第705話 負のナニカ
ドクン、ドクン。普段よりも強く痛い心臓の音は、突然弱くなることもあり気が抜けない。
(種が離れたことで、力のバランスが偏ったな)
焦ってしかるべき時なのかもしれないが、リンは妙に冷静でいた。鼓動は乱れ、呼吸もきちんと出来ているのか定かではない。更に気を失って現状を把握出来ておらず、すべきことが遂行されているのか確かめる術もまたない。
あるのは、リンの体を内側から守る力が失われたことにより、喜ぶ毒の躍動感。少しずつ冒してくる感覚は、身の毛がよだつ。
それでも、一気に進行するわけではない。外側から晶穂の神子の力がそれを食い止め、更に別の幾つもの力が加わっているように感じられる。
(俺自身が負けなければ、種から花開けば、この勝負は俺たちの勝ちだ)
だから、と何も見えない暗闇の中に光を探す。暖かな風の吹く方向へ、目を向ける。
(俺は、みんなと一緒にいたいんだ)
感覚の乏しい闇のうちから、小さな光の塊を見付ける。それが最後のピースだと確信し、リンは拾い上げて胸の前で光を握り締めた。
一方、現実では晶穂が懸命にリンへ力を使っている。そこに魔力補充のためにユキが付き、ジェイスたちは異変がないかを監視しながら彼女らを見守っていた。
「晶穂さん、ぼくの力も使って良いから」
「うん。ありがとう、ユキ」
氷の魔力を持つためか、ユキの体温は人よりも少しだけ低い。落ち着いた温度が晶穂の頭をクリアにしてくれ、力を入れ直す。
晶穂とユキ、そして水を操るジスターを見守っていたジェイスは、ふと隣に立つ克臣に声をかけた。
「克臣、どう思う?」
「何がだ?」
不意に尋ねられ、克臣は首をひねる。荒れ果てたとはいえ、ここはもともと聖域だ。何かあるとも思えない、そう思ったのも束の間だった。
「――そういうことかよ」
「そういうこと」
彼らの視線の先には、真っ黒な何かがいた。モサモサとした毛に覆われたような姿のそれは、しかし体毛ではない。妙にドロドロとした気味の悪い存在が、崩れ落ちた石の柱の間から顔を出している。
年少組も異変に気付き、顔を上げてギョッとした。
「何あれ!?」
「ユーギ、そっちだけじゃないよ!」
春直が見たのは、ジェイスたちとは反対の方向だ。そちらにも、大人のゴリラ程の大きさのある得体のしれないモノがこちらを見ていた。
「何だよ、あれ」
驚いてる耳や尻尾の毛を逆立てるユーギの前に、刀を手にした唯文が立つ。
「おおよそ、聖域だった時に追い出されていた負の力じゃないか? 光が強い程闇も強くなると言うから、何となくだけど」
「ってことは、あそこにいるのは銀の花と同じくらい強力な負の怪物ってこと……?」
「ヤバい奴だ」
春直とユーギが言い合い、ちらりと後方を見た。彼らとジェイスたちの間には、倒れたままのリンと彼を庇う晶穂とユキがいる。年少組三人は、彼らに目の前のモノを近付けさせてはいけないと目で合図し合った。
「わかってんだろうな、お前ら! 絶対通すなよ!」
その時、克臣が振り向かずに叫ぶ。色々な言葉が抜けているが、年少組には正確に伝わった。
「勿論です」
「絶対通すもんか!」
「ぼくらが、守り切ってみせます」
「……上等」
「だな」
はっきりと言い切る年少組に、年長者二人も背中を押される思いだ。クッと息だけで笑うと、同時に地を蹴った。
「みんな……っ」
「晶穂さん、ぼくらもぼくらがすべきことをしよう」
「うん」
左右広範囲から聞こえ始めたのは、仲間たちの戦闘音。晶穂の集中が途切れかけたが、ユキに励まされて深呼吸した。
激しい戦闘の中、ジスターの水の龍もまた空を舞っている。先程までは大地を潤すために全ての力を注いでいたが、今は半分の力を新たな敵へと向けているようだ。
「晶穂、ユキ。オレが全て請け負う。だから、リンを頼むぞ」
「はい」
「任せてよ。そっちは頼んだからね」
「……ああ」
ジスターの頬を、冷たい汗が一粒流れ落ちる。彼もまた、銀の花を咲かせるために魔力を使い続けているのだ。それでも弱音の一つも吐かないのは、彼なりの矜持だった。
(今まで、全部が中途半端だった。もうそんなことはしない。……あの頃のオレから変わるんだ)
ジスターは寄り添ってくれる阿形と吽形にぎこちない笑みを向けると、彼らに指示を出す。
「阿形、吽形。二人を守りたいんだ。……手伝ってくれるか?」
主の問いかけに、二頭が否を唱えることはない。それどころか、今回の頼みは二頭がやりたいことでもあった。そう思ったのは、もしかしたらジスターの思い違いだったかもしれない。
「……ふっ。しっぽ振ってるな、お前ら」
いつの間にか、魔獣たちは銀の華の仲間たちに懐いている。その変化が主であるジスター自身の変化とも重なっているなど、彼自身が知る由もない。
「頼む」
ジスターの指示を受け、魔獣たちは空へと飛び出す。ジェイスやユーギたちが対応し切れなかった敵の攻撃を受け流し、決してリンたちには近付けさせない。
「……わたしたちに敵うとでも?」
ジェイスは微笑み、大きな弓に矢を番えた。
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