第531話 毒との対峙

 ジェイスたちが大樹と戦闘を繰り広げていた時、晶穂はそれを見守っていた。決して遠い距離ではないが、時折こちらの油断を狙ったかのように黒煙を噴き上げる枝が伸びて来るため、結界を解除出来ない。

「みんな……」

 結界のお蔭か神子の力のためか、晶穂の手に浮かび上がった『呪い』の痣は広がっていない。それに安堵しつつも、彼女は目を落とした。

 晶穂の膝には、冷や汗が止まらないリンが頭を乗せている。

 リンは初め晶穂の肩に頭を乗せていたが、それすらも辛そうにしていた。だから少しでも楽になれれば、と横にならせたのだが。

「……っ、はっ、はっ……」

「リン……負けないで」

 いつからか、リンの意識が混濁し始めた。そして今や、呼びかけても応じない。おそらく体力温存のために眠っているのだが、顔色は青白いままだ。

 晶穂は折れそうになる気持ちを奮い立たせ、溢れそうになる涙を拭う。

(泣くのは、みんなでリドアスに帰った後。それからでも遅くない)

 第一線で戦えない自分がもどかしい。しかし、もっともどかしく悔しいのは、ここで呪いと戦っているリン自身だろう。

 晶穂はそれを垂れよりもよく知っているから、彼の手を取って胸に押し付け握り締めた。淡く彼女の体が輝き、神子の力を再び発現させる。

 あぶり出しのように、ゆっくりとリンの腕の痣は広がっていく。それを少しでも食い止めようと、晶穂は強く祈りを籠めた。

 目を閉じた直後、溢れた涙が一滴ひとしずく、リンの頬を濡らした。




 ――誰か、泣いてる?

 そっと瞼を上げたリンが目にしたのは、一面の銀世界。枯れて全て失われたはずの銀色の花が咲き乱れ、風に揺れている。

「ここは、何だ……?」

 自分がこの状況に居る意味がわからない。リンは一先ず、目覚めるまでに自分に起こったことを思い返した。

(俺は、イザードの毒が広がって……その激痛で気を失った? 晶穂のお蔭で少しだけ緩和されていたのに、今はその痛みすらない)

 立ち上がって周囲を見渡したリンは、その場所には自分以外に誰もいないことを知る。そして空が無く、ただもやがかかっていることにも。

 この状況を知っている。リンは目を閉じ、そして開いた。

「夢、か」

 なんとなくそうだろうと思ってはいたが、と肩を竦める。そして、そっと右頬に触れた。

(ここに、何か冷たいものが触れた気がしたけど、気のせいか? それが、夢でとはいえ俺を目覚めさせてくれた気がしたんだが)

 今、頬は濡れていない。濡れた形跡もなく、リンは首を傾げた。

 しかしいつまでもそうしているわけにもいかず、もう一度ぐるりと見回す。ただ銀色の花が咲くだけの世界、とは思えなかったからだ。

「ここに来たということは、俺がここに来るべき理由がある。……痣はそのまま、か」

 右腕を見れば、現実世界で広がったそのままの痣があった。手の甲、肩にも広がり、胸や首元まで迫る勢いかと怖くなる。

 リンは自分の首を撫で、そして何かの気配を感じて振り返った。

「……?」

 それとの距離は、直線で五十メートルもない。しかし形状がはっきりせず、うごめいている。

 リンは顔をしかめ、いつでも動けるように体勢を整えた。まっすぐにそれを見詰め、問いかける。

「お前は何者だ? 少なくとも、味方ではないよな」

「……ガッ」

「ぐっ!?」

 カクンッと何かの上部が傾く。そして間を置かず、一気に距離を詰めてきた。その速さに目を見張る余裕もなく、リンは胸に衝撃を受けて吹き飛ばされる。

 ズサササッと地面を滑り、何とかリンは転倒を避けた。摩擦を受けた場所からは白い煙が上がり、花々が散る。その花びらの中、蹴散らすように何かが再びリンに向かって突進してきた。

「二度も喰らうか!」

 叫ぶと同時に、リンの手が輝く。そこに現れた杖を取り、柄で受け止める。

 その時、リンは初めてその謎の存在と目を合わせた。拳らしきものを突き出した格好のまま、それはリンを睨み付けている。

 黒に近い紫色をしたそれの姿に、リンは見覚えがあった。

「お前は……イザード?」

「……」

「いや、本物じゃないな。レプリカ……違う。この気配は最近近くにあって、離れてくれない!」

 リンの魔力が爆発し、目の前のものを吹き飛ばす。それは先程のリンのように飛ばされ、うまく対応出来ずにバックステップからバク転した。よろめかずに着地すると、間を置かずに再三向かって来る。

 改めてそれを受け止め、弾く。そして杖を剣へと変えて、リンは敵を正面から睨み付けた。

「お前は、俺に巣食う毒……呪いそのものだ」

「……がぁぁっ」

「やあっ!」

 応じることなく、『呪い』が突進して来る。それを止めるため、リンは敵を両断しようと剣を振り下ろす。剣の刃は敵の脳天から入り、体を左右に別けた。

「やった……わけないよな」

「グルル」

 真っ二つになった体の切断面から、互いを呼び合うように伸びた液状のものが絡み合う。結び付き引き合い、『呪い』は体を取り戻す。

 そして大声で吼えると、自分の胸の真ん中で腕を突っ込んだ。そこから取り出した体と同じ色の剣を閃かせると、リンに向かって突き出す。

「くっ」

 タイミング良く弾き、リンの剣が『呪い』の剣を徐々に追い詰める。一閃、一閃が距離を詰め、襲い来る岩のような重さを持つ拳を流して前へ出た。

 チリッと頬に痛みを覚えたが、リンはそれを無視して前へ出ることを止めない。『呪い』の攻撃があたる度に痣が増えていくことにも、既に気付いている。

 激痛で鈍りそうな足を叱咤し、叫ぶ。

「それでも、譲れないっ!」

 気迫と共にリンが振り下ろした刃が斬撃を生み、『呪い』に真正面からぶつかった。

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