第635話 ただ見守ることは

 闇夜に突然現れた光の矢は、晶穂のすぐ脇をすり抜けた。その勢いはすさまじく、風で長い髪が遊ばれた拍子に晶穂の体が風にあおられてバランスを崩す。

「きゃっ」

「……危ないな」

 晶穂の体を後ろから支えたリンは、ほっと息をつきながら彼女を立たせる。

「大丈夫か?」

「あ、ありがと……」

「ああ」

 カッと顔を赤くする晶穂の素直過ぎる反応に、耐えていたリンもつられてしまう。しかしそこに意識を向け切る前に、状況の変化が別方向の追い打ちをかけた。

「あれって……」

「銀の、鳥」

 それは確かに、昼間出会い戦った銀色の鳥だった。白い双眸が広がる黒い靄を捉え、脇目も振らずに突進する。

 靄の方も銀の光の正体に気付いたのか、複数の黒い鳥に姿を変えて迎え撃つ。ギャアギャアという耳障りな鳴き声がこだまし、闇夜の森に響き渡る。

 突然の状況の変化に目を丸くしていたユーギが、吐息のように呟く。

「これは……」

「殺意が、満ちてる」

「双方引く気はないって感じだな」

 唯文、春直もそれ以上の言葉がない。ユーギは克臣に、春直は唯文にそれぞれくっつき、上空の戦いを見守っている。

 リンも息を呑んでいたが、ふと左側に温かさを感じで見下ろす。そこには、ユキの後頭部があった。

「兄さん。これ、どうなるんだろう……?」

「わからない。わからないけど、俺たちに手出しは出来ないな」

「止められないってこと?」

「ああ。これは、守護の願った状況だ。……頭の中にも、手出しは決してするなと何度も何度も響いてくる」

 実際、今もリンの頭の中には銀の鳥の思念が流れ込んでいる。他者の思いがこれ程色濃く圧迫し、倒れないのが不思議なくらいだ。

 それでもリンは足の裏に地面を感じ、しっかりと目を開いて戦いを見詰める。見届けろ、という声がそうさせるのかもしれない。

 その時、パシンッというシャボン玉の弾けたような音が鳴る。見れば、唯文と春直の前に吽形が立っていた。

「ジスター……」

「あいつらのとばっちりだ。怪我されたくないからな」

 銀の鳥と黒い鳥たちは戦うことに夢中だ。その戦いの余波、吹き飛ばされた黒い鳥の一羽が唯文たちに向かってしまい、ジスターが吽形を守りに入らせたのである。

 鳥は吽形にぶつかり、その水で出来た体に溶けて消えてしまった。ほっと胸を撫で下ろした唯文と春直が、感謝を込めて吽形の体を撫でる。

 吽形は体を実体化させ、気持ち良さそうに二人の手に撫でられた。グルル、と本物の獣のように喉を鳴らす。

「ジスターさんも、ありがとうございます」

「ありがとうございます」

「別に。いや……気にしなくて良い」

 少年たちに礼を言われ、ジスターは照れ隠しでぶっきらぼうにはねつけようとした。しかし思い直し、声色を和らげる。そんなジスターに、言われた方が目を丸くしてしまった。

「なんか……」

「ああ」

「な、何だよお前ら」

 ぎょっとしたジスターが引き気味に尋ねると、二人は「何でもありません」と微笑んだ。

 そんな和やかなやり取りが行われている中でも、上空は殺伐とした戦闘を続けている。いつの間にか黒い鳥の数は半減し、銀の鳥が優勢となっていた。

 鳥たちの攻防は、ほぼ物理的だ。体同士をぶつけ合い、耐え切れずに落ちた方が消える。時折光線のようなものを出し合い、ぶつけて爆発を起こす。

 そんな攻防が続き、リンは焦りを覚え始めていた。

(このまま見守っているだけで良いのか? いや、思念はここで見届けろと五月蠅い。離れてはいけない、それはわかっているが……)

 時々とばっちりを受けてそれを躱す以外に、鳥たちに何もしない。何も出来ないで待ち続けるというのは、自ら動くことを課してきたリンには戸惑いだ。

 そんなリンを見かねて、晶穂がそっと彼の手を握る。

「ねえ、リン」

「何だ?」

「あの銀の鳥は、自分を殺した黒い鳥たちに復讐したいって願っていたよね」

「……ああ」

「……もう一つ、お願い事あったよね」

「自分を助けてくれた男に会いたいっていうあれか? でもそれは……」

「ちょっと行って来るから、リンはここで鳥さんを見守ってあげていて」

「は? 晶穂!」

 待て。リンは手を伸ばすも、するりと躱した晶穂は何処かへと走って行く。その背を追いかけたリンだが、ギリギリのところで踏み止まった。

「――っ」

「止めようと思ったのに。踏み止まれたね、兄さん」

 ユキが意外そうに言うと、リンは微苦笑を浮かべた。

「銀の鳥との約束があるからな。離れようと思った瞬間、頭の中に警報音みたいに響くんだ。それに、晶穂にも残れと言われた」

 だから、ここに留まる。頭の中で響く他者の声に耐えているのか、リンは青い顔をして笑う。そんな兄を見上げ、ユキは「そう」と一言呟き息を吐く。

「無理してるの丸わかりだよ。ほら、腰掛けるくらい良いだろ。……ぼくに寄りかかってて」

 傍にあった切り株に座り、隣をぽんぽんと叩くユキ。そんな弟に苦笑し、リンは彼の言う通りにした。

「ユキ……。ありがとな」

 いつの間にか、ユキの身長はリンのそれと十センチ程の差になっていた。寄りかかるには低かったが、それを差し引いても気遣いが嬉しい。

(……まあ、寄りかかったら見守るも何もないからな)

 頭の疲労が限界に近いリンだったが、そこは兄としての矜持が勝る。ユキの背に自分の背を預け、顔を上げて鳥たちの死闘を見詰めた。

 また一羽、黒い鳥が落下する。銀の鳥は疲れを見せず、それどころか勢いを増しているようにすら見えた。

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