第610話 白銀の糸

 崖下の森は深く、気を付けていても足元は暗く木の根につまづきそうになる。互いに支え合いながら、リンと晶穂は自在に飛び続ける蝶を追っていた。

「一体、何処まで行くんだろう?」

「そんなに距離はないと思っていたんだがな……。あまり遠いと、戻れなくなる危険性もあるし」

 時折振り返り、来た道を確かめつつ進んで来た。しかし、これ以上は案内なしで同じ場所に戻ることが出来るという自信はない。

 リンがそう言って渋面を作ると、晶穂は困った顔で微笑んだ。

「絶対にみんなのところに戻らないとね。ジェイスさんたち、崖下にわたしたちがいなかったら捜されるかな?」

「そもそも、崖を下りられるのかっていう疑問があるけどな」

 あの崖は、ほぼとっかかりのない断崖絶壁だ。しかも木々の枝葉が崖の下部分を覆い隠し、何処まで続くかも確かめることが出来ない。運良く降りられたとしても、無傷とはいかないだろう。

「兎に角、あの蝶について行くことが先だな」

「うん。……あ、止まった?」

「えっ」

 晶穂が「ほら、あそこ」と指差した方を見れば、蝶が何かに止まっている。せわしなく動かしていた翅は、今やゆっくりと動くのみだ。

「行ってみよう」

 リンと晶穂は頷き合い、ゆっくりと近付いて行く。逃げられては敵わないという理由だったが、杞憂に終わった。

 二人が近付いても、蝶は逃げる様子を見せない。その蝶が止まっているものは何かと見れば、地面に突き刺さった木の板だ。

 長年立っているのか、板は黒ずんでいる。しかし何かが書かれているように見えて、リンは膝を折って板に触れた。

「た……ねは……。これ以上は真っ黒で読めないな」

「たね……種ってことかな? この下に埋まってるっていうこと?」

「おそらく。だから、蝶もここに連れてきたんだろう。何でこんな森の奥にあるのかはわからないけど」

 早速リンは土に手を突っ込んだ。薄暗い森の中、湿った土がまとわりついてくる。

「手伝う」

「助かる」

「二人の方が早いよ」

 ザクザクと土を掘るリンの隣にしゃがみ、晶穂も土を掘っていく。

 二人して黙々と掘ること五分程。爪と指の間に土が入り込んで真っ黒になった頃、リンの指に何か黒いものがコツンとあたった。

「何だ、これ?」

「箱?」

 まさしく、それは木製の箱だ。丁度小さなアクセサリーが入るくらいの大きさのそれは、長く土の中に埋まっていたはずなのに朽ちていなかった。

 リンは箱を手のひらに乗せ、土を払う。すると、シンプルな木の箱の姿が現れる。

「……んっ、開かない」

 鍵穴はなく、つなぎ目も見当たらない。リンは力任せにこじ開けようとするが、箱は頑として開かなかった。

 それは晶穂がやっても同様で、ひねっても引っ張ってもびくともしない。二人はどうやって開けるべきか、途方に暮れてしまった。

「押してだめなら引くことも出来る。だけど、それもだめだとなるとどうしたら」

「何か、開けるヒントでもあれば……」

 箱を天に掲げて覗き込んでいたリンは、ふとひらひらと舞う蝶に目を止める。先程まで木の板に留まっていたそれは、ゆっくりとリンのもとへとやって来た。

「……もしかして、お前が『カギ』なのか?」

 掲げていた箱を手のひらに戻し、リンはそれを飛び舞う蝶へと差し出す。すると蝶は箱に止まり、ゆっくりと翅の動きを止める。

 そして、突然光を放ち始めた。

「えっ!?」

「……」

 驚く晶穂と、黙って成り行きを見守るリン。二人の目の前で、蝶であったものからシュルシュルと繭を作るかのように糸が溢れていく。その糸は箱を覆い、絡まり、やがて完全に包み込んでしまう。

