第560話 独りにしない
ジェイスと克臣が作ったカレーの鍋が空になり、片付けに手を挙げた春直とユーギが食器洗いを終えた。ユーギは何故か盛大に濡れたシャツを脱ぎ、絞ってから再び身に着けてテントへと戻る。春直はその後をハラハラとした顔で追う。
テントに戻ると、ジェイスと克臣が机代わりの大きな平たい岩に地図を広げていた。
「終わりー!」
「お疲れ様、二人共。片付けありがとう」
「こちらこそ、カレーおいしかったです」
「お、嬉しいこと言ってくれるじゃねえか」
克臣が笑いながら春直の頭を撫で、ジェイスはじっとユーギのシャツを見てから片手を差し出した。それを見たユーギが首を傾げる。
「ジェイスさん?」
「ユーギ、そのままじゃ風邪ひくから。夜のうちに乾くだろうし、着替えておいで」
「あ、バレちゃったか」
「それだけ盛大に濡らせばね。服の色、変わってしまっているよ」
舌を出して笑うユーギに、ジェイスが肩を竦めてみせた。
ユーギは素直にシャツを脱ぎ、ジェイスに手渡す。それから荷物を置いたテントの中に戻って行った。
ほっと胸を撫で下ろした春直は、苦笑を浮かべて「ありがとうございました」と年長組に言う。
「寒い時期なのに、大丈夫だって聞かなくて」
「もうすぐ冬だからなー。あいつがいつも夏みたいに元気とはいえ、風邪ひかれたら困る」
「その通りです」
うんうんと頷いた春直は、ふと気が付いてぐるっと見渡す。晶穂と唯文が少し離れたところで水鏡を使っているのが見えたが、二人分の姿が見えない。
「ジェイスさん。団長とユキは……?」
「二人で話したいって言って、ユキが連れてったよ」
「そうなんですね……」
ジェイスの指差した方は、小川のせせらぎが聞こえる方向だ。
何となく視線を彷徨わせる春直に、ジェイスは苦笑をにじませて言う。
「たまにはきちんと話すことも大事だろう、特にあの二人は」
「ジェイスさん……」
「だーいじょうぶだよ、春直」
ポンッと春直の頭に置かれた克臣の手が、春直の髪をわしゃわしゃと乱す。驚いた春直が「何するんですか」と叫ぶと、上から笑った声が聞こえた。
「お前、凄く心配そうな顔してたぞ。心配すんな、あいつらなら大丈夫。喧嘩じゃなくて、互いの気持ちを確かめるだけだよ」
「そう、ですよね」
「そう。だから、ユーギが戻って来たら、明日以降のことを話し合おう。晶穂と唯文の通信次第がだな」
「あの二人は誰と話しているんですか?」
少し離れたところから、晶穂と唯文、そして懐かしい声が聞こえて来る。春直が尋ねると、ジェイスが応じた。
「――ノイリシア王国にいる、エルハだよ」
ザクザクと足音が聞こえるのは、地面に広葉樹の葉が落ちているから。その上を、ユキとリンが歩いて行く。
「……」
「……」
互いに何となく話しかけることが出来ず、その状態がかれこれ十分程続いていた。夜を迎えた森は冷え、頭を冴えさせる。
「兄さん、ちょっといい?」
そう言ったユキに袖を引かれたのは、夕食を食べ終わってすぐのこと。リン自身も弟と話がしたいと思っていたため、すぐに了承した。
それから、ずっとこの調子なのだ。
少しずつ深くなっていく森の中、ユキの足取りは徐々に落ち着いていく。そして立ち止まったのは、倒れた大木がそのまま残る場所だった。
背を向けたまま深呼吸したユキは、くるりと振り返る。
「……兄さん」
「なんだ、ユキ?」
真剣な顔の弟に対し、リンも真摯に応じた。
兄の態度を見て、ユキの目が潤んでいく。それは唐突で予想外で、リンは目を見開いた。
「ユキ……?」
「兄さん、ずっと謝りたかった。それから、ありがとうって伝えたかったんだ!」
「ど、どうしたんだよ」
ボロボロと大粒の涙を流すユキを目の当たりにして、リンは迷ったが彼を抱き寄せた。頭を撫でてやると、リンに抱きついてくる。
「兄さん、ぼくにかけらた毒の呪いを、引き受けさせてごめんなさい。それから、ありがとう……」
「俺が勝手にやったことだ。ユキを助けたくて」
「それでも、言いたかった。伝えたかったんだ。……兄さんが倒れた時、本当に血の気が引いた。ぼくのせいだって、それしか考えられなくて」
リンに言われて呪いを体から追い出した直後、ユキの中に生まれた開放感。淀み粘着質を持った毒は、彼の気持ちすらも絡め取り閉じ込めようとしていた。それを跳ね返し、心から安堵したのだ。
しかし、それは全て兄が引き受けてくれた結果だと知ることになる。
リンが倒れ、青ざめた晶穂を見た時、ユキは理解したのだ。自分に指示したリンの意図を。
「兄さんが、ぼくを助けるためにしたんだってわかって。何でって。ぼくを……ぼくをもう、独りにしないで」
「ユキ……ごめん」
感謝と共に怒りと寂しさがユキを襲い、兄の名を呼ぶことしか出来なかった。そんな自分が不甲斐なくて、悔しくて。リンが目を覚ました時、心底ほっとした。
独りにしないで。ユキの言葉は、リンの心をえぐるのに充分な威力を持っていた。晶穂に話した通り、彼は自己犠牲に先にあるものを悟り、大切な者を護るために命を捨てることは大切な者を悲しませるのだと気付いている。
(だからこそ、あの時の自分を一発殴りたい)
あれ以外の道を考える余裕などなかった。あの時最善だと思った道は、今考えれば全く最善ではなく、だとしてもそれ以外の選択肢はなかったのだ。
謝ることしか出来ない。リンがそう言うと、ユキは鼻をすすってから首を横に振った。
「……違う。兄さんを責めたいんじゃなくて、助けてくれてありがとうと一緒に、ここにいてくれてありがとうって言いたかっただけなんだ」
「ユキ……。独りにしない、約束する」
「ぼくもだよ。絶対呪いを解こう、兄さん」
そう言って頼もしく笑う表情は、もう四歳のそれではない。本来の年齢に戻ったユキの背丈は、リンよりも五センチ低い程度。
リンの胸に不意に込み上げる思いは、晶穂に向けたものとはまた異なる温かさを持っている。目を細め、リンは目の前の弟の頭をそっと撫でてやった。
「……ああ。頼りにしてるぞ、ユキ」
「任せてよ」
胸を叩き、ユキは微笑む。
兄弟はよく似た顔で笑い合うと、若干速足で仲間たちの待つキャンプ地へと戻って行った。
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