開花への道筋

第701話 帰還

 突然、神木がザワリと音をたてて揺れた。その時風は吹いておらず、傍にいた晶穂たちは驚いて木を見上げる。

「一体、向こうで何が起きてるの……?」

「待つしかわたしたちには出来ないから、もどかしいな。晶穂、甘音の様子は?」

「眠ったまま、目覚めないですね」

 共にリンを見送ったはずの甘音は、前触れもなく神木に背中を預けて座り眠ってしまった。晶穂は彼女を見守っていたのだが、そろそろ不安になってくる。

(甘音も、向こうに行ってしまったリンも、無事だよね……?)

 唇を引き結び、晶穂は目を伏せる。今は祈ることしか出来ないが、絶対に大丈夫だと自分に言い聞かせた。

 そんな晶穂の頭に、ぽんっと大きな手が乗る。誰かと見上げれば、ニッと笑った克臣だった。

「……克臣さん」

「悲壮な顔してるぞ、晶穂。気持ちはわかるが、あいつなら絶対に大丈夫だ。お前をこんな形で置いていくわけないだろ?」

「はい……。そう、ですよね」

 克臣の言葉に気を奮い立たせた晶穂は、顔を上げて彼の顔を見る。少し赤らんでいるが、薄い青色の光は顕在だ。

「よし」

 晶穂が前を向いたことを喜び、克臣が再び彼女の頭を撫でる。ジェイスには「リンに怒られるよ」と笑われながら、その手は身内にするように優しい。

 そんな二人を見守っていた仲間たちだが、鳴り止まない木のざわめきに顔を見合わせる。ユーギが首を傾げ、神木を見上げた。

「……それにしても、あの揺れはなんだろう?」

「ずっと揺れてますよね。まさか、何か異常が?」

「魔力の流れの中に異常はないけど、木の中で何かが起こったのか?」

 ユーギに続き、唯文とジスターも口々に不安を口にする。その中にあって、ジェイスはじっと神木を見つめていた。

「ジェイスさん?」

「……ああ、春直。大丈夫、帰って来るようだ」

「帰って来る?」

 誰が、とわかりきったことを口にしかけた春直が目を見開く。

 その時、一際大きく神木が木の葉を揺らした。それでも一枚も葉が散らないのは、神木の魔力のせいかもしれない。

 神木の小さな虚が肥大化し、真っ黒な穴となる。人一人通れる程の大きさのそれがにわかに輝いたかと思うと、人影が現れた。

 光が失われると同時に虚は元の大きさとなり、人影が傾ぐ。

「――リンッ!」

「おっと」

 悲鳴に似た声を上げて晶穂が駆け付けるよりも早く、ジェイスがリンを抱き止めた。ほっと胸を撫で下ろした晶穂は、木の幹に背中を預けられたリンの顔をそっと覗き込む。

「……寝てるんですよね?」

「規則正しい寝息は聞こえるから、大丈夫」

「よかった……」

 ぺたんとその場にへたり込み、晶穂は目に涙をためる。目にかかったリンの前髪を指で払い、囁くように案じていたことを口にした。

「心配したんだよ、リン」

「ほんとにね。あ、でも、種は無事に手に入ったのかな?」

 ユキが、腰に手をあてながら首を傾げる。その疑問に応えたのは、全く予想だにしない方向からの声だった。

「だいじょうぶ。わたしがみとどけたよ」

「甘音! きみも戻ってきたんだね」

 パタパタと駆けて行ったユーギの視線の先に立っていた甘音は、にっこり微笑むと彼と手を繋いでリンのもとまでやって来た。そして膝を折ると、リンのバングルを指差す。

「みて」

 甘音が何やら呪文を唱えると、バングルが淡く輝いて徐々に光の強さを増す。あまりの眩しさに晶穂たちが目を瞑り、やがてそっと瞼を上げる。

「これっ……!」

「綺麗」

「いち、に……十個ある!」

 彼らの前に、円状に並んだ十個の種が現れていた。思わず叫んだユキに頷いた甘音は、隣で呆気に取られている晶穂に微笑みかけた。

「うん、じゅっこあるよ。あきほおねえさん、リンおにいさん、さいごのしれんもぶじにおえたよ」

「……うん、そうだね」

 よかった、と晶穂は呟く。

 しかし、これからが大切だ。そう口にしたのは克臣だった。

「俺たちは、この種を植えて花を咲かせないといけないだろ? 植える場所はあの花畑があった場所が良いだろうが、どうやって育てるんだ? 時間がかかるとしたら、それまでにリンに何もないという保証なんてないんじゃないか」

「確かに、克臣の言う通りだね。わたしたちは種を探して花を咲かせろと言われてきたけれど、咲かせる方法は知らなかったな。……甘音、きみは何か知っているかい?」

 ジェイスに問われ、甘音は「うん」と頷く。

「しってるよ。でもそのほうほうは、リンおにいさんにつたえてある。だから、おにいさんがめをさましたらおしえてもらって?」

「となると、少し休憩ってことになりますか?」

 ぐるっと周囲を見回した唯文が首を傾げる。リンがすぐに目覚める気配はなく、また試練で疲労もしているだろう。全員の体力回復の目的もあり、一旦休憩時間を取ることにした。

「あ、わたしが……」

 わたしが、みんなを癒します。そう言いかけた晶穂に全てを言わせなかったのは、彼女の口を自分の手で覆ったユキだった。

「晶穂さんも、休憩! 神庭なら敵に会うこともないし、とっても強い魔力に守られてる。兄さんの呪いも、力を抑えられると思うし。多分、この後も力を使うことはあるから、今はちょっとだけ力抜こう?」

「……ユキ、気遣ってくれてありがとう」

「どういたしまして」

 晶穂が礼を言うと、ユキはニッと笑ってその場を離れた。見れば、甘音と他の年少組たちで体を寄せ合ってじゃれている。

「……楽しそう」

 気持ちが温かくなり、晶穂は眠り続けているリンの横に座って足を伸ばした。勇気を出して肩が触れるまで近付き、少しだけ寄り掛かる。ふと見れば、グローブに包まれた手が無防備に力なく中途半端に開いていた。

「リン、種が集まってよかった。おめでとう」

 返答はなく、寝息だけが聞こえる。それでも、と晶穂はリンの手に触れた。服の一部が破れていることから、怪我をしたのだろうと推測される。しかし、魔種の自己治癒能力でほとんどの傷は塞がっていた。

(休ませてあげたいのに、ごめん。……早く、目を覚まして)

 相手は眠っているのだから、絶対にバレない。つい出来心で、晶穂はそっとリンの唇に自分のそれを触れさせた。その間、わずか数秒。

 触れるだけのキスは、ひそやかな秘め事。晶穂は己の行為を思い返し、一気に赤面した。

 この時、ジェイスと克臣は晶穂の行動に気付いていた。あえて声を出さなかったのは、年少組たちに悟らせないため。顔を見合わせ、目だけで合図し合った。

「……」

 それからしばらくして、不意にリンの瞼が震える。ぼんやりと目を覚ましたリンは、自分に寄り掛かって眠っている晶穂に気付いて目を細めた。手は彼女が握ってくれていて、寝起きでぼんやりとした頭では、温かさに安堵する気持ちが勝る。

「――……あき、ほ?」

「あ……。お帰りなさい、リン」

 目を覚ました晶穂が小さく微笑み、リンはその柔らかな表情を見て帰って来たのだと実感した。

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