第524話 変わってしまった景色

「リン、わたしが先に行く。何かあれば言うから、後から来て」

「わかりました」

 通路は狭く、人が二人横に並ぶことは難しい。ジェイスを先頭に、リンたちは一列に進んで行く。

 緊張感から少しずつ言葉数は減り、感覚が研ぎ澄まされる。その時、ジェイスの耳に何かを踏み締める音が聞こえた。

(乾いた音だ。カサリ。まるで、枯れ葉を踏むような。……いや、まさかな)

 背中を嫌な汗が伝う。それでもジェイスは、淀みなく足を前へと動かした。

 一方、後ろを歩くユキたちも異変を感じ取っていた。ユキが鼻を動かし、首を傾げて前を行く唯文の袖を引く

「……ねぇ、何か変なにおいしない?」

「お前も気付いてたか。ということは、気の所為じゃないんだな」

「兄さん」

 険しい顔をしたユキが、前を行くリンを呼ぶ。

「ああ、俺も感じてる。……全員、気を抜くなよ」

 通路の先から感じるのは、圧倒的な敵意と殺意。ここまで来れば、敵も銀の華の存在を知っていると考えて差し支えない。リンたちは外に出た瞬間に襲われることを覚悟して、一斉に駆け出した。

「――気矢きや展開。射貫け!」

 ジェイスが呟くと、彼の前に気の魔力で創られた矢が十数本浮かぶ。それらが発射され、先手必勝とばかりに洞窟の外へと飛び出した。

 ――ドスッドスッドスッ

 何かに突き刺さった音がしたが、ジェイスは一切気を抜かずに穴から飛び出す。そして、目の前の光景に目を疑った。

「これはっ……」

「ジェイスさん? 一体どうし……」

 ジェイスを追ったリンが洞窟から抜け出し、そしてジェイスが見たものに気付いて言葉を失う。それは後から来た仲間たちも同じで、晶穂は手で口元を覆った。

「何で……どうして、!?」

「晶穂っ」

「ごめん……ありがと」

 ぐらり、と視界が揺れた気がした。気の所為ではなく晶穂がショックのあまりよろけると、リンがそっと彼女の体を支える。

 晶穂はリンに寄りかかりつつも、なんとか自分の足で立とうと踏ん張った。そして、潤みそうになる目をこすり、奥歯を食い縛る。

「どうして、こんな……」

 彼らの前に広がっていたのは、かつて見たあの美しい銀色の花畑ではない。あるのは、ただ茶色く枯れた植物のなれの果てのみ。変わり果てた光景に、誰も二の句が継げなかった。

 洞窟の中から聞こえていた乾いた音の正体は、あの枯野を歩く誰かのたてた音だったのだろう。

「いらっしゃい、銀の華を掲げる者たち」

「お前はッ」

 おもむろに聞こえた声に、リンが激しく反応する。その激しさに、声の主はクスクスと品良く笑った。

「全く、本当にきみたちは面白い。面白い程、私の思う通りに動いてくれる」

「何を、言ってるの……?」

 怯えた声で呟いたのは、唯文の服の端を握ったユキ。彼の手を握ってやり、唯文は年下の友人を護るようにイザードに背を向けた。そして、鋭い眼光で睨み付ける。

「答えろ。何故花が全て枯れて……あんな木が立っている?」

「躾のなっていない犬少年だね。でも、答えてあげようか」

 クスクスと笑い続けているイザードは、何処か愛しささえ籠めた視線をどす黒い木へと向けた。大樹と言って差し支えないその木は、黒々としたオーラに似たものを噴き出しながら風もないのにざわめいている。

 イザードは男にしては細く長い指を黒い木に向け、恍惚とした表情で唇を開く。

「あれは、我が願いを叶えるために育った巨木。人々の恨み嫉みを喰らい、大きく育っているんだ。ヒュートラの魔種たち、そしてアラストの魔種たちが噴き出させた呪いの言葉の数々、思いの数々が栄養分だ」

「……呪い。それは、お前が無理矢理植え付けたものだろう。人々は好き好んでその感情を表に出すとは思えない」

「だからこそ、私が出してあげたんだよ。鬱屈した思いを持っていれば、ストレスがたまり続ければ、人はいつか壊れてしまう。――かつて、私自身が己の存在価値に疑問を抱き、押し潰されそうになった時のように」

 ジェイスの言葉に応じ、イザードは舞踊を舞うように歩いて行く。彼の足が向く先には、その大きな黒い木がある。

 そっと木の幹に触れ、イザードは歌うように言葉を紡いだ。

「この木は育つ。何処までも大きくね。いつか、この花畑だった場所を喰い尽くしてしまうかも知れない。ふふ。そのためにも、きみたちには――いや、きみには絶望してもらわないといけないんだよ。氷山リンくん」

「は? 何を言って……ぐっ」

 イザードの言葉に噛み付こうとしたリンだったが、突然の激痛を感じて右腕を掴んでうずくまる。悲鳴を上げることも出来ず、ただ耐えるしかない。

 自分を支えてくれていたリンがしゃがみ込み、晶穂は己の感情を投げ出して彼の前に膝をつく。そして顔を蒼白にして、リンの肩に触れた。

「リン!?」

「痛むのか、リン」

「兄さん!」

「気を確かに持って、団長!」

 晶穂に続き、ジェイスとユキ、唯文はリンの名を呼ぶ。

「――っ。はっ、はっ」

 仲間たちに「大丈夫だ」と言いたい。しかしリンの口から漏れるのは、短い呼吸音だけ。冷汗が噴き出し、リンは晶穂にすがるように体を預けた。

「すまな……あき、ほ。少、し……てくれ」

「うん、うん。ここにいるよ、リン!」

「……ごめん。リン、少し袖をめくるよ」

「ジェイスさん?」

「やめ……」

 首を傾げた春直に応じず、ジェイスは黙って右腕を掴んでいるリンの左手を離させた。嫌がる彼の抵抗を無視して、長袖を引き上げる。そこにあったものに、ジェイスの言葉が詰まった。

「これ、は……」

「見付かってしまったか、仕方がないね」

 肩を竦め、イザードは微笑む。

 その無邪気としか言いようがない表情に苛立ち、ジェイスが珍しく声を荒げる。彼がリンの右腕に見たのは、唐草模様に似た黒い幾何学模様。それが二の腕だけではなく、手首近くまで広がっている。

「これは、これは何だ! 知っているんだろう、イザード。答えろ!」

「――呪いだよ。毒とも言えるかな」

 愛しげに木の幹を撫で、イザードは言った。

「私の目的の達成をより確実なものにするために、打てる手は全て打つ。一つ大きなくさびはあるが、その効果をより強くしたかった」

「何故、リンに?」

「何故? 当然だろう。だって……」

 イザードの手が、木ではない場所に伸びる。そこに立っていたのは、黒髪をなびかせた一人の女。彼女の姿を見て、青いリンの顔が更に白さを増した。

「嘘、だろ……」

「……いや、まさか」

「え? ……?」

 リンだけではない。ジェイス、ユキまでもが凍り付く。三人の反応に、晶穂と唯文は戸惑うしかなかった。

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