第554話 守護獣たちの先導
「まずは、あれの力を削ぐよ!」
戦いの指針を示したジェイスは、ナイフを獣のこめかみギリギリを狙って放つ。ヒュンッと空気を裂く音がして、獣はその軌跡を追う。
その隙を見逃さず、ユキが追撃した。自分の身長ほどの大きさの氷柱を生成し、獣の後頭部目掛けて投げつける。
――ギャッ
獣が悲鳴を上げ、よろめく。その足をすくった春直が、とどめを刺そうと手を挙げた。
まさに、その時。
「えっ……」
「春直、逃げて!」
春直の息を呑む声と晶穂の叫びが重なる。操血術を使いかけていた春直は、すぐに動けない。まさに今、獣の額に三つ目の目が輝き、何かを放ってくる時だったとしても。
「くっ」
仄暗い森の中、春直の目の前だけが眩しい程に明るい。それがほんの僅かな時間だったと知ったのは、獣が放つ光線から身をよじって辛うじて躱した後のことだった。
「春直!」
「ぎ、ギリギリセーフ……?」
自分の体を横に飛ばし、春直は泥まみれで呻く。そして駆け寄った晶穂に無事を知らせるために右手を挙げかけ、唐突に走った痛みに顔を歪めた。
見れば、手の甲から二の腕にかけて、火傷のようになっている。赤く腫れたそれを見て、晶穂が青くなった。
「春直、それ」
「たぶん、あの光線が当たったせいです。……まともに食らわなくてよかった」
「すぐに手当てするから」
晶穂の両手のひらが春直の傷を覆うと、同時に温かな熱が溢れる。春直は、ゆっくりと傷の痛みが引いていくのを感じていた。
「ありがとう、晶穂さん」
「全部は治せないけど、少しは楽なはずだよ」
確かに、春直の傷は完治したわけではない。赤みが引き、ジクジクとした痛みがなくなった程度だ。
晶穂の治癒の力は強いが、全てを治すことは皆に禁じられている。治すことは可能だが、その反動が晶穂の体を直撃するからだ。
「充分です」
そう言って微笑んだ春直は、自分の代わりに獣と戦うジェイスとユキを見た。
ユキが氷の壁で獣の光線を受け流し、ジェイスのナイフが獣の進行を邪魔している。邪魔されてイライラしたのか、獣は角を振りかざして氷の壁を割った。
「やったな!」
パリンッという派手な音と共に身を翻したユキが、新たに氷の弓を手に矢を放つ。それは獣の横腹に当たり、悲鳴を上げさせた。
「団長を助けたい気持ちは、ぼくらも一緒だから。頑張ります」
「わたしも、出来ることをするよ」
春直が駆け、晶穂はその場で結界を張った。これ以上戦う相手を増やさないためと、被害を広げないために。
「ユキ!」
「春直、気を付けて!」
「うん」
ジェイスのナイフが獣の進路を断ち、唯一の退路はユキと春直が塞いだ。更に晶穂の結界が周囲とこの空間を分かち、手負いの獣は下手に動けない。
――……。
首を振り、獣は
――ケーン
まるで狐のようなそれが響いた時、もう一頭の獣がぴくりと反応を示す。今まさに唯文を押し潰そうと前足を振り上げていた獣は、ピタリとその動きを止めた。
「……痛く、ない?」
「踏み潰されるところだったな、唯文」
「間一髪、ですね。でも……」
差し出された克臣の手を借りて立ち上がった唯文は、自分に興味を失った獣の背中を見ていた。唐突に敵意を消して静かな気配をまとう獣に対し、当惑を隠せない。
――ケーン
――ケーン
鳴き交わす二頭の獣は、その鳴き声をピタリと止める。彼らの視線が一点に集中し、受け止めたリンを視線で圧迫した。
「……俺に、何か言いたいことがあるのか?」
仲間たち全員の視線も集中し、リンは無意識に息を詰める。そして、二頭の視線を正面から受け止めた。
――……。
――……。
しかし、二頭共何かを口にすることはない。ただリンをその真っ白な瞳で見据え、そして不意に「ついて来い」とでも言うかのように身を翻した。
「ついて来いって言ってるのか?」
リンが呟くように尋ねると、一頭が足を止めて振り返る。そしてまた、森の更に奥へと歩いて行く。
二頭の背を見送りそうになり、晶穂はリンの背に触れた。
「言ってるみたい。ついて来いって」
「……ああ。行こう」
リンと晶穂を先頭に、全員で二頭の獣の後を追う。獣たちが歩くと、そこが道になる。どれだけ草が生えていようと、蔦が絡まっていようと、一歩踏み入れれば土の上に変わった。
それはリンたちが後に続きやすいようにとの配慮か、最後尾のジェイスの足が離れると再び草が生い茂る。ザワッという木々の音を聞き、ジェイスは数度立ち止まって振り返った。
「不思議な……」
「行きましょう、ジェイスさん」
「そうだね」
春直に腕を引かれ、ジェイスは遅れを取り戻す。
ただ無言で、真っ直ぐに何処かへ向かって歩いて行く。二頭は顔を合わせることもなく、全く同じ速度で大地を踏み締めている。
「……」
何となく話すことははばかられ、リンたちも無言でついて行く。
そしてどれ程歩いただろうか。鬱蒼とした森が突然開け、明るい場所へとたどり着いた。しかしいつの間にか時が過ぎていたらしく、夜の光が辺りを包み込んでいる。
「夢と同じ……!」
思わずリンの口から零れた言葉に、晶穂は「夢?」と目を瞬かせた。
「リン、夢でこの場所を?」
「ああ、見たと思う。おそらくこの先に、小さな祠がある。その中に……」
ざくり、と落ち葉を踏む。リンが進む方向に、二頭の獣もまた向かっている。彼らはリンがついて来ていることを振り返って確かめ、くいっと顎をしゃくった。
二頭が立ち止まったのは、森の最奥にある祠の両脇。苔生した木製のそれは、古びていたが確かに形を保っていた。
「……っ」
ごくり、と喉が鳴る。リンはそっと自分の手を握る晶穂に大丈夫だと頷き、離れさせる。
(おそらく、ここからは一人で行かないといけない)
誰かに言われたわけではないが、守護獣たちの目を見ているとそうすべきだと感じた。リンは背筋を伸ばし、祠に向かって歩みを進める。背中に仲間たちの視線を感じつつ、自分は決して一人でここにいるわけではないのだと再確認した。
守護獣たちは、リンが祠の戸に手をかけても動かない。
木戸はリンの指に触れると、ひとりでに開いた。その奥に目当てのものを見付け、リンは息を呑む。
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