第513話 温かなおかゆ
目指すべき場所が明確になったことで、リンはすぐに動こうとした。しかし、それを仲間たちに止められる。
「待ちなさい、リン」
「そうだよ、兄さん」
「止めないで下さい。俺はもう大丈夫です。そんなことよりも、早くイザードたちを追わないと……」
ベッドから立ち上がったリンだが、足に力が入らずによろける。その体を支えた克臣が、苦笑交じりにリンの背をたたいた。
「落ち着け、リン。確かにジェイスは奴らを追わないといけないとは言った。だが、そんな体で追って、奴らの野望を砕けると思うのか?」
「うっ……」
「奴らは言ったよな。目的を達成するための鍵が、俺たち銀の華の絶望だと。だったら、体力を回復させるくらいの時間はある。俺たちが希望を失わない限りは」
「克臣さん……」
そう、ですね。浅く頷くリンをベッドに腰掛けさせ、克臣はその場にいた全員の顔を見渡した。
「奴らがヒュートラを発って、まだ一日過ぎてはいない。明日、この宿を発つ。……それで良いよな、ジェイス?」
「私が判断して良いのか?」
「お前が適任だろ」
当然だと微笑む克臣に呆れつつも、ジェイスは頷いて見せた。そして、リンの頭を撫でながら言う。
「リンも、魔力は回復したようだ。次は魔力だけじゃなく、体を休ませろ。魔力を回復させることに体力も使っているはずだからね」
「わかり、ました」
「うん、良い子だ」
義兄の顔をして、ジェイスは微笑む。そして、克臣たちを連れてリンと晶穂にあてがった部屋を出る。
「じゃあ、私たちは行くよ。リン、また後で様子を見に来るから」
「わかりました」
「あ、わ、わたしも、何か食べるものを持って来るね。お腹空いたでしょ?」
「あ……ああ」
未だ顔の赤い晶穂がいそいそと立ち上がり、彼らを追って出て行く。
扉が閉まった後、リンはふと自分の唇に指で触れた。レオラと出会った夢から覚める直前、何かがそこに触れた気がしたのだ。しかし、それが何かはわからないまま。
「……まさか、な」
そうあって欲しい、という願望がリンの心に浮き上がる。大きく心臓が拍動し、痛みすら覚えた。しかしリンは首を横に振ってそれを打ち消し、大人しく布団を被ることにした。
その頃、晶穂は宿の厨房を借りていた。コンロに鍋を置き、冷えたご飯を投入する。卵を溶き、水を鍋に入れて出しを入れ、火にかけた。しばらくして溶き卵を入れ、混ぜる。
じっと鍋を菜箸でかき混ぜながら、晶穂はぼんやりとしていた。彼女の頭の中の大半を占めていたのは、リンの腕の中にいた時の温かさ。更にリンが目覚めたことへの安堵、そして、自分がやったことへの恥ずかしさ。
(わたし、何であんなこと!? うぅっ……思い出すだけで顔が熱い)
手のひらを頬にあて、熱くなった顔を冷まそうとするが、うまくいかない。
そうして悩みながらおかゆを作っていると、背後に近付く影がある。晶穂が気付くよりも早く、聞き慣れた声が「どーん!」と言って抱き付いて来た。
「きゃっ」
「晶穂さん、何作ってるの?」
「ゆ、ユーギ……びっくりした……」
胸を押さえ、先程までとは違う意味でどきどきする晶穂に、ユーギは目を丸くしてから「ごめんね」と謝った。しゅんっと狼の耳が垂れ、晶穂が慌てる。
「そ、そんなに落ち込まないで! わたしが考え事してたんだし」
「考え事? それってな……」
「ユーギ、晶穂さん困らせたらダメだよ?」
ひょっこりと厨房に現れたのは、猫耳をひくひくと動かす春直だ。彼はユーギを見付けると、軽く眉間にしわを寄せた。
春直の咎めるような視線に、ユーギはバツが悪くなって後頭部を掻く。
「ごめん。春直、ぼくのこと探してた?」
「克臣さんが、晶穂さんの邪魔はするなって言ってたから。ユーギがこっちに向かったのが見えて、止めようと思ったんだけど。……ごめんなさい、晶穂さん。止められなくて」
