第591話 夢と夢

 晶穂たちがそれぞれに守護の友だち、つまり守護の傭兵たる動物たちとの戦闘を繰り広げていた時、リンは夢の中で瞼を上げた。

「ここは……? 俺は一体……」

 わずかな頭痛を感じつつ、目覚める前にあったことを思い出す。仲間たちを消すと言ったアルファを止めようとして、リンは眠らされたのだ。

「早く目を覚まさないと、みんなが」

 アルファは全てが未知数だ。三つ目の種の守護だからと言って、油断するところなど一つもない。ゲームのように序盤は弱い敵、などというお約束は存在しない。

 リンは焦りを覚えつつ、現状を確認するために立ち上がった。自分以外誰もいないように思えた空間だが、遠くで何か物音がしている。

「……?」

 首を傾げ、リンは警戒しながら何もない空間を歩いて行く。歩く毎に音は大きさを増し、何が起こっているのかわかるようになってきた。

「あれは……」

 思わず立ち竦んだリンの視線の先で繰り広げられていたのは、ジスターとイザードによる一対一の戦闘風景だった。


「兄貴、どうして……っ」

「……」

 無表情で何度呼びかけても応じないイザードが、無遠慮に強力な斬撃を繰り返す。これが夢だとわかってはいても、兄はもういないのだと知っていても、気持ちが削られる。

 とはいえ、ただ叩かれるだけではない。ジスターも本気で兄の技を受け、攻め、また受け流す。幼い頃から一番近くで見てきたのだから、兄の動きは熟知していた。体が覚えていると言っても過言ではない。

(だけど、この兄貴は

 それは勘でしかない。しかし、弟としてはっきりとわかる感覚だ。

「兄貴。何か言えよ、兄貴!」

 ジスターの悲痛な叫びは、しかしイザードには届かない。斬撃を剣で受け止め、ジスターは力の限り弾き飛ばす。

 ドッと音がして、イザードが背を地面にぶつけた。しかし痛みを感じないのか、ゆっくりと立ち上がるとコキコキと関節を鳴らす。更に飛んでいた剣を掴むと、先程と同じスピードでジスターに向かって来た。

「――っ!」

 身内だ、兄だと思うからか、どうしても手心が加わる。ジスターはふとした拍子にイザードの斬撃を受け、地面に叩き付けられた。

「かはっ」

 胃の中のものが全て揺すられるような感覚に陥り、夢の中であるのに吐き気がする。血を吐くことはないが、何故か痛みの感覚は鮮明だ。

 ぼやける視界に、跳躍した兄の姿が映る。迷いなく真っ直ぐに刃を向けてくる彼を目にして、ジスターは不意に「もう良いかもしれない」と思った。

「兄を止められなかった自分も……同罪だ。もうい……」

「諦めるなよこのバカ野郎!」

「――は?」

 ジスターが目を見開くと、目の前で誰かがイザードの剣を受け止めていた。聞き覚えのある声と見覚えのある黒髪の背中に、ジスターは思わず名を口にする。

「リン……どうして」

「それは俺が訊きたい」

 イザードの刃を弾き返すと、リンは座り込んでいるジスターに手を差し伸べた。

「ほら、立て」

「……」

「早く!」

「――っ、わかってるよ!」

 半ばやけくそで、ジスターはリンの手を借りて立ち上がる。そして「助かった」と小さく口にすると、ぐいっと前を向く。

 イザードは、敵が二人に増えたところでやることは変わらないとばかりに攻め込んで来る。それをさばきながら、ジスターが傍で戦うリンに尋ねた。

「ここはオレの夢のはず。どうやって入った?」

「俺も眠らされてるからな。何かの拍子に夢と夢が繋がったんだろ。……まさか、剣まで普通に使えるとは思わなかったがな」

 手にした剣を構え、リンは苦笑する。傷を受けた痛みも、攻撃を受けた際の重みも全てを現実同様に感じ、これは本当に夢なのかと疑いたくなる。

 しかし、リンはこの世界が夢でしかないとわかっていた。何故なら、いるはずのないイザードが目の前にいるのだから。

「――ジスター、お前は今自分の体が何処にあるのか知っているのか?」

「眠っているんだろうって言いたいんだろ? お前の想定通り、オレはあの時から一度も目覚めていない。ずっと、兄貴と戦っている。最初は兄貴に言葉で責められ続けて、今は戦い続けているんだ。……どうしたら目覚められるのかわからない」

「……」

 キンッという金属音が響く。リンは静かな目でイザードを眺め、その鳩尾に蹴りを叩き込む。もんどりうって彼が倒れた隙に、イザードに向き直った。

「一つ訊く。……お前、何か迷っているんじゃないのか?」

「何を……」

「迷うから、目覚めが妨げられているんだと俺は思う。イザードという呪縛から自分を解き放たない限り、ずっと眠り続けることになるぞ」

「……。お前だって、今も夢の中にいるじゃないか。リン」

「それを言われると耳が痛いけどな」

 ジスターの反論に肩を竦め、リンはふっと一つ息を吐く。

「俺も目覚めたい。早く起きないと、晶穂たちが危ない。……守護の相手は、俺もしないといけないから」

「守護の相手?」

 守護とは何だ。ジスターに尋ねられ、リンは首を横に振った。

「現実で目覚めたら、聞かせてやるよ。今は、目を覚ます方が先だ」

 リンが剣を握る指に力を入れた時、唐突に変化が起こった。彼の姿が徐々に薄くなっていき、ジスターは「おい」と声を上げる。

「リン、体が……」

「お前の夢にいられるのはここまでってことらしい。早く目覚めてやれよ、ジスター。ずっと世話してくれてる人がいるんだから、礼ぐらい言え」

「は? 何言って……」

 何を言っているのか。本気で困惑するジスターの鼻先に人差し指を突き付け、リンは好戦的に微笑んだ。

「それから、さっさとイザードの亡霊を倒せよ」

「おい、リ……消えた」

 霧が晴れるように姿を消したリンのいた場所を見詰めていたジスターだったが、身に迫る殺気を感じ取った。背後に迫っていたイザードの刃を剣で受け止め、回し蹴りで距離を取る。

 蹴りを躱して着地したイザードの目を見て、ジスターは初めて兄の目に生気が感じられないことに気付く。それは最初から分かっていたことだが、あえて目を背けていた事実。兄がもしかしたら生きているのではないか、という甘くもろい期待。

「……そろそろ目覚めないとな」

 ガラス玉のようなイザードの目を睨み付け、ジスターは決められていなかった覚悟を決めた。

「もうあんたとは決別すべきだよな、兄貴」

 水の気配をまとい、ジスターは斬撃に水流を乗せた。

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