第509話 せめぎ合い

「兄さんッ!」

 ユキは我慢出来ず、ひらりと氷の檻から飛び降りた。既に巨大な氷柱による外側との区分けは済み、暴れていた魔種たちも全て捕らえてある。決着がついていないのは、リンと葉月だけだった。

 滑り降りるようにして着地すると、ユキは土煙の中でリンを探す。リンの斬撃によって倒れた氷柱が崩れ、割れた大地に足を取られないよう気を付ける。

 たまに咳き込みながら、ユキは注意深く周囲を見渡す。土煙を凍らせ落とすことも考えたが、リンを巻き込む可能性が捨てきれない以上は得策ではない。

「兄さん……」

 徐々に煙が晴れていくと、何者かの人影を見付けた。ユキはその正体を知ろうと目を細め、そして大きく見開く。

「兄さん!」

「よお、ユキ。大人しく待ってはいなかったか」

「勿論だろ? ――っ、肩の怪我!」

「すぐ治る。……くそっ」

 ぐらりとリンの体が傾ぎ、膝をつく。その背中を支えたユキは、遠くにもう一つの人影を見付けて左手に魔力を集中させた。

 急速に警戒を強めるユキに、リンは苦笑する。

「大丈夫、だ」

「だけど、あれは……」

「……もう、戦う力は残ってないだろうから」

 リンの言う通り、遠くの人影がゆらゆらと揺れた。そして、ゆっくりと倒れ伏す。

 驚くユキの手を借り、リンはゆっくりと立ち上がった。まだ肩の傷からは血が流れているが、その他はほとんど痛まない。

「ユキ、外の様子を見てくれるか? その間に、俺はこいつから話を訊きたい」

「わかった」

 頷いたユキが翼を広げ、氷柱で区切られた向こう側へと飛び立った。それを見送った後で真っ直ぐに倒れた人影を見詰め、リンは彼に言い放つ。

「葉月、手を引け」

「二人がかりで僕に対峙した奴が言うセリフ?」

「それでも、お前はもう戦う気はないだろう? 覇気がない」

「バレたか」

 くすり、と葉月が笑う。よく見えないが、地面に大の字に寝そべっているようだ。

「大抵の攻撃は跳ね返すんだけどな。……お前のは、何か違った。久し振りに負けを認めるよ」

「それはよかった。だけど、まだお前を逃すわけにはいかない」

「……僕らの目的だろう? いいよ、質問に答えてやる」

「助かる」

 リンは葉月と一定の距離を保ったまま、幾つかの質問をするつもりでいた。それに応じるという葉月に安堵するが、そこへユキの鋭い声が上がった。

「兄さん、外は操られた人ばっかりだ! その中に、晶穂さんの魔力の気配がする!」

「……は!?」

 思わず訊き返したリンが振り返ると、巨大な氷柱の上で外を指差すユキの姿が目に入る。ユキもリンを見下ろし、手をメガホンにして叫んだ。

「見えた! 唯文兄たちもいるよ。多分、あっちは決着がつい……」

「ユキ? どうした、ユキ!?」

 突然言葉に詰まったユキの異常に気付き、リンが声を荒げる。ユキは兄の叫びに応じず、頭を抱えてうずくまっている。返事をしないユキに、リンの気持ちは逸る。

「ユキ!」

「……その子ども、ゼシアナの歌を聴いた奴か?」

「そう、だが?」

 葉月は「痛た」と呻きながら胡坐をかくと、動かないユキを見上げた。それからちらりとリンを見ると、ふっと息を吐く。

「ゼシアナの歌声には、魅了の効果がある。更に支配人の魔力が加わることで、あれだけの人数を意のままに動かすことが可能になった。そして、お前の弟は桁違いの魔力を持つが故に、影響が出るのが遅かったんだろ」

「支配人……イザードのことか。そいつの魔力と、ユキの症状について聞かせろ」

「余裕ないな。さっきとは全く違うじゃねえか」

「うるせぇ」

 リンの鋭い眼光に肩を竦めると、葉月はやれやれと言いながら言葉を続ける。

「普通、魔種は影響を受ければお前たちが見たような状態になる。だがあの子どもの場合は……おそらく、体の中で拒否反応が起こるだろうな」

「拒否反応……」

「そう。あいつの魔力とイザード様の魔力がせめぎ合って……やがてどちらかが勝つか、決着がつかずに爆発する」

「ばく、はつ」

 思いもしなかった結末の可能性を提示され、リンは絶句する。そんなリンに対し、冷静な葉月は首を横に振って言葉を重ねた。

「これ以上は、僕にもわからない。何せ、ゼシアナと支配人の魔力に勝てる奴なんて今までいなかったからな」

「……」

「弟が勝つか、負けるか……引き分けるか。それはそいつ次第だ」

「ユキッ」

「にぃ、さん」

 苦しげなユキの声に、リンは何も言えなくなる。リンの頭の中では、どちらを取るかという選択肢が点滅していた。

(このまま葉月の話を聞けば、ユキに何かあった時に対処出来ない。だがユキの方へ行けば、葉月を逃がすことになる。みすみす、情報を得るチャンスを手放すのか?)

 眉間にしわを寄せ、リンは無言で苦悩する。しかしその悩む時間は数秒に満たない。

 リンは一つ息を吐くと、背中越しに葉月を振り返った。

「行け。俺はユキのもとへ行く」

「良いのか? 貴重な情報を得られなくなるぞ」

「情報は欲しいが、俺にとってはそれ以上にユキが大事だ。お前たちの真の目的やその手段に関しては、今後必ず手に入れる」

 それ以上口にせず、リンはトンッと地面を蹴った。漆黒の翼を広げ、ユキ目掛けて飛び立つ。

 リンの後ろ姿を見送り、葉月は苦笑した。

「じゃ、お言葉に甘えますかね」

 怪我の痛みを堪え、葉月はゆっくりと立ち上がった。彼はサーカス団の団員であるが故に、操られた魔種たちに襲われることはない。氷柱が乱立する中であえて残してあった人一人分の隙間を抜け、葉月は姿をくらませた。

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