第660話 スカドゥラの港へと

 幸いにも、波は穏やかだ。ウミネコに似た海鳥が船と並走し、やがて追い抜いていく。水面には時折魚の影が映り、ぴょんと跳ねるものもいた。

 甲板にいる年少組は、突然始まる海のショーを見詰めている。

「あ、跳んだ!」

「春直、危ないってば!」

「猫だもんな。そりゃ、魚には飛びつくだろ」

「ユーギ、しっかり捕まえててよ」

 ユキに言われ、ユーギは「わかった」と春直の腰にしがみつく。それに驚き、春直がしっぽをぴんと伸ばした。

「……平和だな、なんか」

「彼らくらいはああやって遊んでくれていた方が良い」

 離れたところから年少組を見守る克臣とジェイスはそう言い合い、机の上の地図に目を落とす。現在、ジスターを講師にしてスカドゥラ王国の地理を勉強中なのだ。

「オレ、本当に兄たちにくっついて行ってただけですよ」

 そう謙遜しつつ、ジスターは地理を正確に覚えていた。町の位置関係、町の雰囲気から種がありそうな怪しい場所まで。正確なところは地元の者に聞くべきだろうが、かなり場所を絞ることが出来そうだ。

「少なくとも、王都は外したいよな。あちらさんがどれくらい俺たちのことを覚えているか、わからんしな」

「記憶を消すの力を信じていないわけではないけれど、私たちを見て記憶が戻ったら本末転倒だしね」

「……今は、出来る限り他の事に気を向けている暇はありませんからね」

 晶穂が言い、皆が頷く。

 スカドゥラ王国とは因縁があるが、それは王国上層部とだけのこと。一般人には関係のないことだ。上層部との接触さえなければ、面倒ごとは起こらない。

 それから数分後、ジスターは己の分かる範囲の説明を終えた。ふう、と肩の力を抜く。

「……という感じですかね。参考くらいにはなりましたか?」

「ああ、助かったよ。ジスター」

 ありがとう。リンが言うと、ジスターは照れくさそうに笑った。

「役に立ったなら良かった。……ああ、もうすぐ着くみたいだな」

 ジスターの言う通り、船が汽笛を鳴らした。あと十分程で港に到着するらしい。

 汽笛を聞き、甲板の先の方にいた年少組がこちらへと走って来る。船が揺れるため、慎重にではあるが。

「団長、何処に行くか決められましたか?」

 最初にやって来た唯文に問われ、リンは少し困った顔をした。

「決まっては、いないな。守護が俺に合図をくれれば一番だが、情報はないからそれを得ることからかな」

「なら、情報収集からということですか?」

「そうなる。正直、全くの未知の土地だから、あまり無理は出来ないけどな」

 王国の指導者たちに見付からないよう、細心の注意を払いながらの旅だ。今までのようにはいかないだろう。そんな気持ちを含んでの答えだったが、唯文が何かを言う前に横槍が入る。

「兄さん、ぼくらがいること忘れないでよ?」

「そうそう! みんなでやれば無敵だよ!」

「ユキ、ユーギ……」

 ぐっと拳を握り締める二人に見上げられ、リンは息を呑む。更にもう一人、ひょこっと顔を見せた。

「そうですよ。多少の無理なんて、今までどれだけしてきたと思ってるんですか? ぼくらは団長と一緒なら何処へだって行きます」

「春直」

「……そういうことです。未知の土地でも敵陣でも、全員無事に買えるんですから」

 春直に続き、少々照れくさそうに唯文が笑う。笑いながらも、そこには確固たる意志がある。

 年少組の気持ちを知り、リンはくすぐったいような気持で笑みを浮かべた。

「唯文も。お前ら、たくましくなったな」

「ね。だから、リン。大丈夫だよ」

「……だな」

 晶穂にまで言われては、リンは白旗を揚げざるを得ない。カッコ悪いかもしれないけど、と仲間に向き直る。

「もう少しだけ、力を貸して欲しい。俺は、こんなものに負けたくない」

「……そのために、オレたちはここにいるんだ」

 遠慮がちに、ただしはっきりとジスターが言う。すると彼の肩に克臣が手をまわし、嬉しそうに「先越されたな」と笑う。

「ってこった。そこんとこ、リンは忘れがちだからな。何度でも言ってやればいいと思うぜ。な、ジェイス」

「わたしに同意を求めるのかい? 銀の華のメンバーはみんな、一度や二度じゃきかないくらいには無茶しているだろう。互いに助け合えば、乗り越えられないことはないよ、きっとね」

「そこは絶対って言えよ、ジェイス」

「限りなく絶対に近いとは思ってるさ」

 ふふと笑うジェイスは、今更照れているリンの頭を軽く撫でると「さあ」と仲間を見渡した。

「もうすぐ港に降りるよ。忘れ物がないようにね」

「よーし、レッツゴーだね!」

 ぐっとユキが拳を突き上げるのと同時に、最後の汽笛が大きな音を鳴らした。あと五分もしないうちに港へ到着するというアナウンスだ。




 同じ頃、スカドゥラ王国では女王であるメイデアが、てきぱきと仕事を片付けていた。彼女の傍に控えるベアリーは、その惚れ惚れとする手際を眺めつつも手はきちんと動いている。

「メイデア様」

 そこへ、大臣の一人がやって来た。地方の報告書をまとめ、毎月この日に持って来ることが決まっている。報告書は辞書ほどの厚さがあり、メイデアも読むのに何日も要するものだ。

 メイデアは手を止めペンを置くと、その大臣を見た。

「今月の報告書か」

「はい。各地域から提出されてきたものをここにまとめております」

「わかった」

 頷き、メイデアは自らそれを受け取った。流石に片手では落とす危険性があるため、立ち上がって両手で受け取る。ずっしりとした重さがあり、ゆっくりと机の上に置いた。

 大臣が下がり、メイデアは片付けた書類の山を積み上げた横で報告書を開く。毎回受け取った直後、最初だけは読むようにしているのだ。最初には、短く各地域の現状をまとめてある。あらすじのようなものだ。

「……」

「……」

 時計の秒針の音だけが響く室内に、時折ページをめくる音が混ざる。

「……西の地方で、不可思議な現象が多発しているのか」

 メイデアの呟きと同時に、時計がボーンと時刻を告げた。

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