第609話 そんな資格はない

 ジスターは一香から軽食を受け取り、簡単にリドアスについての説明を受けた。リドアスと呼ばれる銀の華の拠点には何があるのか、食事を終えたジスターが頼むと、一香は案内を快諾する。

「そしてここが、中庭です」

「でかい木だな……」

 廊下の途中にある扉を開けると、冷たさすら感じる風が吹き込んで来る。それをやり過ごし、ジスターは目を丸くした。

 二人の前に現れたのは、背丈が何倍もある巨木。秋から冬へ移り変わる時期だというのに、まだまだ多くの葉を繁らせている。

 一香によれば、初代団長がここにリドアスという銀の華の拠点を構える前から立っているらしい。

「初代は、この木を中心にして建物を建てたそうです。……ずっと、木が見守ってくれるように」

「その初代が、リンの父親?」

「はい」

「そうか」

 それからしばし、二人は黙って木を見上げていた。さわさわと揺れる木の葉を見上げていたジスターは、ふと視線を下げて隣に立つ一香を盗み見る。彼女は見られていることには気付かず、優しい表情で長い髪を風に遊ばせている。

「……」

 何となく、一香に見惚れていた。そしてそんな自分に気付き、ジスターは目を閉じて考え直せと言い聞かせる。

(オレは、誰かを綺麗だと思うことなんて……)

 たくさんの人を傷付ける手伝いをして、更には兄をこの世から消した。前者において自ら手を下したことは一度もないが、後者は己の所業である。

 キリッと胸の奥が痛んだが、ジスターはそれに気付かないふりをして視線を逸らした。気持ちに蓋をして、全く別の話題を振る。

「……そうだ、一香。リンたちは今何処にいるんだ?」

「団長たちは今、銀の花の種を集めるためにノイリシア王国にいるはずです」

「ノイリシア? そんなところとも繋がりを持っているのか……」

「ええ。……様々に戦い続ける中で、多くの繋がりを得ているんです。その一人が、ジスターさんですね」

「オレ? オレは……」

 思いがけない言葉を一香に言われ、ジスターは言葉に詰まる。それでも否定しようと口を開く前に、一香は柔らかく微笑んだ。

「団長たちが、仲間にと望んだ人ですから。あまり、自分を卑下し過ぎないで下さいね?」

「……っ」

 美しい紫色の瞳に見詰められ、ジスターは気圧された。カッと熱が顔に集まる気配を感じ、慌てて一香から視線を外す。

 そんなジスターの気持ちを知ってか知らずか、一香は小さく笑うと彼に背を向けた。

「戻りましょうか。まだ激しく動いては体に障りますし、ゆっくりなさって下さい」

「ああ」

 一香に促され、ジスターはリドアスの客間へと戻る。そこで魔獣たちにたわむれられながら、何となく一香に聞いたことを考えていた。

「ノイリシア、か……」

「?」か

 何か言いたげに主人を見上げる魔獣の頭を撫で、ジスターは決意を秘めた瞳で窓の外を見詰めていた。


 夕刻になり、そろそろ夕食をと一香は客間の戸を開ける。しかし、そこにいるはずのジスターの姿はない。

「これは……」

 言葉を失い、落ち着くために目を閉じた一香は苦笑をにじませた。全く、と肩を竦める。

 ベッド横の机の上には、部屋に置いてあったメモ帳がそのまま置かれている。その一枚目には、「お世話になりました。ノイリシアへ行ってきます」と走り書きされていた。

「銀の華の人たちは、待つのが苦手ですね」

 それは私もか。そう呟き、一香はノイリシアに連絡をしなければと部屋を出た。「行ってきます」ということは、帰って来るということだから。




「う……っ」

 一方、リンは全身の痛みを感じて目を覚ました。魔種の特性上痛みは徐々になくなっていくが、それでも痛くないわけではない。

(ここは、何処だ?)

 周囲に敵意を感じないことを確かめ、リンはゆっくりと目を開けた。そして自分の体が擦り傷だらけであることを見て取り、眉をひそめる。

(確か、崖から落ちて……。――っ、晶穂は!?)

 瞠目し、上半身を素早く起こす。落ちる途中で晶穂を守ろうと抱き締めたまでは覚えているが、途中から意識を失ったのか記憶はない。

「あきっ……。よかった」

 焦って見回したリンは、手の届く場所に晶穂の姿を見付けてほっとする。彼女に目立った外傷はなく、口元に手の甲を近付けると息をしているのも確認出来た。

「晶穂、起きてくれ。晶穂」

「……うぅ?」

 何度か肩を揺すると、晶穂は顔をしかめて寝返りを打つ。それからぼんやりと瞼を上げ、しばしリンの顔をまじまじと見詰めた。

 焦点の合わない視線にさらされ、リンはわずかに目を泳がせる。そんなリンの心情を知らず、晶穂の右手が彼の頬に触れた。

「――っ」

 びくっと身を引きかけたリンだが、堪えて晶穂にされるがままとなる。しばしリンに触れていた晶穂は何度か瞬きを繰り返すと、突然覚醒した。

「り、ん……?」

「起きたか、晶穂。……すまない。二人して崖から落ちたらしい」

「でも、わたしのこと守ってくれたでしょ? リンが守ってくれたから、わたしは怪我もほとんどなく……リン、怪我してる」

「魔種の治癒力があるから平気だ。それより……」

「?」

 かくん、と晶穂は首を傾げる。そんな仕草が愛らしくてリンの胸は大きく跳ねたが、今はそれよりも気になり続けていることがあった。

 水から口に出すことは恥ずかしかったが、リンは覚悟を決めて己の頬に触れ続けている晶穂の手の甲に自分の手を添わせる。目を丸くする晶穂に、苦笑いを見せた。

「これ、そろそろ離してくれるか?」

「あぅ……ご、ごめん」

 徐々に晶穂の頬が赤く染まり、おずおずとゆっくり彼女の手が離れる。それに一抹の寂しさを感じつつ、リンは気持ちを切り替えた。

「兎に角、上に戻らないと。ジェイスさんたちが心配してる」

「うん。でも、種も見付けないと」

「それは、合流してから……あ」

「蝶が」

 ひらひらと頭上を舞うのは、いつの間にか現れていた一羽の蝶。おそらく二人を崖下へ誘ったそれは、再びひらひらと何処かへ行こうとする。旋回を繰り返しながら進むのは、こちらの出方を窺っているからだろうか。

「来いって言ってるのか?」

「そんな気がする。……わたしは、今行くのが良いと思うよ」

「共犯だからな?」

 リンはそう言って微笑むと、立ち上がって晶穂に向かって手を差し伸べた。

「……うん」

 晶穂はその手を掴み、立ち上がる。

 しっかりと指を絡ませ、二人は蝶を追って森の奥へと歩いて行った。

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