第537話 信頼して任せる
傀儡が何処までも伸びる髪の毛を振り乱し、唯文に絡み付こうと襲い掛かる。唯文はそれを斬り刻もうと刀を振るが、全てを戦闘不能にすることは難しい。
「ちっ」
「援護するよ!」
そう叫ぶが早いか、ユキが氷の弾丸を撃ち込んだ。それに触れた髪の毛は束で凍らされ、動きを止める。
傀儡はわずかに驚きを顔に浮かべた。感情を持たないはずの傀儡の表情が変わるわけもないが。
「――」
「よしっ」
「まだだっ」
ガッツポーズしたユキに注意喚起した唯文の言う通り、凍った髪の毛の後から新たな束が飛び出す。それを斬り、唯文が背後の気配に気付いて振り返った。
そこには髪の束でできた竜が浮いている。大口を開け、そこから紫色の何かを噴射しようと待機していた。
「やばっ」
「唯文!」
「わっ」
竜の噴射とジェイスの動きは紙一重。
ジェイスは横っ飛びに跳び、唯文に抱きつくようにして躱す。ズササッと砂煙が沸き上がり、口に入った砂を吐き出した唯文が上半身を起こした。
「ありがとうございます、ジェイスさん」
「間一髪、か。次行くぞ」
「はい!」
休む暇もなく、ジェイスは襲って来る髪へとナイフを放った。そして、余裕を取り戻したかに見えるイザードへと視線を投げる。
「絶対に、好きにはさせない」
ジェイスの魔力量はリンへと注いだことで減ってはいたが、その辺の魔種には到底届かない量を保持している。大抵の者は、彼の今の魔力量を知ったとしても、疲弊しているとは思わないだろう。
ジェイスは傷付き重くなった自分の足を叱咤し、地を蹴って弓矢を構えた。背後から襲って来る髪の束を無視し、大元である傀儡を見据える。
つがえた矢が放たれるのと、背後の髪が襲い掛かるのはほぼ同時。しかし矢は真っ直ぐに傀儡へと飛び、髪はユキによって氷漬けとなった。
パリンッと氷像が砕けた時、ユキはジェイスを真似て氷の弓矢を手にしている。
ジェイスの放った矢は弾かれたが、矢は一本限りではない。ユキが弓矢を持っていることに気付いたジェイスは、近くで髪を斬り裂く唯文を呼んだ。
「唯文。襲ってくる髪全てから、わたしたちを護り切れるか?」
「それが、傀儡に勝つ方法ですか?」
「勿論」
ジェイスに頷かれ、唯文に断る理由はない。刀を握る手に力を籠め、彼は強気に微笑んだ。
「やってみせます」
「任せた」
ジェイスとユキは並び立ち、傀儡の胸へと狙いを定めて弓を引く。空気で創られた弓矢と氷の弓矢。二つの魔力を存分に含んだ矢がつがえられ、キリキリと引き伸ばれていく。
二人の視線は、傀儡に据えられて動かない。見られていないことを良いことに、傀儡は二人の背後に五つの髪の束を出現させた。
ゆらゆらと揺れるその黒い塊は、獲物をいつ仕留めようかと手ぐすねを引いているようにも見える。
しかし、傀儡の思い通りにはならない。黒い塊が同時に動き出し、我先にと触手を伸ばす。ユキの細い首に絡みつく、まさにその時。
「――させない!」
髪がザクリと薙ぎ払うように斬り払われる。全てが斬られたわけではないが、その数は三つに減っていた。
驚いたように残った髪の束が振り返った。前後はないはずだが、彼にはそう見えた。
「おれが、二人の邪魔をさせない」
唯文は薙ぎ払った剣を血振りするようにさばき、こちらに狙いを定めた黒い塊に切っ先を向ける。心臓はドキドキと脈打っているが、強く自分を奮い立たせた。傀儡という理解不能な存在の創り出す何かを前にして、唯文とて恐怖が無いわけではない。
(でもそれ以上に、おれを信じて任せてくれた。ジェイスさんとユキの気持ちに、信じてくれた気持ちに応えたい!)
和刀を構え、唯文は白い犬の耳を真っ直ぐに立てる。既に出尽くしたかに思えた汗が噴き出すが、それを拭う暇はない。
唯文が地を蹴るのと同時に、黒い塊も彼を襲おうと急流のように雪崩れ込んで来る。それを弾き、さばき、斬り進む。全てを引き受け、一切ジェイスとユキには届かせない。
金属音が背後に響き渡る。それを聞きながらも、ジェイスとユキは弓を引き絞り続ける。視線を全く動かさないでいるのは、唯文に対する信頼あればこそ。
「……」
「……」
二人は一切言葉を交わさず、視線すらも交らわせない。しかしそれでも、互いのタイミングを推し測ることは出来る。
彼らが射んと狙うのは、微動だにしない傀儡。本体は動かないが、傀儡本体を護るために揺れ動き突進して来る黒髪の束は何処までも伸びていく。単なる攻撃では本体に届かせることすら出来ず、ジェイスはこの作戦を思い付いた。
狙うのは、傀儡を護る髪の壁が揺れて隙間を作る瞬間。それは唯文が必ず作り出す、と二人は知っている。確実なこととして信じている。
斬。一つ。
斬。二つ。
そして、三つ目の音が聞こえた時のこと。微動だにしなかった傀儡が、人間だったとは思えない咆哮を上げた。
「―――――ッ」
その瞬間、壁が揺れた。唯文に攻撃用に放った全てが斬り伏せられ、奥の手を出さざるを得なくなったのだ。
千載一遇の好機。
「はあっ」
「やあっ」
ジェイスとユキは同時に矢を放つ。風を斬り、二本の矢が一つになって威力を増す。壁を突っ切り、傀儡の胸へと吸い込まれた。
「……ガッ」
ビクッと傀儡の体がわななく。そして体を反らせると、胸元から氷の花が咲いて成長し続ける。氷が前進へと徐々に広がり、傀儡は苦悶の表情を浮かべて天へ向かって手を伸ばす。まるで助けを求めるような仕草に対し、ジェイスたちは見ているだけだ。
ピシッピシッと音をたてて氷はその面積を増やし、やがて唯文が相手をしていた髪までも凍り付く。その時になって、ようやく唯文は足を止めた。
「やった……?」
完全に氷に閉ざされた傀儡を見て、ユキが呟く。
「……かな」
応じたジェイスは、それでも油断なくいつでも動けるように体勢を整えていた。
相手をすべき傀儡の髪をそれが凍ると同時に砕き、唯文はジェイスとユキのもとへと駆ける。そして、イザードの声を耳にしそちらの方を向いた。
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