第683話 執拗な追跡

 ユキとユーギの目の前が、白に包まれた。さらりと揺れたそれに、二人は詰めていた息を吐き出して名を呼ぶ。

「ジェイスさん……!」

「助かった……」

「二人共、リンのところまで走って。これ以上は、進ませないから」

 微笑んだジェイスは、咄嗟に創り上げたナイフの柄を持つ手を翻す。そして受け止めていた細身の剣を弾き返した。

「くっ」

「噂をすればっていうことかな、ベアリーさん」

 ジェイスに一閃を封じられたベアリーは、大きく舌打ちをして距離を取る。彼女の後ろからは、武器を手にした兵士たちが十人程やって来ていた。彼らは、ベアリーがメイデアより貸し与えられた兵士たちだ。

「……私の名を知っているのか?」

「有名ですよ。有能な女王様の側近だと」

 ベアリーは一度も名乗っていないはずなのにと首を傾げるが、ジェイスはにこやかに応じてみせた。勿論、彼女の記憶から抹消された消えた日々の中で名乗っているのだが。

 しかし、彼女の名をちまたでよく聞いたことも事実。女王の側近として敏腕の彼女を、仕事の手本としているという声も聞いた。

「ここに来るまでに、貴女が有能だと褒める声を何度も聞きました。しかしそんな貴女が、何故わたしたちを襲っているのでしょう?」

「メイデア陛下の命に従っているだけだ。あの方の愁いを取り除くために、私はここにいる」

 端的に言い放ったベアリーは、後ろに控える兵士たちへ命令を飛ばした。

「お前たち、あいつらを逃がすな! 一人残らず捕らえて、陛下への手土産とせよ!」

「はっ!」

 命令を受けた兵士たちは二つのグループに分かれた。片方はベアリーについて行ってジェイスたちを遮り、もう片方はリンたちを追って駆け出す。

「速いな。――リン!」

「はい!」

「全力で走れ! ここは俺たちが食い止める」

「……っ、わかりました!」

 一瞬躊躇いかけたリンを、克臣が視線だけでその思考を遮った。リンは頭を切り替え、傍を走っていた晶穂の手を掴み、ユキたちに呼び掛ける。

「行くぞ! 殿しんがりは大丈夫だ!」

「うん!」

「克臣さんたち、待ってるよ!」

「わーてるから、さっさと行け」

 しっしっと右手で追い払う仕草をする克臣にニッと笑いかけ、ユーギたちは走る速度を上げる。彼ら四人の後ろをリンと晶穂、そしてジスターが駆け出す。

 それを見て、ベアリーが更に指示を出そうと口を開く。その目の前に、ジェイスが半透明のナイフを突き付けた。

「貴女の相手は、わたしたちだよ」

「っ……涼しい顔して、しっかり脅すんだな」

「それはお互い様だろう?」

 微笑みつつ、ジェイスの目に喜色はない。冷たい眼光に、ベアリーは武者震いした。


 一方、リンたちもまた背後に迫るベアリーの部下たちと追いかけっこをしている。現実は生死を賭けたものであり、可愛さの欠片もないが。

「ユキ、次を右だ!」

「了解っ」

 リンは直前に見た地図の記憶を頼りに、港への道筋を辿る。ユキたちはそんな彼の指示に従い、器用に往来する人々を躱して行く。

(やっぱり、港に近付く毎に人通りが増えるな。人目が増えればこいつらも手を緩めるかと思ったが……)

 どうやら、そうではないらしい。人通りが増えてきても、軍の者たちは足を緩めない。流石に走りながらの発砲はしてこないが、リンたちを追跡し続ける。

「わっ」

 人通りがなくなった途端、一人が発砲した。その弾丸が晶穂の足元に着弾し、驚いた晶穂の足が絡まる。悲鳴を上げバランスを崩した晶穂を支えたリンは、先を行っているはずのユキたちの金切り声を聞いた。

「兄さん、晶穂さん!」

「後ろ!」

「――っ」

 気付いた時には、既に刃が首筋に迫っていた。

(こいつら、殺さないんじゃなかったのか!?)

 咄嗟に抵抗出来ず固まるリンの目に、白銀の刃とやけに白い敵の歯が映る。

 万事休すかと覚悟したその時、リンの視界を水流が満たす。

「二人共、立つんだ! 早く!」

「ジスター、さん……?」

「いつの間に」

 リンと晶穂が息を呑む前で、ジスターが水流をまとって敵の剣を受け止めていた。彼の手には愛用の細身の剣が握られ、敵を弾き飛ばす。

 慌てて立ち上がったリンと晶穂に、ジスターは不器用な笑みを向けた。

「ここは、オレが引き受ける。お前らは船に先に乗れ」

「ジスターさん!?」

「止まっている暇はない。……ジスターさん、ジェイスさんと克臣さんと一緒に、必ず追いついて下さい」

「勿論。時間稼ぎくらいは出来るさ」

 ふっと笑ったジスターは、その背後にわいた殺気に反応して振り向きざまに剣を振るう。剣の石突部分で相手の鳩尾みぞおちを突き、一人倒す。

 更にもう一人も剣の腹で薙ぎ払い、リンたちが曲がり角を曲がるのを見届けた。

「よし」

「何が『よし』だ? 俺らを一人で相手にして、勝てるわけ無いだろうが」

 ケラケラと笑う軍人たちに、ジスターはふっと笑ってみせた。

「一人? 違うさ」

「は?」

「阿形、吽形」

 ジスターの呼び掛けに応じ、何処からか水をまとった魔獣たちが姿を現す。水でできた二頭は、軍人たちを透き通った目で睨み付ける。

「……!?」

「こいつらと一緒だから、勝つさ。約束したからな」

「この若造がっ」

 四十代と思しき軍官が部下たちに指示し、ジスターに向かって男たちが殺到する。その中にあって、ジスターは冷静に剣を構え直した。

「……あいつらに顔向け出来ないことは、しないと決めているんだ」

 阿形と吽形がそれぞれ地面を蹴り、もう一つの殿戦も始まった。

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