第621話 あと半分
「おお、あんたたち無事だったかい」
リンたちが船で岸へ戻ると、貸船屋の男性が安堵の顔をして話しかけて来た。聞けば、先程わずかに水面の高さに変化があり、更に水面が不自然に揺れたというのだ。
「わしは数十年ここで仕事をしているが、こんなことは初めてだ。キャンプ場でも揺れを感じた客がいると聞いてな。あんたたちはその近くに行っていただろう?」
「幸い、わたしたちは感じていませんでしたよ。ですが、突然揺れたとなれば不安になりますね……」
「まあ、今は何ともないからな。あんたたちが無事でよかった」
ジェイスの落ち着いた受け答えを聞き、店の主人は安心したのかはっはと笑った。彼に料金を払い、リンたちは店を後にした。
「十分くらい行った所に、休憩所があるみたいです。そこへ行きましょう」
地図を見ながら言う晶穂を先頭に、一行は休憩所へと向かった。リンはジェイスに肩を借りながら行き、壁際の椅子に腰掛け背中を壁に預ける。
「……ずぶ濡れなことを指摘されなくてよかった」
「ボートだからね。よくあることだくらいの感覚だったんじゃないか?」
「それはそれで、不本意ですね……」
丁度誰もいない休憩所で、リンは克臣から水を受け取りながら応じた。本当はさっさと着替えたいが、着替えなど持ってきているはずもない。
冬が近いこともあり、寒気を感じる。リンはくしゃみを噛み殺し、ジスターの魔獣が服の水分をある程度吸い取ってくれなければどうなっていたかと身震いした。
「あそこにお店があるね。リン、少し我慢してて」
「え、あ。ジェイスさん!」
リンの顔色の悪さを見兼ね、ジェイスが近くの店舗へと入って行く。そして数分で戻って来た。
「はい、リン」
「あ、ありがとうございます」
ジェイスが買ってきたのは、濃紺の長袖シャツと黒のパンツだ。素直に受け取ったリンは、晶穂とサラに後ろを向いてもらいジェイスたちに見張りをしてもらって着替えた。これで、ようやくほっとする。
「エルハさん、ここから王都への道をお願いします」
「道案内ってことだね。任せて。だけど、もうすぐ日が暮れるから宿を探そうか」
「観光地だし、色々ありそう。あたしとエルハで探すから、みんなはちょっと待ってて!」
サラはそう言うと、エルハを誘って休憩所を飛び出した。ここへ来る途中に湖にあったのとは別の観光案内所が建っていたため、そこで聞こうという魂胆だ。
「団長、体調はどうですか?」
中身のなくなったボトルをゴミ箱に捨てたリンの傍に、心配そうな顔をした春直がやって来た。
「心配してくれてありがとな。一つ種が増えたから、落ち着いてるよ」
「よかったです。でも、無理はしないでくださいね?」
「ああ」
「それ、ぼくら全員にブーメランだけどね」
ひょこっと春直の後ろから顔を出したユキが言い、春直が「そうだけど」と肯定した。
「団長は特にだと思う」
「ぼくの兄さんだからね」
「何だよ、その理由は」
何故か胸を張るユキに軽く突っ込みを入れ、リンはようやく笑った。気を張っていたが、少しだけ和らげても許されるだろうか。
賑やかになってきて目を細めたリンの隣に、晶穂が腰掛けた。彼女の手には、紙コップに入ったココアがある。
「あと半分、だね。リン」
「ああ。竜化国、スカドゥラにも足を伸ばす必要があるだろうな」
「次に会う守護はどんな相手だろう?」
「……まあ、一筋縄ではいかないだろうな」
だとしても、ここまで来たんだ。リンはバングルをはめた左手を握り、拳を見詰めた。
眉間にしわを寄せてしまったリンの肩の力を抜かせようと、晶穂は努めて明るい声を出す。
「そうかもしれない。だけど、その先に見える景色を考えたら、少しわくわくしない?」
「先に見える景色?」
「そう。――種が芽を出して、蕾を作って花が開く。きっとその光景は、とっても綺麗なんじゃないかな」
「銀の花畑、か。あの時ですら息を呑む程の美しさだったからな……。あれをまた見られると思えば、今も頑張れるって?」
「それもあるし、きっとリンも清々しい気持ちで立てるんじゃないかな?」
「……その頃には、もう毒も消えているはずだからな」
リンの中に巣食う毒は、銀の花の種の魔力が増えるに従って抑え込まれていく。完全に無くすには、種を全て集めた上で花に願わなければならない。
己の生命を永らえさせるという願いのため、リンはソディールを巡る旅をしているのだ。その先に見える景色を考え、リンは肩を竦めた。
「あと半分、だな」
「うん。絶対、大丈夫」
「ありがとな、晶穂」
少し気持ちが楽になった。リンがそう言うと、晶穂もまた笑みを浮かべる。ふわりとその場の空気が和らぎ、ジェイスと克臣が顔を見合わせ小さく笑った。
そこへ、サラが勢い良く戸を開けて入って来る。
「おまたせー! お宿取って来たよ。今日はそこに泊まろう」
「あ……お邪魔したかな?」
サラの後から休憩所に入って来たエルハが苦笑し、リンと晶穂を見る。
エルハの視線の先に気付き、サラも「ああっ」と声を上げた。ちろっと舌を出す。
「た、タイミングまずった?」
「ま、まずってないまずってない! 丁度良かったよ、サラ」
自分たちが注目されているのだと察した晶穂が、立ち上がって顔を真っ赤にしながらサラに向かって手をばたつかせる。そんな親友の反応が可愛くて、サラは「そうかなぁ?」とわざとらしく煽った。
「もう、サラ!」
「わかったわかったって。——ふふ、団長もどうかしましたか?」
頭を抱えているリンに、サラは笑いかける。ちょっと煽るのが楽しくなってしまった彼女だが、誰も止めないのはお察しだろう。
リンは顔が熱い自覚を持ちつつ、咳払いをしてから平静を装った。
「……何でもない。宿に案内してくれ、サラ」
「はぁい」
休憩所のベンチに置いていた荷物を持ったサラとエルハを先頭に、一行は近くの宿へと向かう。
その夜、リンたちは泥のように深く眠った。久し振りに同室に泊まった晶穂とサラは話し足りなかったが、眠気には勝てない。
翌日、王都へ戻るために道を辿った。
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