最後の種と殿戦

第682話 女王の命令

 スカドゥラ王国の王城の中でも、メイデアの執務室は緊迫感が漂っていた。肩に付かない長さの金髪を揺らしつつ、彼女の鋭い紺色の眼光は書類に注がれている。

「……ベアリー、そちらの書類を取ってくれる? そう、それ」

「はい。陛下、どうぞ」

「助かる。では、これを届けるのも頼もうか」

「承知しました」

 毎日のことながら、メイデアの女王としての手腕は素晴らしい。ベアリーは心の底から女王を敬愛しつつ、ふと昨日のアンバーダリオでの出来事を思い出していた。

 何処かで見たことのあるような気がする、けれど見覚えのない不思議な青年たち。彼らがあの奇妙な大砲を壊し、アンバーダリオの危機を守った。その貢献に感謝をしなければならないが、ベアリーは己の力で女王の命令を遂行出来なかったことを今でも悔やんでいる。

(あいつらは一体、何者だ? 少数だったとはいえ、我らスカドゥラの軍隊がおくれを取るなんて、許されない)

 表面上はいつも通りポーカーフェイスで、内心は腸が煮えくり返る思いでメイデアの命令を遂行したベアリーは、静かに女王の執務室へと戻った。

「戻りました、陛下」

「ああ、流石早いな」

「ありがとうございます」

 丁寧に腰を折れば、メイデアがこちらに何かを差し出してくる。顔を上げて受け取ると、それは先日ベアリーが提出した報告書だった。

「先日私が提出したものですね」

「その通り。これを読んで、私はここしばらくの違和感の正体がわかった気がするのだ」

「……違和感?」

「そう、記憶の違和感だ」

「確か、以前にもそうおっしゃっておられましたね。一部の記憶に、不確かなところがあると」

「その通り」

 あの時からだ。メイデアは持っていたペンをくるりと回す。

「私は、大きな作戦を決行していたはずだ。それにもかかわらず、誰もがそれをないと言う。誰に尋ねてもその日の記憶はきちんとあり、しかし私とは別物だ」

 お前もそうだったな、とメイデアはベアリーに尋ねる。それに対し、ベアリーは「はい」と頷いた。

「あの日、朝から兵舎での訓練を視察しました。私の記憶違いであることを鑑みて記録を調べ聞き込みも行いましたが、間違いありません」

「わかっている。こんな完璧な隠蔽工作、誰にでもなし得ることではない」

 だから、とメイデアは身を乗り出す。爛々と輝く両の眼には、新たな獲物を見付けた獣のような光がある。

「ベアリー、お前が出会った者たちの力量を確かめてきて欲しい。可能ならば、一人でも捕らえてここへ連れて来い。ただし、無茶はするな」

「……失礼ながら、陛下は私を見くびっておられますか? 不詳、ベアリー。そのへんの武人には勝つ自負があります」

「わかっているさ、誰よりも。ただ、念の為だ」

「……承知しました。必ずや」

 ベアリーは一礼すると、踵を返して執務室を出て行く。その背中を見送り、メイデアは「さて」と背後の窓の外を見た。

「お前たちの口から、私の欠けた記憶を引きずり出してやろう。覚悟しておけ」

 先程まで晴れ渡っていた空に、黒い雲が湧き出す。もうすぐ天気が変わるなと思いながら、メイデアは仕事を続けた。




 一方、リンたちは一晩宿で休んで港へ向かうことにした。スカドゥラ王国からソディリスラへと渡る船は、王都からしか出ていない。

「まずは、王都へ戻らないと」

「ベアリーつったか。あいつとまた出会わないよう、気を付けて行かないといけないな」

「そうですね。……厄介事には巻き込まれたくありませんから」

 克臣の言葉に頷いたリンだが、彼らの気持ちは他のメンバーと同じだった。

 ベアリーと彼女の上司たるスカドゥラ王国の女王メイデアは、神庭をめぐって銀の華と戦いを繰り広げた過去がある。

 しかし、彼女たちにその記憶はない。何故ならば、銀の華と神庭に関する記憶を消されているからだ。姫神である甘音の力により、記憶の箱は固く蓋を閉じられている。

 それでも万が一を考え、リンたちはメイデアたちと接触しないようにしてきた。何かの拍子に記憶が蘇ってはいけない。

「ですが、接触はしてしまいましたからね。ベアリーのことですから、メイデアには報告しているでしょうし」

 晶穂が不安を口にすると、ユーギも大きく頷く。

「女王様、おっかなかったもんね。軍隊も使われたら、こっちには不利だよ」

「国を相手にするのはもう良いかな。こちらには、時間もないしね」

「ええ、そうですね。……この国を早く出ましょう」

 気持ちは逸っても、王都までは半日以上かかる。何があっても対応出来るよう、慌てず急いで移動した。


「……あれ、何だろう?」

 それは、港町でもあるレディーサが目と鼻の先という距離に来た時のこと。一行の先頭を歩いていたユキとユーギが、道の真ん中に立つ誰かがいることに気付いた。その人物との距離は、数百メートルほど。

「なんか、近付いたらいけない気がする」

「だね。兄さんたちに報告……」

 後から来る仲間たちの方を向いた瞬間、獣人の危機察知能力を持つユーギが咄嗟にユキの手を取った。驚く間も与えず、リンたちの方へ走る。

「ちょっ、ユーギ!」

「走って、ユキ! あれは、やばい」

「あれって……っ!?」

 走りながら振り返ったユーギは、ぎょっとした。あんなに遠くにいたと思った人影が、あと五メートルもない場所にいる。こちらへ向かって走って来ている。そして、その後ろからは武器を持った十数人の姿も見えていた。

 自分たちを追って来る者の正体に、ユキは気付いた。今、最も会いたくなかった人物の一人だと察し、血の気が引くのを自覚する。

「もしかして、あれって」

「たぶんそうだ! あ、だんちょ……」

「死ねえっ!」

 ――ガンッ

 女の怨念に満ちた叫びと同時に、ユキとユーギの視界が白く染まった。

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