第575話 素直な言葉

 疲労困憊し過ぎると、人は空腹よりも眠気が勝る。そんな感覚に陥っていた晶穂は、しかし想定外の状況に睡魔が吹っ飛んでいた。起きているのはこの部屋の中で自分一人という中、二つ並んだベッドの片方で眠る青年の姿を見詰めて胸を締め付けられる心地でいる。

「リン……」

 おずおずと手を伸ばしかけ、彼の頬に触れる前にその手を引っ込める。ドキドキと高鳴る胸の上で自分の手を握り、想い人の名を呟くことしか出来ない。

 リンは二つ目の種を手に入れたことで、少しだけ体が楽になったと言っていた。それでも万全ではなく、晶穂が常に癒しの力をバングルに注ぎ続けることである程度の無茶が可能になっているに過ぎない。

(着替えさせないと、ゆっくり寝られないよね)

 リンの格好は、館で戦闘した服装のままだ。ところどころ破けたそれから、宿の寝間着へと着替えさせた方が窮屈な思いをしないで済む。少なくとも、首元は緩めさせなければ。晶穂はそう思い当たり、そっと起こさないようにリンの服に触れる。

「――っ!?」

 まさにその時、リンが己に触れた晶穂の腕を掴んで引く。かろうじて叫ぶのを耐えたものの、晶穂は気付けばリンに抱き締められて一緒にベッドに寝転んでいた。

「リ……っ」

 鼻先がリンの胸に触れる。起き上がろうにも、がっちりと抱きすくめられており逃げられない。間近に恋人の香りも体温も感じざるを得なくなり、晶穂の恥ずかしさは頂点を突破しようとしていた。

「~~~~~っ」

 晶穂はバクバクと他の音を喰う勢いで拍動する自分の胸の音を聞きながら、嬉しさと恥ずかしさと戸惑いを同時に感じている。リンは決して大柄ではなく、細身ながらも自分にはない筋肉質な体に触れて、晶穂のキャパシティーは既にオーバーだ。

(凄く、凄く安心する。温かくて、優しい……大好きな)

 混乱はしていたが、晶穂も安心感で眠気に誘われた。リンに体をくっつけ、そのまま目を閉じる。

「おやすみなさい、リン……」

 やがて二人分の寝息が聞こえ始め、寄り添う二人は互いの温かさを身に感じつつ夢の世界へと旅立った。




 リンが朝日の眩しさに瞼を上げると、何処かの宿の一室だった。どうやらジェイスに背負われすぐに眠ってしまい、そのままベッドに寝かされたらしい。

(服、着替えないとな。ベッドも汚して申し訳な……)

 ぼんやりと考え事をしていたリンは、ふと体の右側に重みと温かさを感じて固まった。耳を澄ませれば、規則正しい寝息が聞こえる。

 まさか。音をたてないようそっと首を巡らせれば、晶穂の穏やかな寝顔が視界に入ってきた。

「……っ!?」

 もう何度目の悪戯だろうか。明らかにジェイスと克臣の仕業だとわかる所業だが、リンは毎回心臓が跳ね上がるのを感じる。

 唐突に動悸が激しくなり、体が熱を帯びて熱くなっていく。恋人同士になってしばらく経つはずだが、リンはどうしてもこの手のハプニングに慣れない。

(え、何だよこの状況は? いや、わかってる。あの人たちが俺をここに放置して、晶穂に丸投げしたんだろう。だが……くっ……何でそんなに無防備なんだよ)

 リンの汚れ一部擦り切れたシャツを握り締め、健やかな寝息をたてる晶穂。彼女の寝顔は穏やかで、安心し切っていることが手に取るようにわかった。

 わかるからこそ、安堵と戸惑いを同時に感じる。リンは晶穂の顔にかかった灰色の髪を払い、彼女をじっと見詰めた。

 神子であることを示す青い光をたたえた瞳は見えないが、時折自分に甘えるように身じろぎする晶穂が愛しくて仕方が無い。リンはしばし、戦いの最中であることを忘れることにした。

 上半身を起こしてしまえば、確実に晶穂が目を覚ます。リンは細心の注意を払い、晶穂の前髪をかき上げた。誰も見ていない今ならば、少しくらい大胆なことも出来る気がする。

「……好きだよ、晶穂」

 かすかな吐息のような言葉と共に、触れるだけのキスが晶穂の額に落ちた。

「……」

 唇を離し、じわじわと体が熱を持ち始める。リンは恥ずかしさを紛らわせる為、二度寝を決め込もうとした。

「……やばい、恥ずいな。もう少し寝……」

 寝よう。そう独り言ちかけたが、リンは晶穂の指の力がわずかに強まったように感じて視線を落とす。すると、顔を真っ赤にして瞼を上げた晶穂と目が合った。

「……っ」

「あ、晶穂。もしかして、起きて……?」

「……ぅ」

 小さく頷く晶穂が、全ての答えだ。

 互いに声を出すことも出来ず、ただ赤面して向かい合う。それでも晶穂の指はリンのシャツを離さず、リンも彼女を振り払いはしない。

「……」

「……」

 黙ったままだった二人だが、先に言葉を発したのは晶穂だった。

「……あ、のね。リン」 

「なん、だ?」

「リン、さっきの言葉……」

「あれはっ」

 あれは。その先に何を言うべきか、リンは考えあぐねた。その先に相応しい言葉が見付からず、言い直すことにする。

 大きく息を吸い込んで吐き、リンは真っ直ぐに晶穂の潤む瞳を見詰めた。彼女の手に自分の右手を重ね、左腕を伸ばして細い体を抱き寄せる。

「あっ……」

「なかなか、素直に言うのは恥ずいから……聞いてないと思ってたから口から出てた。それから……き……は、ふ、触れたくなってだな」

 しどろもどろになりながら、何とか言いたいことを口にした。そして、そっと腕の中の晶穂の反応を待つ。しかしなかなか言葉が帰って来ず、リンは恥ずかしさに耐え切れなくなり晶穂を抱き締めていた腕を緩めた。

「あき、ほ?」

「……い」

「?」

「ずるいよ、リン。こんなに、こんなに胸がいっぱいで苦しくて、幸せで……」

 すねた口ぶりの晶穂だが、その表情は幸せそうな笑顔だ。思わず息を詰めたリンを見つめ返し、彼女は照れ笑いを浮かべる。

「あのね、リン。わたしも……だいすき、だよ」

「――ありがとう」

 二人分の熱で温かい布団の中で、リンと晶穂はくすくすと密やかに笑い合う。そして、どちらからともなく唇を重ねた。優しく切ない時はわずかなもので、それ以上になる前に離れる。そうしなければ、足を踏み入れてしまう。

 リンは名残惜しいとばかりに熱を帯びた晶穂の頬に触れ、にやりと笑った。

「真っ赤だ」

「リンも、ね」

「……だな」

 リンと晶穂は指を絡ませ、手を握る。

 ジェイスと克臣が起こしに来た時、二人は手を繋いだまま向き合って眠っていた。

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