第518話 ジスターの苦悩
鬱蒼とした森の中に、水飛沫が噴き上がり、それが一気に凍っていく。さながら氷像のようなものが乱立し、その間を犬耳の少年と白銀の髪をなびかせた青年が駆けて行く。
「はっ」
「やあっ」
ジェイスの気の矢が水の獣の動きを止め、唯文の和刀が止めを刺す。その間に、ジスターの水の魔力をユキが凍らせてしまう。
テンポの良いコンボに追い詰められていくジスターは、小さく舌打ちをした。そして後ろに下がりながらも新たな魔獣を召喚する。獅子を始め、狼や鷲の姿に変えた水の塊を走らせるが、数分以内には全てが倒されてしまう。
「……っ」
見れば、リンやユーギたちの相手をさせていた魔獣たちも軒並み水へと戻っている。ジスターは追加の魔獣を召喚するが、その顔には汗がにじんでいた。
その様子を遠目に見て、ジェイスはあることに気付いてその場にいた鷹を唯文に任せた。
「唯文、こいつは頼んだ」
「わかりました」
快諾した唯文が勢い良く鷹を両断する音を背中で聞きながら、ジェイスは軽いステップでジスターの目の前に着地する。
ジスターは思いがけない出来事に目を見開くが、それ以上驚愕は表に出さない。すぐに不機嫌そうな表情になり、何だと問う。
「オレに、何か用か?」
「きみ……本当の力はこんなもんじゃないだろう?」
「は? 何を言って」
「きみは、本気を一切出していないと言っているんだ。これだけ精巧な魔獣を操れるのに、相応に備わっているはずの魔力量が随分と足りないように思える。きみはわざと、もしくは意図して力を抑えているんじゃないか?」
「――!?」
ドンッとジスターがジェイスを突き飛ばす。
それを見越していたジェイスは左足を後ろに伸ばして踏ん張り、その場に留まった。更にその後ろの足を前に進む一歩とし、警戒心をあらわにするジスターに近付く。
「ジェイスさん!?」
「大丈夫だよ、リン。彼に、訊きたいことがあるだけだから」
「……なら、俺たちはそれが終わるまで周囲を警戒しておきます」
「うん、ありがとう」
リンを始めとした仲間たちが手を出さないことに礼を言い、ジェイスは再びジスターと目を合わせる。しかしジスターは、気まずいのかすぐに目を逸らしてしまう。
ジェイスはジスターの仕草を無視し、彼の顔を覗き込む。
「私の推測はこうだ。……きみは、イザードを敬ってはいる。ただ、心の何処かで疑ってもいるんじゃないか? 本当にきみがやりたいことは、イザードに従って出来ることなのか?」
「――っ。貴様なんかに、何がわかる!?」
「わかる、と言うのは言い過ぎだろうね。全てを理解は出来ない。だけど、違和感があったから、それを確かめたかった」
「いわ、かん?」
「例えば、魔獣」
ジェイスはジスターが改めて召喚した魔獣たちを指差し、くすりと微笑む。
「これだけの数の魔獣を創り出すには、相応の大きな魔力が必要だ。消費する量も半端ではないはずだが、きみはあまり疲れた様子が無い。その汗も、別の要因によるものだろう?」
「……」
黙ったまま立ち竦むジスターに、ジェイスはもう一つの推測をぶつけた。
「そして、もう一つ。唯文が……きみと戦った犬人の子がね、言ったんだよ。君の一言に、『弟でしかないオレに、理解出来るはずもないだろう』という一言に違和感があったと。本当にきみがしたいことは、私たちと戦うことではないんじゃないか?」
これは、一種の賭けだった。圧倒的力業で捻じ伏せ、イザードたちの目的を吐かせることも出来た。それをしなかったのは、あくまでも戦わなければならない敵と以外は刃を交えるべきではない、というジェイスの持論によるところが大きい。
「きみは、ジスターは、兄であるイザードへの疑問を無くすことが出来ず、苦しんでいる。私はそう考えたんだけど、どうかな?」
「何で……」
ジスターは拳を握り締め、俯く。その口から漏れるのは、わななくような悲痛な言葉だ。
「何で、何も知らないお前がオレの心を抉る? オレの、欲しい言葉をくれるんだ!? 敵なんだから……お前たちを害そうとしているんだから、黙って殺せば良いだろう! なのに……」
「……俺たちの信条は、人を殺さないことにある。それを破ってしまったら、もう大切な人に手を伸ばせないと思うから」
「たいせつな、ひとに……?」
「そうだ」
独白に近いジスターの問いに応じたのは、いつの間にかジェイスの横に立っていたリンだ。彼はしゃがみ込んでしまったジスターの前に膝を折り、言葉を続ける。
「何かを成し遂げようとする者は、強い。その目的が何であれ、掲げている限りは真っ直ぐにそれへ向かって走り続ける。……だが、もしも伴走者がいるのなら、その人のことを気にかけなければいけない。いつの間にか、独りになっていることもあるから」
