第714話 もう一つの世界
同じ頃、日本もまた寒い冬の中にあった。
毎年夏は厳しいが、今年は冬もまた辛い。
(唯文のやつ、風邪ひいてないかな)
ふと思い出すのは、世界が分かたれて会えなくなってしまった親友のこと。彼がこの世界にいたことを覚えている者はごくわずかで、九割の人々はクラスメイトであろうとも唯文などという人物のことを知らなかった。まるで、最初からそんな人はいなかったとでも言うように。
やって来た電車に乗り込み、自宅の最寄り駅へと向かう。今日は塾の日で、今はその帰り道だ。
「……ん?」
最寄り駅で電車を降り、改札を通って帰路に就く。音楽を聴きながら歩いていた天也は、ふと目に入った掲示板を眺めた。近所の祭りやごみの回収日などの張り紙がされているのが常だが、今日は何かが違う。
「何だ、これ?」
そこにあったのは、今朝までなかった張り紙だ。もしくは注視するわけではないため、実は何日も前からそこに掲示されていたのかもしれないが。
「……『鍵開けラブ! みんなで色んな鍵穴に鍵を差してみよう。もしかしたら、異世界と繋がってしまうかも!?』。なんだこれ?」
何かのイベントだろうか。首をひねりながら、気になる言葉を見つめてしまう。
(……異世界と繋がってしまう、か。残念だけど、今は繋がらないよ。五月を待たないとね)
毎年五月十日、地球とソディールが扉で繋がる。それは、ソディールを創り出した神々が約束をしてくれたこと。
約束を知るのは、唯文を除けばあと二人だけ。彼女らもソディールに深い縁のある人々だが、元気だろうか。
「明日、学校の帰りに寄ってみよ」
張り紙に興味をなくし、天也は帰路を急ぐ。
イベントが行われるのは、一週間後。この不思議な触れ込みのイベントは、誰が主催者なのか明らかにされていない。
しかしそのミステリアス感が受けたのか、町中に貼られた張り紙を眺める人の数は毎日のように増えていった。
「……ねえ、あの張り紙見た?」
「いつの間にか、町中に貼ってあったあれ?」
「異世界と繋がるってホントかなぁ?」
「もしも本当なら……」
三日もすると、町の中でそんな声がちらほらときこえるようになる。張り紙の数も気付かぬうちに増え、イベントの前日には至る所で見かけるようになっていた。
「何なんだろ、あれ?」
「あれって、鍵開けイベント?」
「主催者不明なんだっけ」
「超能力者が主催するって噂だぜ」
噂は高校にも広がっており、天也は若干呆れてそれを眺めていた。
(妙に広がるな。……なんだろ、こんな気持ちは初めてだ)
ざわざわとして、落ち着かない。昼休み、一人になった天也はふと思い立って図書館へと足を向けた。静かな環境に身を置けば、少しくらいは気持ちが落ち着くだろうと思ったのだ。
しかし、誰もいない静かな廊下を歩いていた天也の前に影が差す。顔を上げると、見知らぬ青年が壁に肩を預けて立っていた。
「……ここ、部外者立入禁止なんですけど」
「知っているよ、高校だからね」
「先生呼びましょうか? 生活指導、トドみたいでおっかないですよ」
「やってみるかい? やれるものならね」
気付いているかな。そう訊かれ、天也は初めて違和感に気付いた。
(誰もいない? ここだけじゃない。この場には誰もいない)
人の気配がない。何者の気配もなく、風も起きない。空気もないような感覚があり、天也は思わず喉元に手をやった。
そんな天也を見て、青年はクスクスと笑う。
「安心して。空気までは止めていないから」
「なら、他のものは止めているってことですか?」
「察しが良いね。時間が動き出した時、一秒も経っていないと思うよ」
不思議だろう。青年は微笑むだけだが、その笑顔が本心からのものでないことは一目瞭然だ。なにせ、目が一切笑っていない。
「……どうして、俺をここに呼んだ?」
「おや、大人に対する言葉遣いではないね」
「お前が何者かもわからない、そんな相手に使う敬語はないからな」
「それは賢明だ」
青年は微笑むのを止め、壁から体を話して立つ。そして革靴をカツンカツンと鳴らしながら、天也にの目の前までやって来た。
背丈は天也より高く、百八十センチは確実にある。細身だが痩せぎすではなく、きちんと必要な筋肉はついているという体つきだ。感情の読めない瞳は黒ではなく紫がかっており、天也の耳元に囁く声は低く艶めいていた。
「……僕は、きみとあちらの世界の繋がりを知っているよ」
「何の話だ」
「とぼけても無駄だよ、調べはついているんだ。……だから、きみをここに引き込んだんだからね」
「だったら、何が目的だ」
天也の心臓は、緊張をはらんでドクンドクンと大きく音をたてている。冷汗が背中を流れるが、自分が怖気づいていることを相手に悟られてはいけないと思う。
あくまで強気の姿勢を貫く天也は、青年を睨み据えた。
すると青年は、楽しそうに唇の端を吊り上げる。
「最近、こことは異なる世界が存在すると知る機会があってね。そちらには魔力が存在し、獣の属性を持つ人々がいるんだそうだ。幾つかの国があり、人々が暮らしているという世界」
「……」
「今は繋がっていないけれど、少し前まではいつでも行き来が出来たらしいね。僕がその頃に知っていればよかったのに、と思うよ。そうすればってね」
クスクスという笑い声を出し、青年は天也の目を覗き込む。
「だからさ、自分でこじ開けようって思ったんだよね。だけど、一人じゃ限界があってさ。何処かに今も繋がっている扉があるんじゃないかって半年くらいかけて探しているんだけど、見付からない。だったら、みんなに協力してもらえば良いんだ」
「協力? ――っ! あの張り紙か」
妙に人々の認識に広がっている、謎のイベントの張り紙。そのイベントの主催者が目の前にいる男なのだ、と天也は今はっきりと理解した。
青年は嬉しそうに頷くと、内緒話をするように声を潜めた。
「その通り。あれには、僕の催眠術を少し含ませているんだ。多くの人に興味を持ってもらわないと、成功しないからね。誰かが、あちらの世界に繋がる鍵を開けてくれると良いな。……ね、きみも参加してよ」
「……嫌だ。大事な友だちを売るような真似、出来るわけないだろ」
「ふぅん……。残念」
つまらなさそうに呟くと、青年は「じゃあね」と手を振ってから指を鳴らした。
「――っ!」
唐突に耳に音が戻って来る。天也が驚き周囲を見渡すと、窓の外を鳥が飛んで行った。
その代わり、先程まで目の前にいた青年の姿はなくなっている。天也は「目的を聞き忘れたな」と肩を竦め、一旦気持ちにふたをして教室に戻った。
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