第559話 本音を言うのはきみの前

 唯文とユキが現れる少し前。リンと晶穂は水筒に水を汲むため、森の中に流れる川のほとりに来ていた。

 結局、リンは晶穂に水筒を二つしか渡していない。しかし晶穂も譲らず、最終的に二つあるトートバッグのうち一つの持ち手を持つことを折衷案とした。

 ガチャガチャという水筒の音を聞きながら、リンはちらりと隣を歩く晶穂を眺める。

「ん? どうかした?」

「いや。……その、なんというか。体調が悪いとかないか? 今回もまた、晶穂に無理をさせてるだろ」

「……勿論、無理してないって言ったら嘘になる。イザードとの戦いで神子の力は消耗したし、ね。でも」

「でも?」

「リンだって、無茶し続けてるよ。リンが仲間を守りたくてやっていることは理解しているから……そんな姿を見ているから、わたしも頑張りたいって思うんだ」

 おあいこでしょう? 晶穂は微笑み、しゃがんで水筒の蓋を外す。透明な水に水筒を持った手を入れると、ひんやりとした水が絡みついた。リンが言葉を失い目を見開き見詰めていることになど、気付かないで。

 コポポッと水が音をたて、水筒に吸い込まれていく。晶穂は順番に水筒を水に潜らせ、気を取り直したリンは彼女の手に空の水筒を手渡す。

「……」

「……」

 鳥の鳴き声や木々のさざめきが聞こえる他は、静かな森の中。あれほどの激戦をした後とは思えない程、穏やかな時間。ただし、互いに傷だらけでぼろぼろであることを除けば。

「――終わりっ」

 キュッと最後の水筒の蓋を閉め、晶穂が微笑む。彼女の傍には既に満杯に水の入った水筒が七つ置かれていて、草地に水滴を落としている。

 晶穂は少し考えるそぶりを見せた後、肩を竦めて立っているリンを見上げた。

「ハンカチ持って来るの忘れちゃったし、このまま水筒をトートバッグに入れても良いかな?」

「え? あ、ああ。それくらい、誰も気にしないだろ。その鞄も、今まで使ってなかったしな」

「そうだね。……リン、どうかした?」

 目を瞬かせ、晶穂は首を傾げた。リンのいつもよりも歯切れの悪い話し方に、若干の違和感を覚える。

(疲れてる? そうだよね。イザードとの戦いを終えてまだ日が浅いし、毒が回ってしんどいはず。……それを完全に癒すことは出来ないけど、早く戻って休んでもらおう)

 晶穂は地面に置かれていたトートバッグに水筒を四つずつ入れ、リンを見上げた。少し思い詰めた表情に見え、焦りを覚えて口を開く。

「リンも疲労困憊だよね。毒を抜くにはあと九個の種を見付けなくちゃいけないし、早く戻って休……っ!?」

「……少しだけ、待ってくれ」

「え、あの」

 突然のことで、晶穂の理解が追い付かない。立っていたはずのリンに抱き締められているのだとわかった時、晶穂の体は沸騰するように熱くなった。

「リ……」

「……」

 晶穂が焦りのあまり口を開こうとすると、リンの腕の力が少しだけ強まった。更にドキドキが急上昇し、晶穂は何も言えなくなる。

 恥ずかしさと嬉しさで混乱しながらも、晶穂は空いた手でそっとリンのシャツを握った。背中に手を回すことまで考えられず、精一杯の愛情表現だ。

「……本当は、怖かったんだ」

 ぽつりと晶穂の鼓膜を震わせた声は、ひどく不安げな響きを含む。彼女の体を腕の中に閉じ込めて、リンは震えそうになる声を必死に抑え、それでも堪えられない言葉を唇から漏らす。

「ユキが毒に侵されていると知って、あいつを二度と失いたくないと願った。自分が身代わりになれば、あいつは大丈夫だって。……だけど、しばらくして気付いた。俺がいなくなれば、今度はあいつが独りになるんだって」

 気付いたのは、ここ最近だけどな。リンは苦く笑い、瞼の裏の自分を嗤った。

「俺が死んだら……そう思った途端、怖くなった。ユキにも、ジェイスさんにも、克臣さんにも、晶穂にも……誰にも俺は会えなくなる。毒を引き受けたことは後悔してないけど、死にたくないって切に願った」

「……」

「怖い、今も。夜が来る度に、風呂に入る度に、毒が俺を蝕む印が、目の前に現れる。晶穂のお蔭で、広がる速度は格段に落ちた。本当に、感謝している。それでも、昨日との違いを見付けてしまって、震えそうになる足に力を入れる。これが全部体を覆ったら、俺は……」

「――させない」

 死ぬんだ。リンの言葉を遮り、晶穂はシャツを握る手に力を入れた。震える声を抑えることは出来そうになく、諦めてそのまま顔を上げる。

 すると、元々赤い目を更に赤くしたリンの顔と至近距離で見詰め合う。目を見開いたリンの目は深紅が混ざっていて、晶穂を不思議な気持ちにさせる。吸い込まれそうな程、美しく深い色だ。

「どうした、あき……」

「させないよ、リン。そんな未来、誰も望んでいないから。……絶対に、わたしが、みんなが、リンを独りぼっちにしない」

「――っ」

 硬直するリンの唇に、晶穂は自分のそれを触れさせた。唇が熱を帯び、どうしようもなく切ない気持ちが湧き上がる。

 触れていたのは、ほんの数秒。もっと触れていたい、溶け合ってしまいたい。そんな場違いな欲が身を焦がすが、晶穂はそれらを心の奥底に押し込めて離れた。今伝えるべき言葉は、別にある。

「銀の花の種、全部集めよう。それで、あの花畑を復活させるの。そうすればリンにかけられた呪いを解くことが出来るし、きっとこの世界にとっても必要なことだから」

「あ、きほ……」

 リンの瞳の奥に、今までも時折見えた熱が見え隠れする。それに気付き胸を締め付けられながら、晶穂は目を逸らして「みんな待ってるよ」と笑う。立ち上がり、リンに背中を向けた。そうしなければ、何かの糸が切れてしまいそうに思える。

「そろそろ、誰かが呼びに来るかも。喉乾いてるかもしれないし、戻ろ?」

「ああ。……なあ」

「ん?」

 密かに深呼吸をして、晶穂はリンを振り返った。そこにいたのは、幾分か落ち着いた雰囲気の彼。瞳の奥の熱は、もう見えない。

「――弱音吐いて、ごめん。聞いてくれてありがとう、晶穂」

「ううん、いつでも聞くよ。わたしもたくさん聞いてもらって、力もいっぱい貰ってるから。……一緒に、やり遂げよう」

「ああ」

 柔らかく微笑むリンの表情からは、弱音を吐いていた影は読み取ることが出来ない。それに少しの寂しさを覚えながら、晶穂はそっとリンの手を取った。もう片方の左手には、既に水筒が四本入ったトートバッグが握られている。これ以上、彼に持たせるわけにはいかない。

「もう一つは、わたしが持つからね?」

「……わかった」

 降参だと肩を竦め、リンはお返しとばかりに晶穂の手との握り方を変えた。所謂恋人繋ぎにして、指を絡ませる。

「―――~~~っ」

「あいつらが来るまでな。それ以上は……俺も恥ずかしい」

 そろそろ、ジェイスたちに頼まれた年少組の誰かが呼びに来るだろう。顔を真っ赤にして照れる恋人を愛でながら、リンは自分の中に溜まっていた淀んだおりが減ったことを感じていた。


 歩き出した二人が唯文とユキに出会い、急いで手を離すのはそれからすぐのこと。

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