第620話 絵本の終わり

 いつの間に現れたのだろうか。親らしき大きめのリスと、その子らしい小さなリス。二匹はしばらく倒れた首長竜の傍に立っていたが、不意にリンを振り返った。

「――きゅ」

「えっ」

 小さく鳴くと、リスたちは洞窟の奥へと駆けて行く。子リスのつぶらな瞳に見詰められたリンは、リスたちを追おうと無意識に一歩踏み出しかけた。

 そんなリンの肩を、ジェイスが掴んで引き戻す。

「どうした、リン?」

「ジェイスさん……。今あそこに、リスの親子が」

「リス?」

 リンの指差した先を見たジェイスは首を傾げ、それから「ああ」と頷く。

「もしかして、絵本のリスかい?」

「おそらく……。見間違いでしょうか」

「いや。お前に見て欲しかったんだろう、その子たちは」

 何処へ行ったかい? そう問われ、リンはリスたちの姿を目で探す。すると洞窟の奥へ続く通路の先で、リンを待つように立ち止まる親子の姿が見えた。

 リスたちはリンと目が合うと、トテトテと走って行く。ついて来いと言っているのだ。

「奥に行きます!」

「よし。みんな、ついて来て!」

 走り出したリンを追うジェイスが声をかけると、皆何も言わずに駆け出す。誰も「何故」などとは言わない。リンが何かを見たのだ、と信じて疑わないから。

(これが、信頼……?)

 その中にあって、ジスターは若干の驚きを感じていた。息をするように動く銀の華の面々に、迷いが見えない。

「……っ」

 前を向き、リンを追う。疑うのはその後でも構わない。ジスターは迷いなく走るリンの背を、一行の後ろから追う。

 一方、リンは目の前に現れたり消えたりしながら走るリスの親子から目を離さずに追っていた。ちらちらと彼がついて来ているのを確かめながら走る親リスは、幾つかの曲がり角を曲がってからようやく立ち止まった。

「ここは……」

 軽く息が上がっているのを落ち着かせながら、リンはきょろきょろと見渡す。追いついてきた仲間たちと共に、目の前の光景に目を見張った。

「綺麗……」

 それは、晶穂のため息を含んだ感想だった。

 彼らの前に広がったのは、見事な鍾乳石が連なる空間。棚田のような場所、巨大な柱、そして天井から垂れ下がる無数の鍾乳石群。更に広大な地底湖が広がっていた。

 何処からか陽の光が入るのか、僅かな光で湖面がキラキラと輝いている。

 しかし、その光源は日光ではない。

「あっ」

 声を上げたのはユーギだ。湖面に向かって指を差し、リンを振り返る。

「あれが、団長をここまで案内したの?」

「見えるのか、ユーギ。あの光るリスが」

「見えるよ。あれの光で、湖がキラキラ輝いてるんだ!」

 ユーギの言う通り、何故か湖面に立つリスの親子の体が白い光を放っている。そのうち、子リスがちょこちょこと水面に波紋を浮かべながらリンたちの方へとやって来た。

 子リスはリンの前までやって来ると、じっと見上げる。リンは戸惑いつつ膝を折り、子リスの前に膝を付いた。

「何だ、お前……?」

「きゅっ」

 子リスはリンの膝に鼻をすりつけてから、こっちに来いとでも言うように背中を向けて湖へと戻って行く。

「来いっていうのか?」

「そうみたい、だね。リン、気を付けて」

「ああ」

 晶穂に頷き返し、リンは立ち上がってゆっくりと湖へ近付く。そして湖面に待つリスたちに続き、一歩を踏み出した。

「……歩いている?」

「不思議ですね」

 エルハと春直が呟き、皆湖に釘付けとなる。リンが沈むことなく、地底湖の湖面を歩いているのだ。

 勿論リン自身も驚いていたが、それよりも親リスのもとへと辿り着くことを優先して足を動かす。一歩進む毎に波紋が広がり、幾つも重なって模様を描いていく。

「どうして、俺を呼んだんだ。——守護」

 リンは親リスの前に片膝をつき、尋ねてみる。しかし親リスが人の言葉を喋るわけもなく、表情の読めない顔でこちらを見上げて来る。

「きゅ」

 耳をぴくぴく動かし、親リスが数歩分跳ねて移動する。それについて行くと、親リスはしっぽで水面に触れた。そこだけ普通の水のようにバシャバシャと波を立てている。

 リンはしゃがみ、そっとリスのしっぽが触れていた場所に手を差し込む。すると抵抗なく水中へと吸い込まれ、指先に何かが触れた。

「これは……」

 持ち上げてみると、それは銀の花の種だ。五つ目の種を手に入れ、リンはそっとそれを左腕のバングルに近付ける。

 バングルの石と種が反応し、種は石の中へと吸い込まれた。少しだけバングルに籠められた種の力が増し、リンはほっと肩の力を抜く。

「よかっ……っ!?」

「リン!?」

 岸に戻ろうと立ち上がろうとした瞬間、リンの立っていた場所の安定が崩れた。水面がただの水の上に戻り、重力通りに上にいた者を水中へと引きずり込む。

 リンは泳げるが、まさか突然水に入ることになるとは思いもしなかった。咄嗟のことで対処出来ず、浮かび上がろうと必死に体を動かす。

 しかしリンの思惑とは違い、何故かなかなか水中から脱することが出来ない。

「くっ……ここからだと遠いな」

「俺が入って助けて来る」

 そう言って、克臣がトップスを脱ごうとした矢先。彼を手で制した者がいた。

「オレにやらせて下さい」

「ジスター……。わかった、頼むぞ」

「はい」

 克臣に背中をたたかれ、ジスターは魔獣二頭を呼び出す。実体のないそれらだが、主の命に従って実体を持つことも可能だ。

「阿形、吽形。リンを助けるぞ」

 ジスターの命に従い、二頭の水の獅子は同時に湖の中へと飛び込む。水を味方につけてすいすいと泳ぎ、おぼれかけていたリンを水上へと押し上げる。

「――っ、はぁっ」

 横に並んだ魔獣たちはリンを背中に乗せ、うまく泳いで岸へと辿り着く。待ち構えていたジェイスと克臣がリンを引き上げ、激しく咳き込むリンの背をさすってやる。

「ごほっ」

「リン、ゆっくり呼吸するイメージを持て」

「かつ、おみさ……」

「喋らなくて良い。そう、ゆっくりだ」

「リン……」

 駆けて来た晶穂も神子の力を使い、リン呼吸を手伝う。リンの悪かった顔色が徐々に落ち着くのを待って、ユキは先程までリンが立っていた辺りを振り返った。

「……リスたち、いないね」

「団長の足下が水になった途端に消えてたように見えたぞ」

 唯文が言い、春直とユーギもそれに同意する。

 年少組の会話を聞いていたエルハとサラは、顔を見合わせ肩を竦めた。

「最後に意地の悪い悪戯を仕掛けて言った感じだな」

「本当だよ。一瞬何が起こったかわからなかったもん」

 それでも、リンが無事でよかった。種は手に入り、ノイリシア王国にあると思われるものは全て手に入れたことになる。

「湖畔で休んだら、城に戻ろうか」

「――はい」

 ようやく呼吸が落ち着いて座り込んだリンの頭を撫で、ジェイスは義弟に「頑張ったよ」とねぎらった。

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