しゅんとした春直に、晶穂は苦笑して応じた。コンロの火を消し、手をひらひらと振る。
「気にしないで、春直。丁度、コンロの火を消さないといけなかったから。ぼおっとしてたの、わたしの方だから」
「そうですか? 確かに、ちょっと顔が赤い……?」
じっと春直に見詰められ、晶穂はわずかに目を逸らす。先程のように理由を訊かれて、誤魔化せる自信が全くない。
しかし春直が口を開くよりも早く、今度はユーギが遮った。ぐいっと春直の腕を引っぱる。
「春直、困らせるなって言ったのお前だろう? ほら、行こう」
「あ、うん。晶穂さん、またあとで」
「ええ、またあとでね」
ユーギと春直を見送り、晶穂は胸を撫で下ろした。小さく息をつき、鍋から器におかゆを映す。木のスプーンとお盆も借り、それらを手にリンの待つ部屋へと移動した。
トントントン、とドアをノックする。中から返事が聞こえず、晶穂は静かにドアを開けた。
「リン……?」
「……」
「寝てる?」
晶穂はベッドの傍の椅子におかゆを乗せたお盆を置き、ベッドの端に腰を下ろす。リンの目の上にかかった前髪を指で払い、じっとリンの顔を見詰めた。
規則正しい寝息をたて、リンは目覚めそうにない。呼吸は浅くなく、これならば心配はなさそうだ。
(おかゆ、どうしよう。起こすのも気が引けるし、置いておこうかな)
この宿に着いた頃よりも、リンの顔色は良い。それに安堵しながらも、晶穂はそっとリンの額に触れた。確かに熱はなく、汗をかいてもいない。
「……リン、無理をしないで」
切なる願いを胸に、晶穂はそっと身を乗り出してリンに顔を近付ける。眠っている彼に触れるのは恥ずかしさがあるが、誰も見ていないからと目を閉じる。
――っ。
触れ合ったのは、瞬きにも満たない時間。まさに一瞬。それが晶穂の限界であり、精一杯の行為だった。
「……こ、これ以上は無理」
かあぁぁっと真っ赤に染まった顔に両手をあてて逃げ出したくなった晶穂だが、自分の役割を思い出してなんとか留まる。意を決してリンの手を取り、ぎゅっと握り締めた。手と手が重なった部分が、徐々に温かくなっていく。
神子の力で、リンの体力回復の手助けをするのだ。ただし、力を使うために晶穂にも休養が必要になる。
「リン、大好き、だよ……」
とろんとした目を閉じ、晶穂の上半身がぐらつく。力なく倒れ込んだ彼女の体を支えたのは、目を覚ましたリンだった。
「お前は本当に……勘弁してくれ」
倒れ込む前に晶穂を抱き留められたことにはほっとしたが、リンの体も沸騰しそうな程に熱を持っていた。なにせ、彼が目を開けようとした瞬間に晶穂がキスしてきたのだから。
目を開けることも動くことも出来ず、リンは破れそうな心臓を持て余していた。それと同時に、この宿で最初に目覚める前の唇の感触は間違いではなかったのだと思う。晶穂のその行為が目覚めるきっかけになったのだという確信があるだけに、尚更恥ずかしさが募る。
「俺だって……お前のことが」
それ以上声には出さず、リンは晶穂に掛け布団を一枚かけてやった。体を少しずらして晶穂が寝られるスペースを作り、そこに横たえる。
「……うまい」
机代わりの椅子の上からお盆を手に取り、リンはおかゆをぺろりと食べ終えた。空になった器をお盆の上に置き、離してしまっていた晶穂の手と自分のそれを絡ませる。温かく安らぐ晶穂の手に触れながら、リンは彼女の髪を梳いた。
「ありがとう、晶穂。それから、ごめん。……たぶん、もう一度辛い思いをさせる」
途端に、リンの繋いでいない方の右腕が鈍く痛んだ。それに無言で耐えると、リンは体をベッドに預ける。そして、睡魔に身を任せて眠りに落ちた。
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