第641話 廟を守る結界

 洗濯物を干し、一香は伸びをした。ほとんどが出払っているため、洗濯すべき衣類は少ない。それを少し寂しく思う己に微苦笑を浮かべた。

「一香ちゃん」

「あ、真希さん。明人くんも」

 振り返ると、真希が息子の明人を抱えてこちらにやって来るところだった。中庭に張られた洗濯干し用のロープにかけられたシーツに手を伸ばしていた明人は、一香に気付くと彼女へと手を伸ばす。

「いーちゃ!」

「そう、いーちゃだよ」

 一香はにこにこと明人の手を取り、握手する。三歳になって間もない明人は、まだ言葉がたどたどしい。それでも一香を一香と認識して笑みを見せるため、気が和む。

「初めて会った時は本当に小さかったのに、大きくなりましたね」

「もう抱えるのが大変。でも勝手に出歩かれても困るから、抱きかかえることが多いかもしれないわね」

「リドアスの建物内であれば誰かの目がありますから自由にしていても大丈夫ですけど、外は危ないこともありますから」

 アラストの人々も明人を知っている場合がほとんどだが、リドアスとアラストの中心地は少し距離がある。道中で何もないという保証もないため、明人は基本的にリドアスの中でだけ自由に歩き回っていた。

 許しを得て明人を抱かせてもらうと、やはり重くなっている。一香は腕の痺れを感じ、早々に真希の腕に返してしまった。

 真希をベンチに誘い、一香も腰掛ける。二人の真ん中に明人が座り、真希と一香の顔を交互に見上げた。

「そういえば、克臣さんから何か連絡はあるんですか?」

 一香が話題にしたのは、現在リドアスを離れている一行のことだ。その中でも克臣は真希の夫であり、明人の父親でもある。こちらにいる時は子煩悩ぶり、愛妻家ぶりを存分に発揮する克臣だが、旅に出てしまうとそうもいかないのではないだろうか。

 しかし、一香の心配は杞憂きゆうだったらしい。真希は小さくクスッと笑うと、明人の髪を撫でた。

「連絡はね、毎晩あるわ。その日の出来事を色々と教えてくれるから、いつもハラハラしてるの」

「ふふっ。ハラハラ、なんですね」

「そうよ、一香ちゃん」

 笑い出してしまった一香に、真希は頷く。

「一香ちゃんに言うのは釈迦に説法というか、改めて言うまでもないことなのだけど。あの人たちの旅は、いつも何かしらの困難を伴う。……今回はリンくんの命がかかっているからって、普段以上に気を引き締めているって言っていたわ」

「その通りですね。……今朝、七つ目の種を探すために竜化国の北東へ向かったと私も聞いています。ジスターさんもちゃんと合流していて、ほっとしました」

 一香が微笑むと、真希もそれに応じた。

 ジスターがリドアスにやって来た時は、彼がいつ目覚めるかと一香は気が気ではなかった。目覚めて姿を消して、リンたちと合流したという話を聞いてようやくホッとしたのだ。

「でも、なんですよね」

 一香は肩を竦める。

「団長たちと一緒だから大丈夫と思っても、ふとした時に思ってしまうんです。大怪我してないかな、元気でいるかなって。……母親みたいなこと思って、何やってんだって思っちゃいます」

「一香ちゃん、それは多分……」

 母性とは違う。一香の表情を見てそう直感した真希だが、首を横に振った。これは、他人がどうこう言って良いものではない。

 突然黙ってしまった真希に、一香は首を傾げた。

「真希さん? 冷えましたか?」

「何でもないわ。……洗濯物ありがとう、一香ちゃん。確かに冷えて来たし、中でお茶でもしましょうか」

 その時、明人が「くちゅんっ」と小さなくしゃみをした。思いがけないことに一香と真希は顔を見合わせ、くすくすと笑ってしまう。

 笑いを収め、一香はベンチから立ち上がった。

「もう冬ですもんね。……本格的に寒くなる前に、みんな無事で帰って来て欲しいです」

「ええ」

 明人を真ん中にして彼の手を両側から繋ぎ、一香と真希は建物の中へと入って行った。




 同じ頃、リンたちは竜化国を北西に進んでいる。

 竜人の祖の廟は表にあって良いものではないため、立て看板等はない。しかし迷いなく進むアルシナとジュングの背を追い、リンたちは昼過ぎには廟へ繋がる階段の前までやって来ていた。

「この先なのか?」

「ああ。階段を登り切れば、廟が迎えてくれる」

 先導するジュングについて行けば、確かにシンプルな木の質感を残した廟が現れた。基本は木材で造られているが、建物を覆っている屋根などには石材が存分に使われている。

 その姿は荘厳で、それ程大きくはないにも関わらず圧倒される。豪奢なわけではないが、細かい装飾が扉にされていた。

 目を見張って見上げていた唯文が、ぽつっと呟く。

「神社の社みたいだ」

「確かに、本殿とかによく似てるな」

「神社みたいに、そこにいる者を敬うという意味では同じなのかもしれませんね」

 克臣と晶穂も同意し、しばし一行は廟に見惚れた。

 しかし、ずっとそのままでいるわけにはいかない。アルシナとジュングに案内を頼み、リンたちは地下迷路の入口だという通路の前までやって来た。

「何だ。パズルとか解かないと入れないのかと思ったけど……そういうのじゃないんだ?」

「ユーギ、その通りだ。見た目は向こう側の見えない通路、だけど……」

 ジュングが手を伸ばすと、通路との境界でバチンッと静電気のような力が働く。それ以上向こう側に行かせないためか、何か壁のようなものがあるらしい。

「……こんなふうに、拒否されるんだ。だから今まで、誰もここを探索した者はいない」

「でも、これが種に関係する迷路なら」

 アルシナがちらりとリンを見て、ジェイスが納得する。

「リンになら、開けられるかもしれないということか」

「御名答」

 ふふっと笑ったアルシナと、少し面白くなさそうなジュング。二人に見詰められ、リンは首肯した。

「やってみる」

 一歩ずつ慎重に歩を進め、リンはそっと右手を上げた。腕を伸ばし、先程ジュングを拒否した見えない壁へと手を伸ばす。

「……反応が、ない」

 リンの手は、無事に通路側へと通っている。それを見て、仲間たちはざわめく。

「兄さん……」

「きっと、このまま進めってことだね」

「俺たちも受け入れてくれるかはわからんがな」

 そう言いつつ克臣が手を伸ばすと、反応はない。どうやら、大丈夫らしかった。

 全員が通路側に入ると、通路の両側に一定間隔で火が灯る。先程までは見えなかったが、蝋燭と燭台が壁にかけられていた。

「進みましょう」

 明かりを頼りに、リンたちは通路から階段へと降りて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る