。まだ冬だけど、楽しみ」

「そうだな。……あ、晶穂」

「ん?」

 声を弾ませる晶穂が、リンに呼ばれて目を瞬かせる。リンはといえば、そっと手を伸ばした。

「ちょっと……動くなよ」

「……っ」

 リンの指が唇の真横を撫で、晶穂はビクッと反応してしまう。彼の指はすぐに離れてしまい、少しだけ残念な気持ちになってしまった。

「取れた」

 晶穂の複雑な気持ちは知らず、リンはほっと肩の力を抜く。リンはリンで、晶穂の肌に触れることに躊躇いと照れがあったのだ。

「ジャムが付いてたんだ。これ、よく春直たちがパンに塗ってるやつだな」

「え? あ……そ、うだね」

 今更照れが勝ってしまい、晶穂はしどろもどろになる。そして、更に彼女を焦らせることが起こった。

「ちょっ……リン!?」

「何かまずかったか?」

 目を丸くしたリンは、その数秒前に晶穂の頬から取ったジャムを舌で舐め取っていた。リンは何でもないことのように首をひねるが、晶穂の恥ずかしさが限界に近くなる。

「そうだけどそうじゃない……」

「何だそれ? ……うん、結構うまいな。俺も今度使うかな」

 思わず突っ伏してしまった晶穂に、リンは一瞬躊躇った後に顔を近付けた。その声は少しかすれ気味で、晶穂をまたドキリとさせる。

「……ごめん、わざとやった」

「や、やった方が照れないでよ」

 心臓がもたない。真っ赤な顔を背けて晶穂が文句を言うと、リンは照れ笑いを浮かべて「俺もだ」と肩を竦めた。

「ジェイスさんや克臣さんがいたら、すぐにいじられるからな。こういう時でもないと、その……たまにはと思ってだな」

「――うん、わたしも」

 晶穂には、リンの言わんとしていることがわかった。彼女自身も口にするのは恥ずかしかったために言わなかったが、たまには恋人同士らしくいちゃいちゃしたいということなのだ。

 ここに克臣たちがいれば、無意識にいちゃついているだろうと突っ込みを入れられるだろう。幸か不幸か、皆出かけていた。

(もしかしたら、今がチャンスかもしれない)

 食事を終え、食器を洗いながらリンはふと思った。晶穂は彼の隣で拭いた食器を棚に片付けており、他には誰もいない。

 洗うべき全ての食器を洗い終わり、タオルで手を拭きながら何気ない風を装ったリンが晶穂に声をかける。

「なあ、晶穂」

「ん? どうかした?」

「いや……。いや、そうじゃないな」

 平皿を食器棚に片付けた晶穂が、首を傾げてリンを見つめる。

 リンは数回深呼吸した後、意を決して口を開いた。

「……晶穂、次の休みに何処か行きたいところはないか?」

「それって……」

「うん。デートしよう」

「嬉しい」

 花びらがほころぶように微笑んだ晶穂に吸い寄せられるように、リンはそっと彼女に向かって手を伸ばした。その直後のこと。

「ただいまー」

「ただいま。誰もいないのかな」

 聞こえて来たのは、克臣とジェイスの声だ。二人で帰って来たらしい声が、徐々に大きくなって聞こえて来る。

 リンは慌てて手を引っ込め、晶穂もほてった頬を手であおいで食堂へやって来た二人を笑顔で迎えた。

「お帰りなさい、お二人共」

「お帰りなさい」

「ただいま。おや、邪魔をしてしまったかな?」

「ただいま。俺らも空気くらいは読むぞ?」

 ジェイスと克臣に口々に言われ、二人は顔を赤くした。しどろもどろになる晶穂に代わり、リンが身を乗り出す。

「大丈夫です!」

「そうかぁ? あんまり遊ぶと、後が怖そうだな」

「もうその時点でアウトだよ、克臣。……たくさんパンがあるね。わたしたちもパンにしようか」

「お、賛成」

 ジェイスと克臣が飲み物等を取るためにキッチンへ向かったのを見計らい、リンは向かい側に座る晶穂の方へ身を乗り出した。そして、こそっと囁く。

「……また後で、メッセージ送る」

「うん」

 何の話かわかり、晶穂は嬉しそうに頷いた。

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