第577話 空腹の朝ご飯

 翌日、リンと晶穂は互いに照れが勝って惰眠をむさぼることが出来なかった。夜が明けないうちに目覚めて一悶着あり、なんとなくもう一眠りしようとしたが目が冴えてしまったのだ。 

「……みんなの飯でも買いに行くか」

「良いかも。確かこの街、朝市なかったかな」

 一晩寝て、二人共体力が戻っていた。リンは通常運転とはいかないが、それでも二つ目の種が手に入ったことは大きな意味を持つ。

 リンの思い付きに晶穂が提案し、二人は静かな町へと繰り出した。その前にジェイスと克臣には出掛けることを報告してある。

 早朝ということもありメッセージを端末で送るに留めたのだが、直ぐに返信が来た。どうやら、二人も目を覚ましていたらしい。ジェイスが町のことを調べていたということで、朝市の存在をはっきりと知ることとなった。

「朝市に行くなら、何かおいしいものを人数分買って来てくれると有り難い。子どもたちもお腹を空かせているだろうからね」

 そんなジェイスからのメッセージに後押しされ、リンと晶穂は朝市への道を並んで歩いている。

 何となく気まずくて、二人は黙って歩く。

 しかしそれも落ち着かず、リンは突然立ち止まった。そして、不思議に思って振り返った晶穂に向かって左手を差し出す。

「……晶穂、ほら」

「えっ」

「……」

 顔を赤らめたまま戸惑う晶穂の右手を掴み、リンはずんずんと進む。決して晶穂が痛みを感じることのないよう、慎重に握る力を調整している。

 晶穂は決して振り返らないリンの耳や手が赤く染まっているのを見て、より大きく胸の鼓動が速まるのを感じていた。

(今なら、大丈夫、かな?)

 手に汗を握っていることよりも、もう少しだけ強欲な自分がいることに戸惑う。戸惑いながらも、晶穂は勇気を振り絞った。

「あのっ、リン」

「何、だ?」

 何故か、リンまでもがカタコトになる。朝早く通行人もいない道の途中で、リンは晶穂を振り返った。

「ごめん、速かったか? それとも、手が痛かったらあやま……」

「違うの! その……こっ」

「こ?」

「恋人繋ぎ、したいな……って」

「―――ッ」

 真っ赤な顔で上目遣いの晶穂に告げられた内容に、リンは一気に体温が上がるのを自覚した。晶穂は上目遣いで見ようとしたわけではないのだが、恥ずかしさでうつむき気味であったために結果としてそういう見え方になってしまったのだ。

 硬直したリンを今度こそ見上げ、晶穂は更になけなしの勇気を振り絞る。

「だ、駄目かな?」

「駄目なわけあるか! お、俺だっていつもお前に触れたいって考えて……っ、ごめん」

 口を滑らせて言ってしまった言葉を撤回することなど出来るはずもなく、リンは意を決して晶穂の手の指に自分のそれを絡ませる。密着した指が熱をはらみ、相手に自分の緊張と照れくささが伝わってしまいそうに思えてしまう。

「……」

「……」

 それでもリンと晶穂は互いに手を離すことなく、恋人らしく笑い合いながら朝市での買い物を楽しんだ。全くデートをすることが出来ていなかったためか、普段よりも距離が近かったのは秘密である。

 

 事前にジェイスから彼らの部屋に来るよう伝えられていたリンたちは、その部屋の戸を叩く。戸を開ける前に、繋いでいた手は離している。

「ただいま」

「ただいまです」

 二人が買い物をして宿に戻ると、年少組も起きて着替えまで済ませていた。一番にリンと晶穂を見付けたユキが、パッと目を輝かせる。

「お帰り! 何買ってきたの?」

「サンドイッチ用のパンと具材。野菜とかハムとかかな」

「朝市、凄く賑わってましたよ」

 リンがガサガサと買ってきたものをテーブルの上に並べる隣で手伝いながら、晶穂は顔をジェイスに向けた。

「そう、楽しかったかい?」

「はい。……とても」

 はにかみながら答える晶穂の様子に、ジェイスと近くにいた克臣は何かを察した。二人で顔を見合わせ小さく笑う。

 そんな二人の様子に首を傾げた晶穂だが、年少組とリンが朝食を作り始めたのに加わった。

「リン、わたし何しようか?」

「向こうの棚に皿があるから、人数分頼む」

「わかった」

 そうして食卓に並んだのは、野菜とハムのサンドイッチと柑橘系のジュース。普段の倍近くの量を準備したが、昨夜から食べていないメンバーしかおらず、すぐに全て消え失せた。

「ご馳走さま。うまかった」

 克臣が残ったジュースを飲み干して笑う。片付けはやると言い、ジェイスと共にキッチンに消えた。

 手持ち無沙汰になったリンは、部屋の本棚に置かれていた世界地図を手に取る。大きな絵本程の大きさのそれを何もなくなったテーブルに起き、ページをめくった。

「兄さん、何してるの?」

「ん? 地図を見たら、この次に向かうべき場所に見当がつくんじゃないかと思ったんだ」

 問われたリンがそう返すと、ユキは「ふぅん」と返事をして身を乗り出す。そして、今いるソディリスラの端を指差した。

「今いるのが、ここだよね。で、大樹の森はここ」

「そうだな。あと種があるとすれば……」

 ソディールという世界全体を見回すと、三つの大陸に大きく分けることが出来る。ソディリスラ、竜化国、そしてスカドゥラ王国。

 ソディリスラとノイリシア王国は神庭を挟んで地続きだが、船で行くことしか出来ない。何故なら、神庭は不可侵の地だからである。

 リンの指がそれぞれの国を示し、最後に神庭へと移った。

「ソディリスラにあったのが二つ。ノイリシア王国に二つ、竜化国に一つか。もしかしたら、神庭にもあるかもしれないな」

「他にあるとすればスカドゥラ王国とか? そういえば、この国にはまだ行ったことなかったよね?」

「……向こうから攻めてきたからな」

 思い出すのは、神庭を巡って争った記憶。甘音を守り切ることが出来、女王メイデアの神庭に関する記憶を消したことでリンたちに関する記憶も失ったはずだ。とはいえ、積極的に会いたい相手ではない。

 苦々しい顔をする兄に同意し、ユキは世界地図を改めて見下ろした。

「兄さん、次に向かう先にあてはあるの?」

「それは……」

 思わず言葉に詰まったリンに対し、ユキが口を開こうとする。しかしそれを遮るようにして、春直が「あっ」と声を上げた。

「どうした、春直?」

「何かあった?」

 春直の声に、その場を離れていた唯文たちやジェイスと克臣、晶穂もやって来る。集まって来た彼らに、春直は手持ちの端末の画面を見せた。

「これ、見て下さい」

「これは……ツユからのメッセージ?」

「はい。——里で、不思議な現象が起こっているそうです」

 短くまとめられたその文面を読み、リンは目を見開いた。

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