第590話 白狐と円盤

 一方、ジェイスと唯文、そしてクロザは巨体ながらもしなやかな白狐を相手にしていた。

 クロザは何度か白狐の体を斬ろうとして躱され、数本の毛を切り離すに留まる。チッと舌打ちし、大振りに剣で空気を斬った。

「ちょこまかと……」

「ただ追うだけだと捕まえるのは難しそうだ」

 クロザと唯文が白狐を追っているのを見ながら、ジェイスはふむと考えていた。勿論ジェイスも白狐の標的にはなっていたが、彼に触れる前に唯文がかばっていたのだ。

 それを横目に見て、クロザは鼻を鳴らした。

「ジェイス、何か考えるに至ったのか?」

「……さあね。少なくとも、あの動きを一瞬でも止めないことには突破口はない、かな!」

 ヒュンッと音がして、クロザのこめかみの横を矢が駆けて行く。振り返るが、ジェイスの矢は白狐の尾をすり抜けてしまう。

「不意打ちもだめか」

「……軽く狙ったか?」

「いや?」

 にこりと微笑んだジェイスの表情に薄ら寒さを感じ、クロザの口端が引きつった。

 唯文はそんな年長者たちを視界の端に捉えながら、真っ直ぐに白狐へと刀を向けている。しかしひらりひらりと躱し続けられ、若干の焦りを覚え始めていた。

「どうしたら……」

「向こうも、こっちが焦っているのを楽しんでいるようだしね」

「ユキがいれば場を凍らせることも出来たんですけど、おれには難しいし」

「……遠隔、か」

 少し考える素振りを見せたジェイスは、おもむろにくるんっと人差し指を回す。するとその軌跡が硬化し、回す度に円形の薄い板が増えて行く。

「ジェイスさん、それは?」

「ん? 新技的なものかな」

「いや、そんなスルッと」

 拍子抜けした唯文に笑いかけ、ジェイスは「例えば、こんな風に使うのはどうかな?」と言って円盤をくるくると回す。十分にスピードに乗ったところで、人差し指に勢いをつけて投げる。

 すると幾つも創り出されていた円盤が飛び出し、ほうぼうに散った。白狐は円盤を目で追い、自分に向かって来ないと見るや無視を決め込む。しかしその判断は、時期尚早だった。

 ――ストッ

「えっ」

「まじか」

 唯文とクロザが目を丸くし、白狐は黙したままで自分の背中に突き刺さったそれを見詰めている。そして、ジェイスがパチンッと指を鳴らした。

 指が鳴ると同時に、他の円盤たちが急旋回する。空を切り、白狐へ殺到した。

 慌てた白狐が素早くステップを踏んで躱すが、全てを躱し切ることは出来ずに数枚が体に刺さる。その度、顔を歪めた。

「ブーメランみたいなイメージだったけど、うまくいったね」

「いや、そんな軽いもんじゃないだろ……」

 突っ込み切れず、クロザが頭を抱えた。その横で、唯文が「でも」と和刀を構える。

「これ、チャンスですよ。今なら斬れます」

「……だな」

 気を取り直し、クロザも剣を構える。彼らの横で、ジェイスは自由自在に円盤を動かし白狐を翻弄していた。

「わたしが注意を引く。後は頼んだよ?」

「はい」

「任せろ」

 ここまでお膳立てされたらな。クロザが地を蹴り、唯文も続く。

 白狐は数枚の円盤を背中やしっぽに刺したまま、ひらりと円盤の追撃を逃れる。しかし当初の余裕とスピードは失われており、戦いに慣れた唯文たちには追うことが可能になっていた。

「広範囲で動かれると厄介だね」

 森の中を縦横無尽に動く白狐に、ジェイスは円盤の動き方を変えることにした。一度飛び回っていた円盤を集め、改めて飛ばす。魔力を籠めて飛ばすことにより、それらはブーメランよりもジェイスの意図的に動かすことが可能になる。

(ただ、魔力の消費はかなり多いな)

 銀の華随一の魔力量と強さを誇るジェイスだが、それでも無尽蔵ではない。今後のことを考えると、ここで消費出来る量には限りがあった。

「唯文、クロザ。奴の動きを制限させる」

「わかりました!」

 唯文はジェイスの意図を正確に理解し、円盤が辿る軌跡の横を駆けて行く。彼の動き方と円盤の動き、そして白狐が真っ直ぐに走って行く様を見て、クロザも頷いた。

(円盤が白狐の動ける範囲を制限し、その道の横を唯文が走っている。……俺も、負けてはいられない)

 クロザは走りつつ、ルートを外れようと躍起になる白狐の足下を狙って斬撃を飛ばす。転倒を免れたい白狐はひらりと躱そうとするが、その頭上には円盤が迫って不用意に跳べない。そのため、横っ飛びで斬撃を躱すしかない。

「――逃がさない」

 徐々に疲労の色が見え始めた白狐の行く手に立ち、唯文は息を整えた。

 円盤によって進路を制限され、後ろからはクロザが迫る。白狐は前に進むことしか出来ず、唯文のことも突き飛ばしてやろうくらいの勢いだ。

 しかし、唯文も銀の華の一員として何度も戦闘を経験してきた。これくらいで怯んでいては、仲間たちに示しがつかないと刀を握る手に力が入る。

「来い」

 一瞬、唯文と白狐の視線が交わる。真っ白な狐の目に、唯文の黒い瞳の色が映った。白狐が声のない叫び声を上げ、跳び上がって鋭い犬歯を見せつける。そこへ向かって、目を逸らさない唯文が刃を叩き込む。

「――ッ」

 鮮血が飛び、唯文は自分の腕に白狐の犬歯が食い込んでいることに気付いた。だからといって、この刃を止めることは出来ない。痛みを堪え、一気に押す。

「唯文!」

 その時、クロザも斬撃を繰り出していた。二つの刃が白狐を挟み、鋭く貫く。

「――よし」

 ジェイスが密かに拳を握り締め、淡い光の粒に姿を変える白狐を眺めていた。彼の手には飛び回っていた円盤が戻り、もとの空気へと姿を変えていく。

 そしてジェイスは白狐を斬って着地した唯文のもとへと歩き、血の流れる彼の左腕の止血に取り掛かった。ポケットから包帯を取り出し、傷の上にきつめに巻く。

「痛むだろうけど、我慢してね。唯文」

「ありがとうございます、ジェイスさん」

「用意が良いな、ジェイス」

 感心したらしいクロザが言うのに、ジェイスは苦笑で返す。

「わたしたちはそれぞれよく怪我するからね。晶穂がよく手当てをしてくれるけど、そればかりに頼りたくはないから」

「ふぅん……」

 よし、出来た。すぐに血が包帯に染みて行くが、ないよりはましだろう。そう結論付け、ジェイスは唯文の頭を軽く撫でた。

「ジェイスさん?」

「何となく、ね。……唯文、斬ってみてどう思った?」

「そう、ですね……」

 少し考えた唯文は、既に狐が跡形もなく消え失せた場所を振り返って呟く。

「なんか、斬った感触はなかったです。確かに牙は痛かったし、血も出ました。だけど、あれを斬った時には斬ったと思えないくらいで。空を切った、という感覚に近いものがありました」

「……実体がないのか?」

「その可能性はあるね。だけど、今までの守護とは違う……?」

 首を傾げたが、ジェイスは深く考えることを止めた。今は考えるよりも動くべきだとわかっている。

「今は、この先に進むことの方が大事だろうね。リンを連れ戻さないと」

「はい」

「行こう」

 三人は頷き合い、狐を構成していた光の粒が向かった方角へと駆けて行った。

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