 白銀の繭と化した箱を見詰めていた二人の前で、それは突然起こった。

 繭にひびが入ったかと思うと、ひびが徐々に大きくなる。そしてやがて、卵の殻が割れるように中身が姿を現した。

「……これは」

「花の種……。あの蝶が鍵になって、箱が開いた? いや、変化したって言った方が正しいのかな?」

「どちらが正しいかはわからないけど、これで四つ目の種を手に入れたことになるんだな」

 ようやく目的を達し、リンはほっと息をつく。種を摘まみ、そっとバングルに近付けた。するとバングルに嵌められた石が輝き、種を取り込む。

「――これで、残りは六つか」

「半分が近付いて来たね。……リン、体の調子は?」

「大きく変わった気はしない。まあ、徐々にだろう」

 そっとバングルを両手で包む晶穂の手をトントンとたたき、リンは立つことを促した。立ち上がり、さてと周囲を見る。

「あの崖下まで戻って、それから上に戻る道を探さないとな」

「だね。手も洗いたいし」

 種を掘り出した時、当然のことながら二人共素手だった。そのため、両手は指の先まで土まみれなのだ。

 なんだか、子どもみたいだね。クスッと笑った晶穂が言い出し、リンもそうだなと軽く笑う。ひとしきり笑うと、肩の力が抜けた気がした。

 リンは意識的に息を吸い、吐き出してから晶穂に向かって口を開く。

「とりあえず、もと来た道を戻ろう。ここにいてもどうしようも……」

「あれって……!」

 晶穂もリンの視線を追って気付いた。二人が今まさに行こうとしていた方向から、聞き馴染みのある声が幾つも聞こえて来たのだ。

 ジェイスが大きく手を振ってくれる。彼の隣には、ユーギと春直の姿もあった。

「リン、晶穂!」

「やーっと見付けた」

「ご無事で何よりです」

「みんな、どうしてここがわかったんですか?」

 仲間たちに駆け寄ったリンに、ジェイスは「ほら」と上を指差す。そちらに目を向ければ、小さな蝶がひらひらと飛んでいた。

「この蝶が導いてくれたんだ。崖を安全に下りられる道と、ここまでのルートをね」

「そうだったんですね」

 納得して蝶に手を振り「ありがとう」と呟くリンの隣で、晶穂は首を傾げた。

「あれ? 克臣さんたちはどうしたんですか?」

「克臣さんたちも、後から来てるよ。——あ、ほら!」

 ユーギが振り返り、大きく手を振る。それに応じたのは、こちらに駆けて来るユキだ。ユキも手を振って、リンの傍まで来ると勢いよく抱き付いた。

「お、おい。ユキ、どうしたんだ?」

「兄さん、大怪我してない? 突然消えるから、本当に驚いたよ」

「心配してくれたんだな、ありがとう」

 兄の顔になったリンがユキの背中を撫で、ユキは耳を赤くして兄にくっついていた。

 そんな光景に和んでいた晶穂の耳に、克臣の「揃ったか」という笑いを含んだ声が届く。見れば、唯文とサラ、エルハと共にこちらへ近付いているところだった。

「これで、全員集合ですね」

「そう言えば、団長。種は手に入りましたか?」

 エルハに問われ、リンは「はい」と頷いた。バングルを見せ、この中にあると示す。

「これで四つです」

「よかった。では、一度集落へ戻りましょう。団長と晶穂さんは特に、体を休めないといけませんからね」

 そう言って、エルハは元来た道を指し示した。道には、ユキのものと思われる氷柱が幾つも木々から垂れ下がっている。

 目印だと言うエルハの言葉に頷いて、兄から離れたユキが胸を張る。

「あれを辿って行けば、ちゃんと上に戻れるよ」

「助かった。じゃあ、行きましょうか」

 リンの号令を受け、一行は蝶の示した安全な道を辿る。そして、無事に集落へと戻ることが出来た。

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