第633話 黒のない森
「これは、言い伝えが生まれた当時に祖先が書いたものらしい。何年前のものかは知らないが、読み辛い。それでも良いか?」
「お借りしても?」
「ああ」
軽い動作で手渡された本の表紙を見ると、墨と筆で書かれたと思われる達筆が踊っていた。にじんでしまって読みにくいが、リンは感覚で読んでいく。
「……『覚え書き』かな。日付順に、その日あった出来事を書いている、日記のようなものだな」
「何度か暇を持て余して読んだことがある。お前たちの言う、言い伝えに繋がるのはもう少し先だ」
昌常に指示されるまま、リンはページをくっていく。それを仲間たちが見詰める形だ。
「……ここか」
リンの指が止まったのは、『覚え書き』の後半に差し掛かったところ。目が筆者の崩し字に慣れ、読めるようになって来た。
「確かにありますね。……『私はこの日、不可思議な体験をした。一羽の鳥を助けたのだが、その鳥は銀色に輝く羽毛で覆われていたのだ。』ああ、間違いない」
他の日は特に書くこともないのか、食事の内容や仕事の進捗具合など、当たり障りないことを書いて数行で終えている。しかしこの日を含め何日かは、一ページ以上を使っていた。
筆者の言葉は更に続く。彼はその不思議な鳥の様子が気になって、何日か森を探し歩いたらしい。そして何日かして、ようやく出会う。
「『ようやく会えたが、また黒い鳥たちにいじめられていた。やはり、目立つ翼の色が原因だろう。わたしは再び黒い鳥たちを追っ払い、今度は傷付いた銀の鳥を家に連れて帰ることにした。』それからしばらく、一緒に暮らしたようですね」
「本当だ。こっちにもエピソードがあるね。えっと……『朝飯を鳥に少しついばまれた。気に入ったのか、もっとくれとせがむ。』だって」
食いしん坊だったんだ。ケラケラと笑うユキにつられて頬を緩めた晶穂は、彼の肩越しに本を覗き込む。ユキが読んだ場面以外にも、幾つもの思い出がそこに綴られている。一人で暮らしていた木こりの青年に、賑やかな時間が訪れていた様子がありありと見て取れるのだ。
「仲良く暮らしていたんだね。でも、言い伝えでは……」
「ああ。言い伝えでは、この後鳥は……」
「それについても書いてある。三ページくらい読み飛ばせ」
昌常に言われ、リンはページを三枚くる。楽しげな文字が並んでページを埋め尽くしていたのが一転し、始めのように文字数が減っているのだ。
リンは文字を指でなぞって追い、探していた場面を見付けた。
「……『この日、私は鳥を森に帰すことにした。怪我が癒え、飛ぶのに何の支障もない。あるとすれば、私が離れ難いということくらいだろう。あえて名付けずにいたのに、愛着が湧いてしまった。』か。そして翌日、手放したようだな」
本には、その時の鳥の様子も書かれていた。もう行って良いんだぞと言う男に対し、鳥は不思議そうに首を傾げたらしい。しかし男が何を言わんとしているかを察したのか、しばらくして飛んで行ったとか。
「それから数日後、祖先は森の中で動かない鳥を見付ける。それには黒い鳥たちが群がっていて、驚いた祖先が奴らを散らして鳥を抱きかかえた。もう鳥は動かず、祖先は悲しみに暮れながら鳥を葬ったそうだ」
「……もしもあの時手放さなければ、か」
それから何日も泣き明かしたのか、何もする気が起きなかったのか。日付と記録が次に書かれたのは、それから一月程後のことだ。
パタンと本を閉じ、リンは「ありがとうございました」とそれを昌常に返す。
「鳥が求めているものについて何も知らないでいましたが、あいつの幸せだった頃に触れた気がします」
「そうかい。……しかし話を戻すが、オレがその鳥に会ったところで納得させられるとは思えないがな。何せ、そいつが助けられて会いたいと願っているのは、オレの祖先だ。あくまでも、な」
何世代も前の祖先は、当然ながら既にこの世にいない。そして、と昌常は渋い顔をした。
「黒い鳥たちへの復讐も同じだ。そいつらも、既に世代を重ねているはずだ。……それにこの森には、黒い鳥はいない」
「黒い鳥がいない? どういうことですか?」
「気付かなかったか? さっきもオレの周りに色んな動物がいただろう。オレは昔から動物に懐かれやすいんだが、森で黒い動物を見たことがないんだ」
黒色の毛並みを持った動物がいない。昌常の衝撃的な発言に、アルシナはふと考えて目を瞬かせる。
「……そう言えば、いなかったかも?」
「姉さん、こちら側の森は確かに昔から黒という色がなかったよ。里の反対側では見かける姿を、こっちでは見たことは一度もない」
「だとすると、この森にはあの銀の鳥の思念みたいなものが存在しているのかもしれませんね」
ふむ、と唯文が推測を呟く。リンもそれに同意し、この試練の難しさを痛感した。
「……このままだと、種を手に入れられない。どうしたら、鳥の願いを良い形で叶えてやれるんだ」
鳥の願いを叶えなければ、リンは種を得られない。そう考えると、血の気が引く思いだ。リンが左手首のバングルを無意識に掴んでいると、昌常が「あー」と何かを思い出したらしく顎に指をあてた。
「一つ、可能性があるならば」
「あるならば?」
「新月の夜だけ、この森には黒いものが湧く。何処から来たのか、何なのかもわからないが、黒い影のようなものが森の中に現れるんだ。何かの手掛かりにはなるかもしれない」
新月の夜だけの怪現象だ、と昌常は肩を竦める。その日は、普段以上に森は静けさに包まれるのだとか。
昌常の話を聞き、ジェイスが「あ」とリンを見る。
「丁度、明日の夜は新月だよ。リン」
「なら、明日の夜が勝負ですね」
怪現象の正体を確かめる必要もある。リンはその場で、新月の夜にもう一度この森を訪れることを決めた。勿論、仲間たちに異論はない。
「ありがとうございました、昌常さん。もしかしたら、助力をと頼むこともあるかもしれません。その時はよろしくお願いします」
「わかった。オレに出来ることならば、応じよう。気を付けてな」
「はい」
昌常に一旦別れを告げ、リンたちは里へ戻るために森の出口へと向かった。そんな彼らの姿を、高い木の枝から真っ白な瞳が見詰めている。
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