第557話 恩がある
満月が美しく、澄んだ空に浮かんでいる。イリスは一人雑務に追われながら、ふと月を見上げた。
「……人間の喧騒など、空から見れば些細なものか」
「感傷に浸っているんですか、兄上?」
「エルハルトか」
気付けば、弟が苦笑をにじませて壁際に立っている。恥ずかしいところを見られた、とイリスは顔をしかめた。
「ノックくらいしなさい」
「しましたが、お気付きになりませんでしたので失礼を承知で入りました」
「全く」
何処吹く風なエルハの態度に諦め、イリスは嘆息しつつ彼にソファを勧めた。自分も向かい合わせに腰掛け、足を組む。
「サラ嬢は怒ってはいないか?」
「お蔭様で二人だけの時間は短くなりましたが、笑って送り出してくれましたよ」
「……後で、礼を言っておく」
弟にも「すまなかったな」と呟くイリスに、エルハは目元を緩ませる。いつも硬い表情のイリスが、ばつの悪そうな顔をするのは珍しい。
「ふふ。そういう素直なところを、もう少し臣下にお見せになれば良いのに」
「……王座に座る者は、弱みばかりを見せられん。とはいえ、お前たちのような存在は貴重だ。考えておく」
「はい」
他人の意見を突っぱねることなく受け入れ、考えてから実行に移す。それが王としての素質の一つだろうなと思いつつ、返事をしたエルハは「それで」と話柄を変えた。
「私を呼ばれた理由を伺っても?」
「ああ、そうだな」
イリスは頷き、テーブルの上に置いていた数冊の本の中から一番上の一冊を手に取った。その本を差し出され、エルハは受け取る。
表紙には、色褪せた文字で『昔物語集』と書かれていた。表紙をめくると、黄ばんだ紙がカサカサと音をたてる。
「随分と古い本のようですね」
「その本を含め、ここにある本には花の種の記述と思しき話が書かれているんだ。はっきりと種だと書いてあるわけじゃないがな」
「……! 探して下さったんですか?」
「私とて、彼らには恩がある。困っているのなら助けたいと思うのは当然だろう?」
驚くエルハに、不思議そうな顔をしたイリスが言う。そして、弟が驚いた理由を思い当たって眉をひそめた。
「……話を続けるぞ」
「はい」
気を取り直し、イリスは口を開く。
「エルハルト、本を開いてくれ。……そう、目次の文字も消えかかっているが、三つ目の話だ」
「『村に伝わる白い光の話』? ……昔、白い光が、村の祠から飛び出した。光は飛んで行き、荒れた土地に落っこちた。……荒れた土地で芽吹き、光のように白い花を咲かせた」
エルハの顔に先程とは異なる種類の驚嘆が走る。これは、明らかに銀の花にかかわる記述だ。
弟の表情から考えていることを読み取ったイリスは、そっと次の本を指差す。
「これはわかりやすい例だろう。もう一冊も頼む」
「……はい」
エルハが次に手に取ったのは、一冊目とは別の地方の昔話集。そちらも黄ばみが酷いが、読めない程ではない。イリスに指定された五話目を読む。
「こちらは『白き魂宿る森』か。……昔々、一人の他所から来た男が、森で死んだ。男の魂は白い光となり、巨木の根本で消え失せた。それからだろうか、森で時折小さな白い光を見たという話を聞くようになった」
「白い光という記述が気になると思い、置いておいた。巨木の根本というのも、特殊な場所に隠されているという種に通じるものがあると思ってな」
「成る程……。これらは別々の土地のものですから、断定は出来ませんが可能性として」
「ああ。――銀の花の種は、ノイリシアに二つある。あくまで可能性、の話だがな」
可能性がある、といだけでも収穫だ。何も手助け出来ないよりは、力になれる。エルハはそれらの情報をより確実にするため、更なる調査をしようと心に決めた。
「では、一度団長たちに報告しておきます。こちらでも種が存在する可能性があることを」
「宜しく頼む。……もしお前自ら調査に向かうなら、その時は私に必ず言え」
「勿論、事前報告しますよ。兄上」
にこりと微笑んだエルハは、夜遅くなったこともありそのまま兄の部屋を辞した。参考書籍として机の上の本を借り、抱えている。
(そういえば、もう一冊あったな)
机の上に置いてあった本は三冊。その内二冊の内容は確かめたが、もう一冊の中身はまだわからない。それを空いた左手で持って表紙を見ると、そこには『簡易調査書』と真新しい字で書かれていた。
「最近のものか?」
そういえば、本の綴じ方が書籍とは違う。紙の端に穴を空け、そこに紐を通して綴じている。
エルハは事実に戻り、寝る支度を整えてから椅子に腰掛けた。そして、目の前のテーブルに置いていた調査書を手に取る。
ページを開くと、一枚の紙が床に落ちた。
「なんだ? ……兄上のメモか」
そこには達筆で『事前に少し調査させた。何かの足しにはなるだろう』と書かれている。
エルハはくすっと笑うと、メモを本の横に並べた。それから調査書を開き、最初から丹念に読んでいく。イリスは少しと書いていたが、簡易とは言い難い文量のものだ。ノイリシアの皆に銀の華を認められたような気がして、温かな気持ちが湧き上がる。
「……僕も、出来ることをしよう」
エルハは決意も新たに、早速水鏡を準備した。リンたちが通信可能な場所にいるかはわからないが、難しいならばリドアスにいる誰かに伝言を頼めば良い。
鏡に手をかざすと、ゆらりと水面の波紋のように揺らめいた。
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