第602話 滝傍でのご飯と目覚め

 サラがあると言った滝は、轟音を立てて流れ落ちていた。高さは優に十メートルを超え、水飛沫が散り滝壺周辺は緑に覆われている。

 季節を考えれば肌寒かったが、景色は最高だ。克臣がユキと春直を誘って、薪を探しに行く。

 三人を見送り、ジェイスは「さて」と腰に手をあてた。

「リンはそこに座ってなさい。唯文、ユーギ手伝ってくれるかい?」

「えっ」

 ジェイスの言葉に異を唱えようとしたリンだが、彼の異論を遮るように唯文とユーギが反応した。晶穂も何も言わずに苦笑し、リンを小さな岩に腰掛けさせる。

「はい」

「いいよ」

 ぱっと手を挙げた二人を従え、ジェイスは町で買っておいた食材を取り出す。とはいえ、最低限のものしか持ってはいない。パンと具材でサンドイッチだ。

「ジェイスさん、あたしたちも手伝う!」

「何をしましょうか?」

「じゃあ、サラはユーギと一緒にパンを切って。エルハはわたしたちと具材を」

「了解です」

「わかりました。……久し振りだな、こういうのは」

 唯文が葉物野菜を手でちぎる隣で、エルハは胡瓜に似た野菜を斬っていく。使うのはなんと、ジェイスが空気から創り出したナイフだ。ともすればまな板も斬ってしまうそれの切れ味を調節し、エルハに手渡したジェイスは笑う。

「切れ味はどう?」

「――うん、丁度良いですね。いつの間に、こんなに便利なことが出来るようになってしまったんですか」

「出来る限り荷物は少なくしたいだろ? だから代用出来ないかなって思ってね」

「ジェイスさんにしか出来ない芸当ですね」

 確かに周囲に幾らでもある空気を使えば、ゴミも出ないし重くもない。それはその通りなのだが、本来は武器であるそれを日常生活で使ってしまうというのがエルハにはない発想だった。

 エルハが言うと、ジェイスも「その通りだね」と笑う。

「こんなに遠征することになるとは思っていなかったから、しなければ思い付きもしなかっただろう。勿論、戦闘時とは斬れ味を変えているから安心してくれ」

「戦闘時と同じにされたら、僕らは触れることも出来ませんよ」

 くすくすと笑いながらも、エルハの手は止まらない。手際良く野菜を切り終わると、唯文の切っていたソーセージと一緒に盛り付ける。

 唯文はテーブル代わりにした大きな岩の上の袋から、卵を取り出した。

「卵も……ってこれはゆで卵ですか?」

「そうそう。生は割れたら厄介だからね」

 薄く切ってくれるかい。ジェイスの要請を受け、唯文が均等に切り分けていく。手慣れた様子から、彼も何度となく手伝いをしてきたのだと想像出来る。

「――よし」

「お、出来たか?」

 唯文の手元を覗き込んだのは、薪拾いに行っていたはずの克臣だ。見れば、ユキと春直が薪を積み重ねて簡素なかまどを作っていた。

「お帰りなさい、克臣さんたち。周囲はどうですか?」

「特に変わったところはないな。幾つか人が使って良そうな道を見付けたくらいか。あれを辿れば、サラやエルハの言う集落まで行けるんじゃないか?」

「そうですね。おっしゃる通りですよ、克臣さん」

 エルハが頷き、同時にユキが「出来たよ」と叫ぶ。ジェイスが食べやすく切ったソーセージを持って行き、空気で作った板の上で焼く。ほぼ直火と変わらないため、香ばしいかおりがすぐに立ち上った。

「さあ、昼ご飯にしようか」

「お腹空いたよー」

 ユーギが声を上げ、皆の笑い声が上がった。




 同じ頃、リドアスでは動きがあった。

 既に日課になりつつある見回りのため、一香は客間の一つを訪れ彼の枕元の机に水を置く。朝カーテンを開けたままになっていたが、陽射しが強くなってきている。そろそろ締めておくべきか、と考えた時。

「……っ」

「え?」

 思わず、一香の口から声が漏れた。今まで、この部屋で自分以外の声を聞いたことは数えるほどしかない。そのほとんどは一緒に部屋に入った銀の華の仲間か、それとも眠っている彼の寝言か。

 しかし今聞こえたのは、そのどれとも違う呻き声のようなもの。窓の方を向いて立っていた一香は、一度カーテンを握り締めて呼吸を整えた。そして、ゆっくりとベッドを見る。

「あ……」

「……? きみは、だ……」

「よかった、目覚めたんですね! ……あれ?」

 ぼんやりとした顔で、ジスターが一香を見詰めていた。彼と視線が合い、一香は思わず歓喜の声を上げて、次いでへなへなと座り込む。

 驚いたのはジスターだ。見知らぬ女性が傍に居たかと思うと、彼女が急に座り込んでしまったのだから。眠気が飛び、急いで彼女の無事を確認しようと上半身を起こす。

 しかし長い間眠っていた影響か、ジスターはバランスを崩してベッドから滑り落ちた。

「痛っ。だいじょ……」

「よかった……本当に……ぐすっ」

「な、泣かないでくれ」

 体に思うような力が入らない。ジスターは四苦八苦しながらも腕で上半身を支えて起こし、一香の涙を指で拭った。

「―――っ」

 まさか指で涙を拭われるとは思わず、一香の頬が赤く染まる。しかしながらジスターにはそれに気付く余裕などなく、緩慢な動作で体を起こして正座した。

「きみが、リンの言っていたか?」

「団長? 団長と、会ったのですか?」

「……夢で」

 まだ覚醒しきらない頭を回転させ、ジスターは簡単な自己紹介と共に夢の中でリンと出会ったエピソードを語る。リンたち銀の華との出会いを語らないわけにはいかないだろうと口を開いたところ、一香が人差し指を立てて己の口元に持って行った。

「それは、出掛ける前に団長たちから聞いていますから。悲しいことは、無理に語ろうとしなくて良いんです」

「……すまない」

 目を伏せ、ジスターはサーカス団と銀の華との戦いを飛ばして話を進めた。

 ジスターの話をじっと聞いていた一香は、兄の亡霊を倒して目覚めたという彼に柔らかく微笑みかけた。それは気を遣ったものではなく、本心からのもの。おもむろに手を伸ばし、子どもをあやすようにジスターの髪を撫でた。

「よく、頑張ったのですね。もう大丈夫ですよ」

「――ありがとう。オレの面倒を見てくれて」

 水色の瞳を閉じ、ジスターは一香の行為を甘んじて受ける。

 穏やかな昼下がり、真希や文里たちがなかなか帰って来ない一香を心配して部屋を訪れるまでそれは続いていた。

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