第693話 女神の放つ光の矢
ジェイスや克臣たちが孔雀の猛攻に手を焼いていた時、晶穂と春直はヴィルアルトと対峙していた。彼女の目的は、自分たちの足止めか、晶穂は先に行ったリンたちのことを思いながらも氷華を握り締める。
(わたしたちは、ここを終わらせなくちゃ)
ヒュッと飛んで来た光の矢を間一髪で躱し、晶穂は追撃を避け続けて、目の前に来たものを氷華で叩き落とす。銀の華に出会うまで戦闘経験など皆無だったが、経験を積み重ねてきたことでこれくらいならば対応可能だ。
しかし、ホッとする暇などなかった。いつの間に死角に入り込んでいたのか、背後から飛んで来た矢を躱し損ねて袖の一部が裂ける。
「――ッ」
「晶穂さん!」
「大丈夫だよ、春直。……これくらい」
生地と共に肌も傷付き、白い袖が赤く染まっていく。顔を青くする春直を安心させようと、晶穂は顔を歪めないように微笑んだ。しかしそれは完全ではなく、痛いものは痛い。
「意外と、切れてたみたい」
「袖赤くなってます! し、止血を……」
「後でいいよ、春直。今は、戦いに集中しなくちゃ」
じくじくと二の腕が痛むが、涙をぐっと堪えた晶穂は氷華の石突を地面に突き立てた。そして、向き合うべきヴィルアルトの瞳を正視する。
「リンたちが種を手に入れるために、ヴィルさんをこれ以上行かせるわけにはいかない」
「でも、それで怪我をしていてはいけませんね。それに……足止めされているのはどちらでしょうか」
「煽ってきますね、女神様」
操血術を解放した春直が、眉をひそめて呻く。それに「褒め言葉として受け取っておきますね」と微笑んだヴィルアルトは、その美しい容貌に穏やかな戦意を忍ばせて弓を引く。
「たった二人で、私から勝ちを奪うことなど出来ませんよ」
「……勝てなくても、負けなければわたしたちの勝ちだから」
「ふぅん?」
余裕たっぷりの顔で微笑するヴィルアルトに、晶穂は悔しさを覚えつつも深呼吸する。彼女自身が言った通り、ここで勝負をつける必要はない。突破すればそれでいいのだ。
「春直」
「晶穂さん」
互いの存在を確かめ、二人は真っ直ぐに前を向く。
春直の両手の爪が紅く染まり、長く伸びて怪しく光る。操血術を展開し、いつでも走り出せるようにヴィルアルトの動向を窺う。
晶穂もまた、氷華を握り締めて己の中の神子の力を武器に移していく。背後からは、光の攻防が衝撃音と共に感じられる。時折混じる仲間の声に身を奮い立たせ、ヴィルアルトの光の矢が放たれた瞬間に地を蹴った。
「くっ」
キンッという金属音が耳元で鳴る。それが自分の矛が矢を叩き落した音だと気付いて、晶穂はわずかに唇の端を上げた。
「――晶穂さん、避けて!」
「はるっ」
名前を呼び終える間もなく、晶穂は求められていることを察してその場を飛び退く。すると先程まで晶穂のいたところを、真っすぐに赤い糸が走って行った。それはヴィルアルトの前で大きな網状に広がり、彼女を捕らえようと覆い被さる。
「――これくらいっ」
ヴィルアルトの力をもってすれば、これくらいの罠から逃れることは容易い。近過ぎて弓は使えないため、手のひらに創り出した光の弾と網をぶつけて網を粉砕する。
パァンッという風船が弾けるような音が響き、辺りを白い光が包み込んだ。
「……あら、やられましたね」
光が落ち着いて周囲が見えるようになってから、ヴィルアルトは自身の失態に気付いた。その場には、彼女と彼女の使徒である孔雀しかいない。孔雀を相手にしていた克臣たちも、ヴィルアルトと対峙していた晶穂たちも姿を消した。
耳を済ませれば、遠退いて行く足音が聞こえて来る。どうやら、光に紛れてこの場を逃げ出したらしい。
(意図した撤退。……いえ、撤退ではありませんね。けれど、逃げられてしまいましたか)
ヴィルアルトはそれ程残念そうに見えない表情で、顔を寄せてきた孔雀の首を撫でた。よしよしと撫でてやると、孔雀は気持ちよさそうに目を閉じる。
「私たちの役割はこれで終わり、でしょうか。与えられた役目は全て全うすることが出来たと思いますが。……甘音、あとはお任せしましたよ」
彼女の視線の先にあるのは、神庭を覆い尽くす木々の波。普段は静かで少しの物音も響く森が、今日はやけに騒々しい。
「リン、貴方の力を見せて下さい。そうすれば、望むものが手に入るでしょう」
ヴィルアルトが孔雀の怪我に手のひらをかざすと、孔雀の傷がすんなりと治ってしまう。痛みのなくなった孔雀は一声鳴くと、ヴィルアルトの手のひらへと戻る。白い玉へ戻った孔雀を優しく握り締め、そっと「ありがとう」と呟く。
自分以外誰もいないはずのその場所で、ヴィルアルトはクスッと微笑んだ。後ろを振り返り、とある木陰に近付いて行く。木の手前の草むらの前にしゃがみ、ねえと話しかける。
「……あなたはずっとそこにいて良いのかしら、シン?」
「ばれちゃったかぁ」
バレてしまったものは仕方がない。草むらに隠れていたシンは、素直にヴィルアルトの前に姿を現した。その容姿は子どもの竜のそれで、ふわふわと宙に浮いている。
「シン、という名でしたね。貴方は仲間と一緒に行かなくて良いのですか?」
「行きたいよ。行きたいけど、森の中じゃ、ボクの力は発揮出来ない。それに、目的地に送って行ったら一度帰って来るように言われてるんだ」
「そう。なら、みんなと同じように光に乗じて飛び去ればよかったんじゃないかしら……?」
そもそも、シンがここに残る理由はない。リンたちの帰りをここで待つということも考えられたが、自身で戻るように言われていると言うのだから確実に留まる理由はないのだ。不思議に思ったヴィルアルトが尋ねると、シンはいつもよりも真剣な顔をして「あのさ」と女神を見つめた。
「訊きたいことがあるんだ、女神様。何でも知ってるんでしょう?」
「何でも、とは言い切れないけれど。私にわかることならば、答えます」
「ありがとう」
くるりとその場で一回転したシンは、ヴィルアルトの目線の高さに自分の位置を合わせて口を開く。
「――どうして、リンをいじめるの?」
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