第517話 水の獅子

 森を更に進むと、徐々に視界が開けていく。遠くを眺めれば、白い洞窟の壁がわずかに葉の隙間から覗いた。

 目的地が近付き、晶穂は少しだけほっとしていた。氷華を胸に抱き締め、小さく唇を動かす。

「あと、もう少し」

「ああ。だけど、こういう時こそ油断大敵だ」

 リンは応じると同時に、何かに気付いて剣の切っ先を前方に向ける。すると正面の草むらから大柄な獅子が飛び出してきて、彼らに向かって毛を逆立てて威嚇した。

 突然現れた獅子に対し、ジェイスと克臣が前に出て牽制する。二人に対しても姿勢を変えない獅子の後ろから、一人の男が現れた。

 男はもう一頭の獅子を侍らせ、その首を撫でながら呟く。

「――やはり、ここまでは楽勝か」

「誰だ!?」

 誰何の声を上げたリンを眺め、男は気だるそうに応じた。彼の目は、リンの後ろに固まっている子どもたちに向けられている。

「そっちの小さい奴らなら、オレのことを知ってるだろ。それから、そこのお前も」

 お前呼ばわりされたのは、大剣を手にした克臣だった。不服そうに眉を寄せ、彼はトントンとこめかみを指で叩く。

「知ってる、というか公演で猛獣使いやってた奴だろ。名前は確か……」

「……ジスター・ベシア」

 ジスターは、名乗ると同時に傍らの獅子を走らせた。主の命令を受け、獅子は前足で地面を掴んで跳び上がる。

「躱せぇ!」

 克臣の声に全員が反応し、跳び退く。獅子は太い爪で斬り割くものがなくなり、ふわりと着地した。

 しかしそれで終わるはずもなく、軽い助走をつけて近くにいたユーギに飛び掛かる。

「ユーギ!」

「大丈……夫っ」

 ユーギは一歩退くと、その勢いを利用して跳び上がると同時に蹴りを放つ。その飛び蹴りは獅子の顔面を襲うが、結果は思いもしないものだった。

「――は!?」

 なんと、ユーギの体を避けるように獅子の顔が割れ、水に戻って蹴りを躱したのだ。ユーギが着地して振り向くと、そこには顔を元の獅子のものに戻した獣が立っている。

 チッと舌打ちし、ユーギはトントンと爪先で地面を打つ。

「変幻自在なの? どうしろってんだよ」

「諦めないでよ、ユーギ!」

「春直!?」

 ユーギの肩を叩き、春直が前に出る。両手の爪を伸ばし、封血術をまとわせ、爪を赤く染めていく。

 封血術は、春直だけが持つ特殊な力だ。元々は悲しい理由によって身に付けさせられた力だったが、彼はそれを自分のものとして扱えるまでに成長を遂げていた。

「斬り割いてやる!」

 封血術を帯びた爪が赤く輝き、数倍の大きさになって獅子を斬る。巨大な赤い爪に襲われ、水の獅子は逃げる隙を取り逃した。

 ザンッという音と共に獅子は幾つもの輪切りにされる。それらはもう一度獅子の形に戻ろうとしたが、うまくいかずに地面に落ちてしまった。

 ふっと息を吐く春直の姿に、ユーギが思わずといった体で手を叩く。

「おお……」

「封血術はただの物理攻撃じゃない。古来種の魔力を使った力だからな。うまくいったな、春直」

「よかったです」

 いつでも助勢に入れるように待機していた克臣に褒められ、春直は照れ笑いを浮かべた。しかしすぐに、キリッとした戦闘態勢へと戻る。

「ぼくらも加勢しよう!」

「うんっ」

 水の獅子との戦いは、一頭で終わったわけではない。ユーギと春直が刃を交えている間に、リンと晶穂がもう一頭と、そしてジェイスと唯文、ユキがジスターとの戦闘を開始していた。

「晶穂、躱せ!」

「うんっ。こっちだよ」

 リンと晶穂が対峙するのは、もう一頭の水の獅子だ。

 単純な突進を繰り返す獅子に対し、晶穂は躱すことに徹し、リンが攻撃しやすいよう隙を作る。ぶつかるギリギリまでその場に留まり、紙一重で身を退く。そうすることで、獅子はリンの剣を全身に受けていた。

「――グルルッ」

「ちっ」

 晶穂を追いかけるのに飽きたのか、獅子はくるりと後ろを向くと、リンへと照準を合わせた。大きく鋭い牙を振りかざし、飛び掛かる。

「リン!」

「晶穂、後ろからやれ!」

「はいっ」

 リンが剣の刃を獅子の口に噛ませて動きを封じると、晶穂は氷華を引いて右の手のひらを突き出す。そこに神子の魔力を集め、解き放った。

「いっけぇ!」

 魔力が白い花吹雪となり、獅子を包み込む。大量の花びらに視界を奪われ、獅子は慌てて視界を確保しようと右往左往する。その時には既に、リンの剣から口を離していた。

 リンはそれを見逃さず、構え直した剣の切っ先を獅子へと向ける。そして、気合の声と共に斬撃を繰り出す。

「おおぉっ!」

 魔力を帯びた斬撃は、目にも止まらぬ速さで森の木々を真っ二つに斬り倒していく。そして威力もスピードも一切落とさず、水の獅子を上下に別けた。断末魔の叫びすら許されず、獅子は水に戻って消えていく。

 再生しないことを確かめ、リンはほっと息をついた。

「……よし」

「やった」

「後は」

 リンがくるりと振り返れば、そこにはジスターと激しい戦闘を繰り広げる三人の姿があった。

 そして、水の魔獣は二頭だけに留まらない。新たな魔獣が十頭ほど顕現し、リンたち五人はもう一度駆け出した。

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