第657話 デザートはカロッタ

 日の光がカーテンの隙間から射し込み、朝の訪れを告げる。リンはぼんやりと瞼を上げ、無意識に伸びをした。するとシャツが何かに引っ張られる感覚があり、そちらを見れば晶穂の寝顔がある。あまりにも無防備なその姿に、胸の奥がざわめいた。

(そうか、俺はあのままここで寝たのか)

 昨晩水を飲みに来たついでにソファで眠る晶穂の寝顔を見て、無意識の彼女にシャツを掴まれたままで離れることが出来なくなった。仕方なくその横に寝転がり、そのまま朝を迎えたのだ。

 リンは晶穂を刺激しないようにと体を起こし、ベッド代わりとなったソファに腰掛ける。それから体をひねり、晶穂の肩を揺すった。

「晶穂、起きろ。朝だ」

「んぅ……。あれ、リン? どうして」

 眠気眼をこする晶穂は、充分に目覚めないままでぼーっとしている。彼女右手の指はまだリンのシャツを掴んでいるため、リンの内心は戸惑いが強い。パジャマ代わりの大きめのワンピースに緩めのズボンを穿いた姿でぼんやりとされては、理性で己を律するのに手間取る。

 リンは何度か深呼吸して心臓を落ち着かせると、そっと晶穂の指をシャツから離させて立ち上がった。

「ちょっとな。そろそろ他の奴らも起きてくるだろうから、俺たちも支度しよう」

「うん。……リン」

「何だ?」

 くるりと振り返ると、晶穂がソファの上で足を崩してぺたんと座ってこちらを見上げている。

「隣にいてくれて、ありがと」

「……ああ」

 へらっと微笑んだ晶穂は、まだ覚醒していないのだろう。リンは胸の奥がざわめくのを無視し、着替えて顔を洗うためにその場を離れた。

「……あ」

 リンがいなくなった後、覚醒した晶穂が顔を真っ赤にして突っ伏した。それを知っているのは、リンと入れ替わりに居間にやって来たジェイスだけである。

「おや、おはよう。晶穂、よく眠れたかな?」

「お、おはようございます。ジェイスさん……」

「顔が赤いけど、熱でも……ああ、違うか」

「そんな、全てを察したみたいな顔しないで下さい……」

「二人とも可愛いのが悪いだろう」

 にこにこと微笑んだジェイスは、恥ずかしがる晶穂の頭を軽く撫でてからキッチンに移動した。先ほどすれ違ったリンも、彼女のように顔を赤くしていた。

(この子たちは、本当に見ていて飽きないな)

 起き出して毛布を畳む晶穂の姿を眺めながら、ジェイスは簡単な朝食を作るために思考を巡らせた。


「おはよう」

「おはようございます。ヴェルドさん、もう起きて大丈夫なんですか?」

 賑やかな朝食の支度が整いかけた頃、アルシナとジュングと共にヴェルドが顔を見せた。食器を並べていた晶穂が問うと、彼は「ああ」と頷く。

「ずっと寝ていたからな。まだ体がついて来ないような感覚はあるが、これは感覚を取り戻すしかないだろう」

「これから、義父さんには僕の鍛錬に付き合ってもらうから。そうすれば、感覚が早く戻って来るかもしれないだろ?」

「お手柔らかに頼むよ、ジュング」

「そうだよ。本調子なんて程遠いんだから」

 アルシナも加わり、和やかな会話が展開された。三人の後ろからやって来たニーザが、ヴェルドの背をパンッと叩く。

「全く、お前さんは幸せ者だよ。少しずつ食べられる量を増やして、また元気に働いてくれれば良い」

「ニーザさん、人使いが荒いんですが……」

 苦笑いを浮かべるヴェルドを追い越し、ニーザはキッチンに立つジェイスとリンに「ありがとう」と笑みを向けた。

「朝食、作らせてしまったね」

「いいえ。お世話になりましたから、これでは足りないくらいですよ」

 シェイズがにこやかに応じ、リンも頷く。

 テーブルにはユーギたちが焼いたトーストとジャム、サラダとスクランブルエッグが並んだ。更に、ニーザが庭で採れたという柿に似た果物を切って持ってきた。王林に似た黄緑色をしているが、これで完熟だという。

 シャクシャクと果物をかじり、年少組が口々に「おいしい!」と言い合う。リンたちも皿に手を伸ばし、一切れずつ食べてみる。

「おいしい。思った以上に瑞々しいですね」

「柿みたいな味かと思ったけど、もっと淡白?」

「梨に近い……かな。ニーザさん、美味しいです」

「だろう? ここいらでしか栽培されていない、珍しい果物だ。カロッタというんだ」

 客人たちが美味しそうに食べるのを眺め、ニーザは嬉しそうに教えてくれた。竜化国特産の果物で、輸出するほどの量は採れないのだとか。

「カロッタ……。ニーザさん、もう一切れ貰っても?」

「克臣さん、ずるい。ぼくも!」

 そうやって、いつものような食卓が続く。やがて皿の中身が全てなくなり片付けも済んだ後、一息ついた一行は出発をニーザたちに告げた。

 ニーザは寂しそうに視線を落としたが、すぐに柔らかく微笑んでみせた。

「もっといても良いんだよと言いたいが、早く種を集めてしまいなさい。そして、ゆっくり遊びにおいで」

「次来た時は、私がカロッタのパイを焼いてあげる!」

「楽しみにしているよ、アルシナ」

 ジェイスとアルシナが笑い合い、その様子をジュングが複雑そうな顔で眺めている。そんな息子に気付き、ヴェルドは何も言わずに頭を撫でてやった。

「……何だよ?」

「何でもないよ」

 何処かすねたように顔を背けるジュングの姿に、ヴェルドは彼の成長を感じていた。そして、竜人として短いとはいえ、貴重な時間をつぶさに見られなかったことへの後悔が湧く。

 リンは全員が支度を済ませたと見て、ヴェルドに声をかけた。

「ヴェルドさん、またお会いしましょう」

「ああ。君たちに会えて、本当によかったよ。次は何処へ行くんだ?」

「次は……スカドゥラ王国に行こうと思っています」

「スカドゥラ王国、か」

「まあ、まだ移動手段を思い付いていないんですけどね」

 本当は、昨晩のうちにジェイスや克臣たちと話し合っておこうと思っていた。しかしアクシデントが発生し、それどころではなくなったのだ。

 苦笑いを浮かべるリンに、ニーザが「それならば」と竜化国の地図を引っ張り出してきた。机の上に広げ、指を差す。

「牙城の港から、スカドゥラ王国へ向かう客船が出ているはず。それに乗って行きなさい」

「客船……。わかりました、ありがとうございます」

「旅の無事を、ここから祈っているよ」

「またね」

 アルシナたちに見送られ、一行はまず牙城の港へ向けて出発した。

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