第544話 ゆめの終わり

 紫の翼をまとったジスターの周囲は、彼の魔力を充分に含んだ毒の針が取り巻いている。ただ単純に突っ込めば、針の餌食となって簡単に死んでしまうだろう。

 何かを話し合いながら針をさばくリンとジスターを眺め、イザードが歪んだ笑みを浮かべる。

「全く……。どれだけ話し合おうと、全ての攻撃は通らない。お前たちの負けは確定しているのだから、さっさと死ねば良いだろう?」

 己の思考がどす黒く染まっていることにも気付かずに、イザードは心底不思議だという顔で二人を見た。彼にとって、二人は小さなウサギ程度の感覚だ。

 そんなイザードを完全に無視し、リンはジスターと共に攻撃の準備を進める。その間にも毒の針は乱れ飛ぶが、それら全てを魔獣たちが処理していく。

「――っ、リン!」

 一本の針が、魔獣たちを掻い潜ってリンに突き刺さろうとした。それに気付き、ジスターが叫ぶ。

 まさに鋭い針リンの眉間へと至ろうとした時、リンは反射的にそれを剣で叩き落とす。そして、フッと微笑んだ。

「充電完了」

「よし」

「何をごちゃごちゃと……っ!?」

 新たな攻撃に移ろうとしたイザードだったが、リンの変化に目を大きくした。彼が見たのは、膨大な魔力が光となって具現化し、リンを包んでいるさま

「くっ」

 危機感を感じたイザードが防御強化へとシフトしようとした時、ジスターが魔獣たちに命じた。

「道を切り拓け!」

「クオォォォォ」

 主の命令を受け、魔獣たちが遠吠えを上げる。そして互いに頷くと、魔力の宿った針の嵐の中へと突っ込んで行く。

 魔獣たちの体を中心に、渦を巻くように水が流れる。渦潮のようなそれに触れると、毒の針はパキンッと二つに折れて砂のように消えてしまう。それは今までになかった変化であり、イザードを驚かせた。

「何だと!? 私の魔力が消され……っ」

「イザード、オレが幼い頃のままとは思うなよ? 水は全てを包み込み、押し流す。お前の毒性を押し流して、消し去る力をあいつらが持ってる!」

「小癪な!」

 イザードがいきり立ち、毒針を増幅して発射する。しかしそれらも魔獣が破壊し、わずかな時間だけ、イザードへ至る真っ直ぐな道が現れた。

 一瞬の隙を見逃さず、ジスターが後方へと叫ぶ。

「今だ、リン!」

「おうっ」

 その瞬間を待っていたリンは、集めた魔力を解放するため、剣を構える。ドクンドクンと生きているかのように脈動する剣は、魔力充填完了のサインだ。

(行くぞ)

 晶穂とジェイスから貰った魔力はほぼ使い切り、後に残っているのはリン自身の魔力の回復分と二人の魔力により補われた力だけ。そこに自分の意志の力を加え、ジスターの魔力をまとわせる。

 魔力の光は四方へと広がり、空よりも澄んだ青色に輝く。

「いっけええぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 掲げていた剣を振り下ろし、リンは気合と共に斬撃を放つ。それは水の魔獣が拓いた道を真っ直ぐに通り、毒の針の嵐を蹴散らす。

「ちぃっ」

「これで、終わりだ!」

 イザードが魔力で創り出した障壁により抵抗を試みる。しかし魔力の反動でふらついたリンをジスターが後ろから支えたことによって、その抵抗は風前の灯火だ。

 二つの勢力は拮抗しているかに見えたが、少しずつリンとジスターが押していく。徐々に押しやられ、イザードは奥歯を噛み締めた。

「ふざ、けるなよ。何故、私が……」

「お前は、信じることを知らな過ぎる。この世界は……たった一人で生きるには広過ぎるんだ」

「馴れ合いなど……」

「兄貴」

 ジスターの水色の瞳が輝き、魔力の強さが増した。噴き上がる魔力の波動が、三人の髪や一部破けた衣服を激しくもてあそぶ。

「……もう、虚構ゆめは終わりだ」

「ジス……があぁぁぁぁぁっ」

 見開いたイザードの瞳に、驚愕が映る。

 彼は、自分が周囲にいた誰よりも強い魔力を持つことを知っていた。幼い頃よりそう言われ続け、確かに現実に自分に抵抗する者が少なかったせいもあろう。ただし、実際に毒の魔力は存在しないとまで言われる程に希少で、更に強かった。

