傀儡と支配者

第535話 説教までのカウントダウン

 ジェイスはリンへの魔力供給を終えた後、その場を晶穂に任せて魔力の半分をユキの手助けに使っていた。ユキの創った氷壁を更に強固にし、イザードたちからの攻撃を防ぐ。

「しかし……魔力量については自負していたんだが、これ程とはね」

「ジェイスさん、どうかしたの?」

 鉄壁とも呼ぶべき障壁を創り終えたユキが、ジェイスの呟きに気付いて飛び降りて来た。その彼に対し、ジェイスは苦笑いをにじませる。

「イザードの毒のことだよ。リンの呼吸は安定してきたけれど、そこに至るまでに二人がかりでやっとだ。……晶穂がいてくれて本当に助かった」

「そんなに強いの?」

「ユキ相手に嘘をついても仕方がないだろう? 今も、晶穂がリンの意識を導き続けてくれている。そうしなければ、リンがこちら側へ戻って来れるかも危うい」

「……大丈夫だよ、ジェイスさん」

「ユキ?」

 眉間にしわを刻むジェイスに、ユキは笑ってみせた。氷を操る少年の額には、大粒の汗が浮かんでいる。

「だって、兄さんが晶穂さんを見失うはずない。そうじゃない?」

 疲労困憊だろうに、ユキは笑顔ではっきりと言い切った。

「ふふっ。その通りだな」

 正論をぶつけられ、ジェイスは笑うしかない。ひとしきり笑った後、さてと表情を引き締め直した。視線の向かう先には、氷の壁、そしてその向こうには仲間たちと強敵がいる。

「リンは必ず戻って来る。戻って来たら、克臣と一緒に説教だな」

「うわぁ……ぼくは逃げておくね?」

「それが良いよ」

 本気で嫌そうなユキに笑いかけ、ジェイスは魔力で弓矢を創り出した。無数に生成可能な矢は、その精度を増していく。

「説教するためにも、必ず帰ろう」

「うん!」

 ジェイスの放った数え切れない矢の間をぬい、ユキも弾丸のように飛び出した。




「ジェイスさん、ユキ。みんな……」

 氷の壁で隔てられた外側を思い、晶穂はギュッと肌に指が食い込む程に握り締める。仲間たちの傍で戦えないからこそ、ここで祈り、彼らにとっても大切な存在を護らなければならない。

 晶穂は氷壁から視線を外し、膝の上へと移す。そこで目を閉じているのは、呼吸が安定してきたリンだ。顔色も良くなり、晶穂は少しだけほっとしていた。

「リン。目を覚まして、お願いだよ……」

 リンの右腕だけにあった幾何学模様の痣は、今や右腕にまで広がっている。首元にも痣が見え、服をめくれば胸にもあるかと思うと、晶穂の気持ちは否応なしに急く。

(たぶん、この痣が全身に回ったら絶対に駄目だ。その前に、どうにかしないと)

 自らの手にも痣が浮かんでいるが、晶穂のそれは広がっていない。それどころか、神子の力によって面積を減らしてすらいる。

 晶穂は自らの力をリンに注ぎ続け、消耗を自覚していた。神子の力は強力が故に体力気力を使い、力を使い過ぎれば回復のために眠ることが必須となる。

 先程から迫る眠気と戦いながらリンの目覚めを願い続けている晶穂は、不意に違和感を感じて視線を落とした。掴んでいるリンの指がわずかに動いた気がした。

「あ……」

「んっ……あき、ほか?」

 晶穂の目が大きく見開かれる。彼女の目に映ったのは、瞼を震わせ目を覚ましたリンの赤い瞳の色だった。

 リンの頬に触れ、晶穂の目からぽたぽたと涙が流れ落ちる。雫はリンの頬を伝う。

「リン……よかった……」

「心配かけたな。……光が、導いてくれた。あの光は、お前だったんだな」

「わたしだけじゃないよ。ジェイスさんも、ついててくれた。今は離れてるけど、あの人がいなかったらたぶん」

「そっか。……後で死ぬほど叱られそうだな」

 涙が止まらない晶穂の頬に手を添わせ、リンは苦笑する。

 しかし、甘い時間は長くは続かない。リンは壁の外から聞こえて来るとどろきを耳にして、さっと表情を変えた。

「晶穂、今はどうなってる?」

「ジェイスさんたちとイザードが戦ってる。わたしも遠目にしか見てな……って、リン!?」

「俺も、行かないと」

「ま、待って!」

「うわっ」

 仲間たちと共に戦うために戦場へと向かおうと立ち上がりかけたリンの袖を晶穂が引き、二人はバランスを崩して倒れ込んだ。ドサッという音がして尻もちをついたリンは、何かが上から降って来て思わず瞬きをした。

