第707話 対話

 花の種が植わっている荒れ地は、今や充分な水分と陽射し、そして力を与えられていた。いつの間に種が飛んできたのか、それとも元々そこにあったのか、名もなき草が既に所狭しと生えている。

 しかし、肝心の花の芽は出ていない。

 水の龍を操っていたジスターは、雨を小雨に変えて眉間にしわを寄せた。

「これ以上、どうしろっていうんだ? 水も与え過ぎれば、根を腐らせることになりかねない」

「何か、足りないんでしょうか。花の種が芽を出すための、きっかけが……」

「……」

 振り返れば、仲間たちが正体不明の魔物と攻防を繰り広げている。何度も何度も晶穂たちの方へ手を伸ばし、隙あらば体を滑り込ませようと画策する魔物たちに手を焼きながらも、彼らは決して諦めない。

 時折ユキやユーギがリンたちをちらりと見ては、すぐに目を逸らして敵へと向かって行く。彼らの頑張りを無駄にしないために、体力が枯渇する前に、けりをつけるのがリンたちのやるべきことだった。

(何か無いのか? こういう時に、種の守護と繋がったみたいに……繋がれ。――繋がれ!)

 焦りは募り、リンはギュッと瞼を閉じて力を使うと共に、種へと手を伸ばすことをイメージした。それで意思疎通が出来ればと淡い期待をしての試みだったが、何も感じ取れない。

(このまま、ただ時間と力の消費を待つだけなのか……? 俺自身、限界が近いんだが)

 種が自分の傍から離れたことで、彼の身を守る力は半減した。そのためにまだ内側に巣食う毒が、虎視眈々と機会を窺っている。奴らが再び暴れ出せば、今度こそ死ぬかもしれない。

 笑っていられない状況に、リンの危機感は否応なしに増す。その時、そっと右手に触れる何かがあった。

「……?」

 気付けば、左手にも何かが触れている。その正体を知るためにそっと目を開けたリンは、晶穂とジスターがそれぞれ左右の彼の手を握っていることに気付く。

「二人、とも」

「一瞬でも諦めるなよ、リン」

「そうだよ。わたしたちは、誰も独りじゃない。みんなで、みんなを信じているんだから。……絶対に、大丈夫」

「晶穂、ジスターさん……ああ、そうだな」

 深呼吸して、リンはまっすぐに前を向く。何度挫けそうになっても、彼の傍には大切な人たちがいてくれる。その有り難さと奇跡に感謝して、リンは力いっぱいに光の魔力を解放した。

「……っ!?」

「リン!」

「リン!?」

 突然、リンがガクリとしゃがみ込む。隣りにいながら支え切れなかったジスターが慌てて膝を折ると、彼の呟きが不意に聞こえた。

「……える」

「えっ?」

「聞こえる。これは……種の声か?」

 リンの目は、何も見ていない。光の失われた双眸に、ジスターと晶穂は顔を見合わせ呆然とした。

 しかしそれも長くは続かず、再びリンの手を握った。彼が、二人に気付いて戻って来られるように。

「リン、必ず帰ってきて」

 強く願いながら、晶穂はリンと種とに力を向け続ける。ジスターは小雨から霧雨に変えた魔力を微妙な力加減で操りつつ、晶穂と同様に青年の無事を願っていた。


「……ここ、は?」

 リンが気付くと、そこは先程までとは全く別の場所だった。ぼんやりと明るさを感じるが、全体としては果てのない闇。立ち止まっていても仕方がないと、リンは一歩前へ出る。

 その一歩は、水面を歩くように波紋を生む。一歩、また一歩と進む度、波紋が生まれて広がり、消えていく。

「何処なんだ、この世界は。……種が、いるのか?」

『お前は、何を望む?』

「……花の種?」

 突如聞こえた感情の乏しい平坦な声に、リンは呼び掛ける。しかし声の主は問いに応えることなく、再び同じ質問を繰り返す。

『お前は、何を望む? 花を咲かせて、何を願う?』

「俺の中に巣食う毒を、解毒する」

『何故?』

「イザードの思い通りにはさせない。そうしてしまえば、ジスターさんは、きっとずっと、後悔から解き放たれることはない」

『……そして?』

「……何より、俺はまだ死にたくない。天寿が今だとしても、俺はみんなともっと生きていきたい」

 結局は、自分のことだ。そう呟き、リンは自嘲的な笑みを浮かべる。

「解毒して、みんなでリドアスに帰る。そして近い内に……彼女に言いたいことがあるんだ」

 好きだとは伝えた。晶穂の気持ちも痛い程伝わってくる。それでも、あともう一つの一線を越えられない。たった一言だと言えばそれまでだが、その一言が口から出ない。出すのが怖いのだ。

 その言葉は、間違っていないかと。

「彼女は彼女自身のもので、俺の所有物なんかじゃない。だから、あいつは何処に行くのも自由だ。でも、俺の気持ちも俺のものだから……伝えたい言葉は伝えたい」

『だから、生きたい?』

「生きたい。彼女と、仲間とまだ見たことのない景色を見たい。だから、いつか死ぬことはわかっているが、まだ生きたい」

 顔が熱い。自分が照れてしまっているのだとわかるから、余計にリンは恥ずかしくなる。穴があったら入りたいが、あったとしても今は入るべきではない。

『……』

「……」

 やけに長い時間、沈黙の中にいると感じる。リンは自分の心臓が早鐘を打っていることを自覚しつつ、花の種の返答を待った。

 どれくらいの時間が流れただろうか。不意に、空気の流れが変わった。リンを中心に、ぼんやりと暖かな光が溢れ始める。それが合図だったかのように、その声は笑みを含んで聞こえた。

『求める者よ、その願いを叶える手助けをしてやろう』

 その言葉を聞くと同時に、リンは再び意識を失った。

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