「……お前は、そういう経験があるのか?」
「幸い、まだない。いつも、突っ走る前に止めてくれる人たちがいるから」
リンの言葉に、ジェイスや克臣たちが微笑む。お互いに思い合い、いさめ合うからこそ足を踏み外さずにいられることを、誰もが理解していた。
「……」
ジスターは俯いたまま、じっと何かを考え込んでいたが、不意に大きく息を吐き出す。それは長い溜息で、それが終わった時、彼はようやく顔を上げた。その顔は、何かを吹っ切ったような、諦めにも似た笑みだ。
「……兄貴は、自分の持って生まれた力が異端だと知った。オレの水の魔力のようなものではなくて、一般的に忌避の対象となり得る力。子どもの時、兄貴はそれを知ってから、いつか叶えたい夢のことを何度もオレに語ってくれた」
「夢?」
「そう、夢。……いつか、自分のような望まれない力を持って生まれた者たちが幸せに暮らせる世界を創るんだと。そのために必要なものを集め続けて、今がある」
「自分たちの生きやすい世界の創造、か」
ふむ、と考え込んだリンに代わり、ジェイスはジスターに尋ねた。
「きみは、その世界を創る方法を知っているのか?」
「詳しくは、知らない。ただ兄貴は、お前たち銀の華の絶望が鍵を握っている、と言っていた。どうしてそこまでお前たちにこだわるのか、知らされていない」
「私たちの絶望、ね……」
本当に知らないらしいジスターをこれ以上責めても仕方がない、とジェイスは視線を周囲へと向ける。克臣たちはこちらの話を聞いているのだろうが、口を挟んでは来ない。ただ周囲への警戒を怠らず、いつでも出発出来る心構えはしているように見えた。
一方リンは、ジスターの話とこれまで得てきた情報を組合せていた。しかし、明確な答えは出て来ない。
(銀の華の絶望、か。それが何の鍵なのかは不明だけど、この洞窟を戦いの舞台とする必要が何処かあるんだろうな)
その何かがわからない状態では、幾ら考えても意味はないだろう。リンはそう結論付け、先へ進むと決めた。ジスターがここにいるのならば、イザードがいることは疑いようもない。直接訊き出すべきだ、と。
「ジスター、ここを通してもらいたい。お前の兄の願いは、ソディールの人々を悲しませる。……勿論、虐げられる人々がいない世界は素晴らしい理想だが、それを実現する手段は、きっと人を操って誰かを傷付けることでは得られない」
「……本当は、薄々わかってはいた。兄貴の考えを理解出来ない自分が、弟なのにと思う自分が、情けなくて苛ついた。だけど、きっと目指すものが違うんだと」
肩を竦め、ジスターは高く挙げた指を鳴らした。パチンッという音が周囲に潜ませていた魔獣を全てただの水に変え、自然へと戻す。それだけで、周囲に広がっていた魔力の圧迫感が薄れていく。
「行けよ、銀の華。そしてオレの兄貴を……止めてくれ。兄貴はたぶん、この世界を変えてしまおうとしているんだ。根底から。そんな気がする」
「わかった」
「必ず、きみのお兄さんを止めよう」
リンとジェイスはジスターと約束し、彼に背を向ける。仲間たちも集まって来て、見える範囲にある目的地の光の洞窟へと足を向けた。
「あの、リン」
その時、晶穂がリンに何かを小声で言う。それを受け、リンは小さく微笑んで頷いた。
ジスターは二人が自分を見ていることに気付き、内心首を捻る。
(何をしている? さっさと行……)
「ジスター」
「なん、だ?」
戻って来たリンに驚き、ジスターは数歩下がってしまう。
リンはそれに気付かないふりをして、言葉を続けた。
「もし、気持ちが向いたらで良い。俺たちが必ずお前の兄貴を止める。その後、考えてくれたら良いんだが」
「はっきり言え」
「……ジスター、銀の華を訪ねて来い。お前が、一般人を誰一人傷付けていないことは知っている。お前が望んでくれるなら、一緒に自警団をやらないか?」
「……は? 何を言って……」
「考えておいてくれ」
それだけ言い置くと、リンはジスターに背を向けて駆け出した。
あまりの発言の衝撃からジスターが立ち直った時、既にそこには誰もいない。ジスターは眉間にしわを寄せ、その場に崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。
「あいつら、何を考えてるんだ……? くっ、バカだろ」
困惑に陥りながらも、その声は少しだけ弾んでいる。本人さえ気付かない、ほんのわずかな変化だった。
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