第527話 礼をしよう
冷たい眼光が、晶穂を射抜く。彼女が怯えを心の奥に押し込めて睨み返すと、イザードは冷え冷えとした笑みを浮かべた。
「なるほどね。やはり、きみを殺すのが最善策のようだ」
「……」
「アリーヤ」
「はい、イザード様」
アリーヤの手から転げ落ちた小さな傀儡が、一気に人間大まで大きく膨らむ。それは行方を遮ろうと放たれたジェイスの矢を躱し、イザードのもとへと馳せ参じた。
イザードはそれの背に触れ、何かを呟く。すると傀儡の体がビクンとうねり、その手が肥大化した。
「傀儡の手に毒を仕込んだ。竜でさえ殺せる猛毒だ。……これに触れずに、傀儡を倒すことが出来るかな?」
「必ず、護ってみせる」
「頼もしいね!」
晶穂の宣言を笑い受け止め、イザードが指を鳴らした。その音を合図に、傀儡は一直線に晶穂へと迫る。
――ぐあああぁぁぁっ
最早、人間の声ではない。傀儡は何とも形容し難い唸り声を上げ、その倍以上に肥大化した手を握り締めてパンチを繰り出す。
「――っ!」
結界を強化し、晶穂はその拳を受け止めた。バンッという衝撃音が鼓膜を揺らし、思わず目を瞑る。
そろそろと目を開け顔を上げれば、歯を食い縛りこちらを睨み付けつつ結界を殴る傀儡と目が合った。晶穂は気迫で負けないように、と目に力を入れる。腕の中では、リンが呼吸するのも苦しそうにあえいでいた。彼を守りたい、その一心で晶穂は力を行使する。
「晶穂!」
結界の外から、晶穂を呼ぶ声がした。そちらを見れば、ジェイスがこちらへ向かって走りながら弓を引いている。
「ジェイスさん、危ない!」
「そのまま振り返らないで下さい!」
ジェイスの後ろには何体もの傀儡が迫っていたが、それらをユキと唯文の連携プレーが確実に倒す。更にユキが数え切れない小さな氷の塊を放つと、命中した傀儡が氷漬けになる。それを逃れた者たちがジェイスを襲おうとするが、唯文の刀の餌食と化す。
「このっ」
アリーヤが眉間にしわを寄せ、新たな傀儡を放とうと目を輝かせる。
「させない!」
「なっ……ぐあっ」
しかし、アリーヤの新たな傀儡が戦闘に立つことはなかった。彼女の背中に突進し、押し倒した者がいた。彼の姿を目にして、ユキと唯文が目を輝かせる。
「「克臣さん!!」」
「詳しい話は後だ。今は、これを片付けるぞ!」
「行くよ!」
「ぼくも!」
「ユーギ、春直……」
結界に包まれ傀儡の猛攻に耐える晶穂は、合流した仲間たちの姿にほっと胸を撫で下ろす。しかし、危機が去ったわけではない。ジェイスの手を
それがわかったのか、結界外のジェイスの口角が上がる。
「晶穂、わたしもちょっと頑張るから耐えていて」
「はい!」
「いい子だ」
フッと表情を緩ませると、ジェイスは目を閉じる。心の奥底に湧き出す魔力に働きかけ、力を浮上させていく。
それはコンマ数秒の間の出来事。隙だと思った傀儡の反応は、ジェイスにとっては餌に群がる鳩同然だった。
「――はっ!」
――ガァァッ
掴みかかろうとした傀儡の手を躱し、ジェイスは己の手のひらを傀儡の胸に向けて気合を放つ。たったそれだけの仕草で、傀儡が十数メートル吹っ飛んだ。
衝撃を受けて震えた結界の中で一部始終を目撃した晶穂は、思わず呟く。
「凄い……」
「うちの
黒い笑みを浮かべたジェイスは、その表情を消していつもの笑顔でリンと晶穂を振り返る。
「二人共、それ以上毒に侵されてないね?」
「はい」
「ジェ、イスさ……」
「リン、喋らなくて良いし、謝るなよ?」
「……」
ジェイスに先回りされ、リンは青い顔をしながらも小さく頷いてみせた。
リンにしてみれば、イザードの毒をその身に受けて苦しんでいるのは自分の選択だ。ユキから飛び出して魔力の主人のもとへ戻らず別の宿主を探す素振りを見せた毒に、リンは自分のもとへ来いとけしかけた。そうしなければ、晶穂たちに害が及ぶ。
(俺は、馬鹿かもしれないな。護りたいと願う人たちに護られて、大事な時に動けない)
空気を吸い込むのも吐くのも苦しく、リンは陸で溺れる感覚に陥っていた。それでも何とか正気を保ち気絶しないでいられるのは、一重に彼の責任感と居る場所だろう。
自分の体を支える力もないリンは、晶穂に体を預けている状態だ。彼女がリンの上半身を右腕で抱き締め、左手を前に伸ばして結界を保持している。
大切な人である晶穂の腕の中というのは何より安心するが、同時にとてつもなく恥ずかしくもあるのだ。とはいえ、その感覚は普段の状況ならばという制約が付く。今のリンには、そこまで判断出来る余裕はない。ほぼ無意識に、八割方責任感で落ちそうになる瞼を支えていた。
どうにか腕を上げようと身をよじるリンに、晶穂は微笑みかける。
「リン、絶対助けるからね!」
「晶穂、すまな……」
「わたしが助けたいんだから、気にしないで。リンも、魔女に捕まったわたしを助けてくれたでしょ。だから、貸し借りとかないよ。……大事な人を助けたいだけだもん」
「……とう」
礼の言葉すら、上手く声ならない。
歯がゆい思いを持つリンに、晶穂は「わかってるよ」と言う代わりに彼の血色のない手に自分の手を重ねた。まだ痣が浮き出ていないそちらの指でリンを支え直すと、右手の甲に浮き上がった模様を見詰める。
(神子の力で、ある程度は跳ね返せると思う。だけど、それだけじゃ駄目。何とかして、リンからも毒を完全に抜かなくちゃ)
そのための方策を知るのは、おそらくイザードのみ。晶穂は未だ結界の前で警戒してくれているジェイスを見上げ、彼の名を呼んだ。
「ジェイスさん」
「わたしも、おそらく晶穂と同じことを考えてる。克臣たちがアリーヤを押さえている間に、わたしたちがイザードを制そう。必ず、呪いはかけた者に戻さなくては」
「はい」
真剣な表情で頷く晶穂に、ジェイスは同意を示して背を向けた。
(アリーヤは、克臣たちに任せよう。わたしは、ユキと唯文と共にイザードを)
幸い、傀儡はアリーヤが克臣に押さえつけられたことで指示系統を失った。右往左往する傀儡たちを制するのは、ユーギと春直には何てことはない。それよりも厄介な敵を、とジェイスは何度目かになる弓矢を引き絞った。
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