第686話 膝枕

 一方、リンは殿を務めた兄貴分たちの安否を気にしながら一つ前の船に乗り込んでいた。港に走り込んだところ、丁度寄港した客船がソディリスラ行きだったのだ。

 客室はフリーで、リンたちは空いていた一部屋を占拠する。客室は一部屋に二つの区画が割り当てられ、リンと晶穂は手前の部屋にいた。ユーギとユキが甲板に出て行き、唯文と春直は奥の部屋で休んでいる。

 空になったコップをテーブルに置き、リンは軽く息をつく。船で海の上に出てしまえば、国を出てしまえばスカドゥラ王国の連中は追って来ない。それはわかっていても、消耗を感じていた。

「……ジェイスさんたち、大丈夫だよな」

「あの人たちのことだから、大丈夫だよ。それに、わたしたちが無事にソディリスラに着かないと殿を務めてもらったお礼にもならないよ」

「その通りだな」

 くっと笑い、リンはぼんやりと窓の外を眺める。窓からは空と海しか見えず、既にスカドゥラ王国の大地は遠退いていた。

 くぁ、とリンが欠伸をする。それを見て、向かい側に座っていた晶穂は目を細めた。

「……ソディリスラに着くまで、一時間はかかるよな」

「さっき、アナウンスで言っていたね。寝てても良いよ? その間、わたしが見張りしてるし。奥には春直と唯文もいてくれてるし」

「……じゃあ、一つ頼んでも良いか?」

「見張り? もちろ……」

「そうじゃない。こっち、来てくれ」

 来い来いと手招くリンに応じ、晶穂は移動して彼の隣に腰掛ける。適度な柔らかさを持つクッションの置かれた椅子は、長時間座っても体を傷めないものとなっていた。

 晶穂が座ると、リンは数秒躊躇った後に小さな声で「膝を貸して欲しい」と囁いた。

「――っ」

「――っ、やっぱりいい! やめる。晶穂、今の戯言は聞き流し……」

 精一杯のリンの甘えは、晶穂が無言で真っ赤になってしまったことで後悔へと変更された。彼女の赤面につられて赤面したリンは、視界を窓の向こうに固定してなかったことにしようとした。

 しかし、直後に耳元に聞こえた言葉に耳を疑うことになる。ギギギとテーブルを動かす音がして、振り返る前に事は起こった。

「……いい、よ? リンだから」

「あ、き……っ!?」

 甘い声に心臓が大きく跳ねた直後、リンの肩に誰かの手が置かれる。そのまま背中から倒され、柔らかいものの上に着地する。目の前にはテーブルの足が見えていたが、鼻腔をくすぐる甘い匂いにリンの恥ずかしさが最高点に達した。

「晶穂、しなくていいっ。眠ってしまったら……」

「眠ってていいよ。三十分したら起こすから……休んでて」

 起き上がろうとしたリンだったが、晶穂に肩を押さえられて動けない。勿論、実際の筋力で晶穂がリンに勝つはずもない。それでも動けなかったのは、リンの気持ちがそうさせなかったからに他ならない。

「……ありがとう。起こせよ?」

「うん。おやすみなさい、リン」

「……」

 とん、とん、とん。ゆっくりとしたリズムを刻みながら、晶穂はリンの肩を軽くたたく。子どもをあやすのと同じで、彼女は施設にいた頃からよくやっていた。小さな子どもと同じ扱いをしてはいけないなと思いつつも、静かに目を閉じているリンの労を少しでもねぎらいたかった。

(寝られないと思ったけど、体温が丁度いい……)

 リンは定まらない思考を手放しかけていた。恋人の膝を借りたいという大それたことを口を滑らせて言ってしまったが、とろとろと眠りそうになっている今はもうどうでも良い。

「……あきほ」

「ふぁっ」

 意識を手放したリンの囁くような呟きは、息を伴って晶穂の膝に触れる。その瞬間、晶穂は口元を両手で押さえた。変な声が出そうになった自分に驚き、それを抑えることが目的だ。しかしそれは十分に出来ず、恨めしさを覚えて膝の上を見下ろす。

「……リン」

 そっと前髪をかき上げれば、完全に眠ってしまったリンの寝顔がある。眉間のしわに指先で触れ、伸ばした。

「……あと一つ。必ず、手に入れよう」

 数回だけ、トントンと肩を撫でるようにたたく。それから晶穂は、一時の穏やかさを噛み締めるように窓の外の海を眺めていた。


 それから二十分後のこと。客室に戻って来たユキとユーギが見たのは、眠ってしまった晶穂とリンにブランケットをかける春直と唯文の姿だった。

「――ああ、お帰り。二人共」

「ただいま。……って、兄さんも晶穂さんも寝てるの?」

「そうみたいなんだ。船が港に着くまではまだ時間があるし、寝かしておいてあげようって話していたところだよ」

「……二人共、疲れてるもんね」

 頷き合い、年少組は二人から離れてもう一つの部屋へと進む。ドアについているフックを壁の突起に引っ掛けておけば、勝手に締まる心配はない。

 四人はドアを開けていつでもリンと晶穂様子を見られるようにして、唯文の持つ端末でジェイスに連絡を取った。数コールの後、電話口から声が聞こえて来る。

『唯文? ソディリスラに着いたのかい?』

「ジェイスさん。いえ、まだです。ただ、全員無事だと伝えておこうと思いまして」

 そう言うと、ジェイスはわずかに笑ったようだった。そうかいと言うと、自分たちのことも教えてくれる。

『わたしも、克臣とジスターと三人で乗船したよ。おそらく、みんなの次の船だろうね』

「わかりました。港に着いたら、また連絡します。その時、何処で落ち合うか決めましょう。どれくらいの差があるかもわかりませんし」

『賛成。……ところで、リンは? そこにはいないのかい?』

 至極当然のジェイスの疑問に、年少組は顔を見合わせて声を潜め笑い合った。その反応だけで、ジェイスたちにも察しがついたらしい。通話口に、克臣の声が聞こえてきた。

『到着まで寝かせてやれよ? あと一つ、全力で挑まないといけないだろうからな』

「勿論だよ。あ、後で写真撮って送ってあげるよ」

『絶対バレるなよ? 楽しみにしてるから』

「うん」

 ユーギが通話を切り、早速端末を持ったままで眠っているリンと晶穂に近付く。更に、テーブルと二人の間の隙間に滑り込んだ。そして、よく眠ってることを確かめてから二回シャッターを切った。

「……よし」

 満足したユーギが部屋に戻り、三人に写真を見せる。そこには、椅子に背中を預けて眠る晶穂と彼女の膝に頭を載せて眠るリンがしっかりと収められていた。


 リンと晶穂が目覚めたのは、船が寄港する十分前だった。ユーギが写真を撮っていたことはその時バレなかったが、後に明らかになってしまうことになる。

 無事にソディリスラに帰って来たリンたちは、その三十分後にジェイスたちと合流した。

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