呪われし花

第511話 懐かしい光

 ――何か、聞こえる?

 頭の中にもやがかかっているのか、リンの意識はぼんやりと頼りない。それでも何とか目を開ければ、そこは見たこともない景色の中だった。

「……何処だ、ここ」

 問えども、答える声はない。

 リンの体は不安定に空間に浮いており、周囲は白いものに覆われている。まるで雲海の中に身を置いているようだとリンは思った。

 体の動きはとんでもなく緩慢で、自分の意思通りには動けない。リンは自由のない感覚に苛立ちつつ、何故自分がここにいるのかを考えることにした。

 自分が誰かはわかる。しかし、ここに来る前に何をしていたのかを思い出すことが出来ないでいた。それが酷く悲しくて、辛い。

(思い出せ。思い出さないと、

 言い知れない危機感をいだき、リンは胸元のシャツを握り締めた。布越しに指が肌に食い込むが、何故か痛みも感じない。

(何で……感覚が無い? 俺はどうし……)

 頭が混乱を極める。その時、リンの頭の中に記憶の欠片が落ちてきた。

 冷え切った何かを抱き締め、温めようとした感覚だ。同じような温かさを自分の手に感じ、リンは自分が落ち着いていくのを感じた。

 見れば、両手を包むように何か輝くものがまとわりついている。それは全く不快なものではなく、それどころか泣きたくなる程の愛しさを感じた。

「これは、この温かな光は……?」

『ようやく気が付いたか、小僧』

「お前は、レオラ……?」

『久しいな、団長』

 突然リンの目の前に姿を見せたのは、ソディールを見守る創造主であるレオラだった。初めて出会った時と同じ、白髪の少年の姿をしている。神庭かみのにわ以来か、とリンは目を瞬かせる。

 対するレオラはすたすたと近付いて来ると、リンの顔を覗き込む。そして、人の悪い笑みを浮かべた。

『人前で泣くなど、珍しいこともあるものだな』

「これは、別にっ」

『そう照れずとも良いだろう』

 慌てて涙を拭うリンと、彼をからかうレオラ。

 その時、リンはようやく自分が自由に動くことが出来ていることに気付いた。

 手を握ったり開いたりを繰り返すリンを眺めていたレオラは、ふっと腰に手を当てて息を吐く。そしてぐるっと見回すと、目の前の青年に問いかけた。

『思い出したか、自分の忘れかけていた記憶を?』

「あ……ああ、思い出した。俺はユキに魔力を根こそぎ持って行かれて、気を失った。だけど、どうしてさっきまで思い出せなかったんだ?」

『思い出せなくて当然だ。何故なら、お前は死にかけていたんだからな。死後の世界に、本来現世の記憶は持ち込めない。……例外は存在するがな』

「死に、かけた……?」

 信じられない、という顔でリンはレオラの言葉を復唱する。しかし一時的に記憶を失っていたことは確かであり、もしもあのままであればと言うことを考えて顔を青くした。

「何で、死にかけるなんて」

『魔力を根こそぎ持って行かれたんだろう? お前とお前の弟では、魔力の所持量が違い過ぎる。弟が外部からの力に己の魔力を削って抵抗していたのだとしたら、お前の魔力が補われたことによって起こることくらい、想像がつくだろう』

「……わかっていたさ。ユキの魔力は俺を大きく上回る。弱ったあいつに魔力を渡すということは、俺自身を限界に追いやる愚行だということもな。だけど、それ以外に選択肢を思い付かなかった。後悔はない」

『お前ならそう言うだろうと思っていた。だが、甘音あまねが泣くのでな』

「甘音が?」

 甘音とは、神庭で姫神としてこの世界・ソディールの行く末を見守る少女の名だ。何百年もの長きにわたって年を取らず、少女の姿のままで祈り続けるという過酷な運命を背負う女の子。彼女の名を聞き、リンは首を傾げた。

「どうして、甘音が……」

 レオラはリンの疑問を軽く無視し、訥々とつとつと語る。

『本来、我らは下界に干渉するべきではない。それがどんなに思い入れのある者の末路であっても、死ぬ運命にあるのならば受け入れ、死後の世界への橋渡しをしてやるのが神の役割だ』

「……」

『しかし、甘音が言うのだ。お前はまだ死ぬ運命にない者だとな。だから、何としてでも愛する者たちのところへ帰る道のりを示して欲しいとせがまれた』

「甘音が」

『我らとしても、お前たちには返し切れない借りがある』

 不承不承といった体で、レオラはリンの後ろを真っ直ぐに指差した。リンがそちらを向けば、柔らかな白い光の満ちる道が続いているのが見える。

『あの先に、現世がある。してやれるのはここまでだ。後は……その手の光を頼りに進め』

「これ、か」

 リンが自分の手を見下ろすと、暖炉の火のようなオレンジ色の光が両手を包んでいる。同時に、今まで聞こえていなかった複数の姿なき声が耳に届き始めた。

 ――ン、リン! お願い、目を……て!

 ――きほ、落ち着いて。……だから。

 ――いさん! ……んじゃ、駄目だ。

 ――勝手に……すな、ユ……。

 ――く、こっちに!

 ――ィスさん、だ……は。

 ――っくそ、な……よ。はる……!

 幾つもの声が重なり、リンを導く。それが聞き慣れた大切な者たちの声だと気付いた時、リンの胸に何とも形容しがたい感情が溢れ出す。

「早く、戻らないと」

『……一つ、餞別をくれてやろう』

 走り出そうとした直後、リンを呼び止めたレオラ。急遽足を止めて振り返ったリンに、レオラは「大事なことだ」と告げた。

『ロイラ砂漠の先へ向かえ。その先に、お前たちが探す答えがある』

「砂漠の先? あそこには……」

「ほら、行け」

 リンが応じるよりも早く、レオラは彼の背を押した。その力は少年のそれではなく、リンは抵抗する暇も与えられずに光の中を落ちていく。

 光に包まれ再び気を失う直前、リンは自分の唇に何かが触れた気がした。温かくて、愛おしい何か。リンはそれを手放すまいと手を伸ばし、抱き締めた。

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