銀花の種編

祠の種

第551話 新たな旅立ち

 昼下り。一香は冷水で冷やしたタオルをお盆に乗せ、廊下を歩いていた。リドアスの中は数日前とは比べ物にならないほど静かで、一香の足音が響く程度。

 とある部屋の前で立ち止まり、ガチャッとドアノブを回す。中に入ると、カーテンが風で揺れた。

「まだ……目覚めそうにはないかな」

 眉間にしわを寄せた青年の額にタオルを乗せ、一香は呟く。時折呻くように寝言を言うジスターは、たった一人の兄と命を賭けて戦わなければならなかった。

「団長と晶穂ちゃんも、本調子じゃないはず。……どうか、みんなが無事で帰って来ますように」

 一香は胸の前で指を組み、願う。

 リドアスの結界保持という重責を担う一香とシンは、あまり長くリドアスを空けることが出来ない。その分、留守番として出来ることはやるのだが。

「あっ……」

 一香が部屋を出ようとした時、不意に魔力の風が吹く。振り返ると、ジスターを取り巻く水色の獅子が二頭現れていた。彼の魔力で創られるものたちだが、勝手に形を取っているらしい。

(使役してる感じ、なのかな。あんなに心配そうに寄り添って……)

 獣である魔獣たちの表情の変化は乏しい。それでも雰囲気から、一香にも感じられるものがある。

「……早く、目を覚ましてね」

 それだけ言い置くと、一香はジスターの眠る部屋の戸を閉めた。




 一方、リンたち八人は新たな旅を始めていた。銀の花を再び咲かせ、リンにかけられた呪いの如き毒を浄化するためには、十粒の種を手に入れなくてはならない。

 銀の花の種への手掛かりは少な過ぎる程だが、リンの夢を頼りに進路を取る。

「俺の夢が正しければ、一つ目の種は大樹の森にあります」

 リンの発言を道標に、一行はアラストから南下して大樹の森に最も近い町、シアドを訪れていた。魔種の暴走がなかったこの町では、落ち着いた町並みが出迎えてくれる。

 八人は昼過ぎにシアドに辿り着き、専門店でテイクアウトしたサンドイッチを公園で食べることになった。

 丁度八人が近くで座れる場所をユーギと春直が見付け、ベンチと花壇のブロック、そして耳の長い動物の遊具に分かれて腰を下ろす。

 コロッケサンドを選んだ克臣が、グローブをつけたままツナサンドを食べるリンを見て尋ねた。

「リン、体の具合はどうなんだ? 痛みも半端じゃないように思えるが」

「大丈夫とは言い難い、というのが正直な感想ですね。思い出したように痛みが走るので、気が抜けません。ただ……」

「ただ?」

 リンはちらりと隣を見て、苦笑いを浮かべた。

「……晶穂がいる分、痛みは鈍くなっているように思います。出来れば神子の力は使って欲しくないですが、俺が倒れたらどうにもならないと言われてしまいまして」

「わたしもリンのこと言えないのはわかってますけど、出来ることはしたいんです」

 卵サンドを飲み込んだ晶穂が、肩を竦める。彼女の力は、属性で言えば『和』という非常に珍しい部類のもの。癒しを得意とするそれを応用し、リンの右手首には癒しの力を籠めたバングルが付けられている。

 バングルはシンプルな銀色をしており、中央に嵌められた青い石が魔力の供給源だ。その石を起点として、リンの体にこれ以上毒が回らないよう抑える役割を持つ。

 晶穂もまた、前回の戦いで疲労し一時眠り続けていた。病み上がりともいえる状況だったが、無理を承知でリンたちについて行く決心をしている。

「全く、きみたちの無茶を見守る側のことも考えて欲しいものだね」

 ジェイスはそう言って大袈裟に肩を竦めるが、本心からそう思っているわけではない。リンや晶穂が無茶をするにはわかっていたし、自分も彼らを止めるつもりはなかった。今の選択が最善だ、と考えている。

 ジェイスと同じことを思っている克臣は、コロッケサンドを頬張ると手をパンパンとはたいた。

「これを食ったら、森に入るか。シンがうちに来てから行ったことがなかったから、少し情報を集めてから行こうぜ」

「賛成!」

 克臣の提案にユーギが賛成し、一行のこれからの行動が決まった。

 予定はその後三十分後には実行され、三つのグループに分かれて情報収集にいそしんだ。大抵の人々は大樹の森について尋ねても、「小さな頃遊び場だったな」や「大きな森だよね」などというありふれたコメントしか口にしない。

 それが幾つも重なり辟易していた時、植物採集が趣味だと言う犬人の男が発した言葉に一行は目を見張ることになる。

「そういや、数年前から見慣れない動物をよく見るようになったな」

「見慣れない動物?」

「それってどんなものなんですか?」

 ユーギと唯文が問うと、男は腕を組んで「うーん」と唸った。

「何というか、物語にでも出てきそうな怪物に似ているが、かといってこちらに危害を加えるわけではないって感じかな。きっと立てば人の背丈くらいの大きさで、オレは四足の奴を何度か見たよ」

「四足の怪物……」

 数年前からという曖昧な言葉だが、それはおそらくシンが神殿を去った何かしらの影響だと思われる。リンたちは男に礼を言うと、森へ向かって歩き出した。

「シンに森についてもっと詳しく聞いておけばよかったですかね?」

「いや、あいつも大昔の森のことしか覚えてないと以前言っていた。だから、どこまで有益な情報を得られたかは未知数だな」

 春直と克臣が言い合うのを聞きながら、リンはある種の確信を持って歩を進めていた。彼の隣を歩く晶穂が、そっと手に触れる。

「晶穂」

「リン。何か、感じた?」

「ああ。……たぶん、その怪物の正体の予想がついた、と思う」

「正体?」

 晶穂が首を傾げ、彼らの前後にいた仲間たちの視線が集まる。

 リンは頷き、近付きつつある森を見詰めて口を開いた。

「種の守護、みたいなものだと思う」

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