第636話 先祖の残した言い伝え

 リンがユキの背を借りた頃、晶穂は息を切らせつつ森の中を走っていた。

「はあっ、はっ……」

 何度か木の根で転びそうになり、突然上から垂れ下がって来た蔦に驚いたりしながら走ること十数分。ようやくたどり着いたのは、昼間話を聞かせてくれた男の小屋の前だった。

「つい、た……」

「大丈夫、晶穂?」

「――! あ、アルシナ!?」

 突然声をかけられ驚き顔を上げた晶穂は、そこに立つアルシナに目を見張った。「どうしてここに」と呟く彼女に、アルシナは微笑む。

「だって、一人で走って行っちゃうから。ジェイスさんが、言ってあげて欲しいって」

「そっか。ありがとう」

 リンにしか言ってはいないし、皆上を見上げていたから気付かれないかと思っていた。しかし、ジェイスはいつも皆のことを見てくれている。そんな彼だから気付いてくれたのだろうと思い、晶穂は苦笑をにじませた。

「敵わないなぁ、ジェイスさんには」

「……わたしも、心配したんだよ? 急にいなくなったから」

「アルシナもありがとう」

「ふふっ。どういたしまして」

 にこりと笑ったアルシナは、周囲を見渡して首を傾げた。

「晶穂の足が速いからあんまり周り見てなかったけど、ここって昼間の?」

「そう。会わなきゃいけない人がいるから」

「それって……あっ」

 アルシナが何かを指差し、声を上げた。晶穂もそれにつられて顔を上げ、小さく「あ」と呟く。

「人を指差すな。……って、お前たちは昼間の」

「昌常さん、貴方に会うために来ました」

「……話してみろ」

 晶穂の真剣な顔に頷いた昌常は、汗だくの二人に少し待っているよう伝えると小屋へ戻る。戻ってきた時には、両手に水の入ったコップを持っていた。

「まずは落ち着け。話はそれからだ」

「ありがとう、ございます」

「ありがとうございます」

 昌常から素直に受け取り、二人は中の水を何度かにわけて飲み干した。そうすることで、ようやく一心地つく。

「それで、何があったんだ? 何となく、森が騒がしい。動物たちも怯えている気がする」

「今、銀の鳥と黒い鳥たちが戦っているんです。命を賭けて、という言い方は適切ではないかもしれませんが」

「……簡単にで良い。何があったんだ?」

 説明を乞われ、晶穂は昌常と別れてからのことを端折りながら説明した。途中、アルシナに交代して語り終える。

「……。言い伝えは、やはりただの言い伝えではなかったということか」

 納得し、昌常は「で?」と晶穂の顔を見た。

「オレを呼びに来たんだろう? 何をすれば良い?」

「……良いんですか?」

「良いも何も」

 アルシナに問われて肩を竦め、昌常は笑った。

「おそらくこのままでは、鳥たちの戦闘は終わらないだろ。聞く限りどちらも実体ではないから、何度だって蘇る。……ずっと戦い続けられたら、オレたちも森の生き物たちもたまったものじゃない」

 本当に嫌そうな顔をする昌常に、晶穂は大きく頷いた。アルシナとも目を合わせて軽く首肯する。

「おっしゃる通りですね。では、一緒に来て下さいませんか?」

「わかった」

「こっちです! やることは、向かいながらお話します」

 そう言って駆け出しかけた晶穂だが、走りながら喋るのは流石に辛い。早歩きに切り換え、アルシナに先を譲って昌常に話しかけながら歩く。

「――ということをお願いしたいんです」

「先祖のように出来るかはわからないが、やってみよう。もしかしたら、先祖が手助けしてくれるかもしれないしな」

 わかったと晶穂の頼みを了承した昌常は、もう一つの言い伝えを思い出していた。

「『白と黒がいがみ合う時、さかのぼりし時が終わりを連れて来る』。じいさんが、時々オレに伝えてくれた言い伝えだ」

「白と黒……今の鳥たちみたいですね」

「だろう? 唐突に思い出したが、今の状況とそっくりだ」

 何でもないことのように言う昌常とは反対に、晶穂は難しい顔をして考え込んだ。なにせ、言い伝えの内容と現状が似過ぎている。これは何の因果か、と問わずにはいられない。

(もしかしたら、言い伝えの中に鳥たちをどうにかする方法が隠されているかもしれない。……わたしがやろうとしているのは、気休めに過ぎないのかもしれないな)

 思い付きだが、やってみないことにはわからない。そう思い直して一人頷く晶穂を眺め、昌常がふっと口元を緩ませた。

「……今、他人の顔見て笑いました?」

「きみの顔を見て笑ったってわけじゃない。決意に満ちているかと思えば不安がって、眉間にしわを寄せ、今また頑張ろうっていう顔になった。くるくる変わる表情が面白い、そう思っただけだ」

「……」

 歩くスピードは落とさず考え事をしていた晶穂だが、昌常のその言葉には思わず足を止めた。くるくる表情が変わって面白いというのは、さて褒め言葉なのだろうか。

 目を瞬かせた晶穂を見て、昌常はニヤリと笑う。彼女を始め、銀の華の若者たちは面白い、とかつての自分と重ねてしまう。もう二十年は昔のことだが。

(若者をからかえるのは、歳を重ねた者の特権だな)

 あまり他の人間たちと交流することのない昌常にとって、銀の華の者たちとの思いがけない交流は刺激的だ。

 不意に思い出し、昌常は晶穂に対し爆弾を投げた。

「きみの恋人は、あの団長だろう? 彼も大変だな」

「え? あっ……えぇっ!?」

「晶穂、からかわれてるよ」

 顔を真っ赤にして速足になる晶穂と、昌常の意図を察して呆れているアルシナ。そんな彼女たちを追いながら、昌常は自分の胸に手を当てながら速足で歩いていた。

(あんたの世話した鳥が、今度は騒動を起こしているらしい。どうにかしてやるために、先祖であるあんたの力を貸してくれ)

 それは神頼みに近い、先祖への頼みだった。

 三人たちの耳に、鳥の羽ばたく音と怒りの声が聞こえ始める。それが近付くにつれ、昌常は気持ちが逸るのを感じていた。

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