 だからこそ、イザードは思いもしなかったのだ。己よりも弱く魔力の扱いも下手だった弟が、彼自身の努力の結果兄を追い抜こうというところまで達していたことに。

 イザードの障壁に小さなひびが入る。それは短時間で大きな傷となり、裂け目へと変化した。

「な、んだと!?」

 青い光がイザードの視界を満たし、いつしか圧倒していく。その光は深海のような冷たさではなく、温かな春の陽射しのそれによく似ていた。




「――やった、か?」

「だと、思う」

 満ちていた光が消えた時、そこにイザードの姿はなかった。彼がどうなったのかはわからないが、リンとジスターは互いに顔を合わせてようやく息をつく。

「これで、終わったんだな」

「ああ。……ありがとう、リン。兄貴を、俺たちを止めてくれて」

「これで、ヒュートラやアラストの人たちもだいじょう……っ」

「リン!?」

 ジスターの目の前で、リンがその場に崩れ落ちそうになった。体の力が急速に抜け、倒れ込む。ジスターが、手を伸ばしても間に合わないと思ったその時だ。

「――おっと。全く、無茶苦茶だな」

「同感です」

 倒れ込むリンを受け止めたのはジェイスだった。彼の隣には、苦笑をにじませる唯文の姿もある。

「あ……」

「ジスターさんも、ありがとうございます。……どうか、しましたか?」

 ひょこっとジスターを見上げたのは、春直だ。彼の表情が心配そうに見え、ジスターは何故かと尋ねようとしたが、すぐに少年の表情の理由に気付く。

「オレ……」

「お兄さんが相手だったんだ。涙が出て当然だよ」

「うん。ジスターさん、ぼくらは見ていませんから」

「――っ」

 自分よりも明らかに年下のユキと春直に促され、ジスターはようやく肩を震わせた。イザードと敵として相対した時に流したものとはまた違う、兄を思う弟としての感情が溢れていく。

「あに、き……」

「おっと」

 どさり、とジスターが気を失う。彼を唯文とユキが支え、春直が目元を拭った。

「ゆっくり休んでください、ジスターさん」

 優しく声を掛ける春直たちを見守っていたジェイスは、現状を把握するために軽く周囲を見渡した。花畑の面影は最早なく、岩が転がり地面は一部割れているという有様だ。

 更に、全員の衣服はボロボロだった。特にリンとジスターのそれは、ぼろきれ同然とまではいかないが酷い状態になっている。

「……晶穂たちがいるところまで行こう。もう襲って来る者もいないはずだし、少しでも休んでから帰らないとね」

「リン団長とジスターさん、大丈夫でしょうか?」

 唯文に問われ、ジェイスはリンを抱き上げてから応じた。

「ジスターは心に傷を負っているだろうが、時が経てば目覚めると思う。だけど、リンは……」

 リンの右腕全域と左の二の腕まで毒の模様が広がっている。胸は当然、もしかしたら腹にも幾何学模様が刻まれている可能性があった。

 ジェイスは眉間にしわを寄せたが、それ以上は口に出さない。代わりの言葉を唯文たちに投げかけた。

「唯文、ユキ、春直。ジスターを運ぶのは任せたよ」

「はい」

「任せて」

「やってみます」

 三人三様の返事に目元を緩ませ、ジェイスは晶穂たちの待つ場所へと足を向けた。

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