 何が降って来たのか、不思議に思い顔を上げて、ぎょっとする。

「あき……」

「今は駄目! リンは死にかけてたんだよ? 今は、ジェイスさんたちに任せてリンは休んで。……お願い」

 目を真っ赤にして、リンに覆い被さるようにして地面に手をついた晶穂が泣いている。透明な涙がリンの頬を服を濡らし、晶穂の必死な表情を間近で見詰めてリンは息を呑んだ。

「何で泣いて……」

 戸惑い動けずにいるリンの胸に、晶穂はすがるように抱き付いた。そして、震える声で訴える。

「わかってるよ、わかってるの。リンが、仲間のためならどんな時だって前に立つ人だって知ってる。誰よりも優しくて、強くて、強い人だってわかってる。わたしは、そんなリンを好きになって、ずっと傍に居たくて、隣に立っていたいって思ってる」

「……」

「だからこそ、リンが大事にしてるものは護りたいし、わたしの大事なものと同じだから役に立ちたい。……それは、絶対に壁の外で戦ってるみんなも一緒だよ。リンを護りたいから、みんなで一緒に帰りたいから戦ってる。だからお願い……ここにいて……?」

「晶穂……」

 泣き声を上げず、晶穂は肩を震わせて泣いていた。彼女のリンの服を掴む手がわなないている。

 リンはただ上半身を起こし、晶穂を抱き締めることしか思い付かなかった。彼女の言いたいことが痛い程伝わり、どれだけ本気なのかも心が理解した。

「ありがとう、晶穂。俺は……俺は、本当に幸せだな。本気で俺のことを思って、本気で叱ってくれる人が傍にたくさんいるんだから」

 苦笑して、リンは晶穂を離した。うさぎのように真っ赤な目をして顔を赤くした晶穂のことを愛おしく思い、そっと流れ落ちそうな涙を拭ってやる。

 涙が指を伝い、リンはそのまま手で痣の広がる右腕をさすった。夢の中で『呪い』を倒しはしたが、まだ終わっていない。

 リンのその様子を、晶穂はじっと見詰めていた。そして、肩を竦めてみせる。

「リン、それでも行くんでしょう? どの痣を消す方法は、きっとイザードしか知らないから。彼から訊き出さないといけないから」

「……ああ」

 目を伏せ、リンは手短に語った。夢の世界で、『呪い』がイザードの形を取って襲い掛かって来たこと。それに囚われたが、晶穂とジェイスのお蔭で『呪い』を倒したこと。そして、『呪い』が言葉を残したことを。「……ノロイ、オワラヌ。タネヤドシモノ、トキキタリテシス。オマエ、ゼツボウニシズメ」と。

「呪いは終わらない。あいつは種を残したと言った。必ず打ち克つと言ってやったが、根本を断つために、俺はイザードの前に立たなければいけないんだ」

「……ジェイスさんと克臣さんのお説教タイムに、わたしも参戦するから。それで許してあげる」

「晶穂?」

 リンが目を瞬かせると、晶穂は彼の右手を取った。そして目を閉じると、神子の力を彼の体に注ぎ込む。

 ふわりと体が温かくなり、リンは息を呑んだ。

「これ……」

「リンのこと、わたしも言えないんだよね。無茶してるのは、お互い様」

 そう言って微笑む晶穂の顔色は決して良いとは言えず、リンは言葉を紡げない。何を言うべきか迷い、結局決意を口にすることしか出来なかった。

「……っ、勝つぞ」

「うん。信じてる」

 二人は手を繋ぎ、氷の壁を打ち砕こうと魔力を合わせる。

 その時、壁の外側から爆発音が響き渡った。


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