第508話 氷の檻

 リンとユキの視線の先にいたのは、敵意に瞳を輝かせた狼人だ。グルルルルと呻き、いつでも飛び出せる体勢を整えている。

「お前は……」

「晶穂さんと克臣さんが会ったって言ってた!」

「葉月。お初にお目にかかる、かな? 銀の華の団長殿と弟くん」

「こっちのことは筒抜けかっ」

 眉間にしわを寄せたリンは、飛び掛かって来た葉月の蹴りを杖で受け止める。上からの重さが腕の骨に響き、顔をしかめた。

 杖の上に器用に乗り、葉月は体重をかけ続けている。

「兄さん!」

 ユキは氷の檻に鍵をかけるように強化すると、リンを解放するために葉月へ向けて小さな氷柱を複数撃ち出した。鋭く尖った氷柱に襲われ、葉月はひらりを身を躍らせる。

「おっと。あぶねぇ」

「……避けられたか」

「おいおい。可愛い顔が台無しだぜ!?」

「五月蠅い!」

 嗤ってユキを煽る葉月は、更なる氷柱の攻撃をものともせずに躱し続ける。更にリンの鋭い蹴りをも紙一重で避けると、魔種たちを封じた氷の檻の上に飛び乗った。

 葉月が檻の上に陣取ったことで、リンとユキは躊躇するしかない。万が一檻を壊してしまえば、応じなければならない敵が何十倍にも膨れ上がるのだから。

 手を出せずに見上げるユキを見下ろし、葉月は嘲笑する。

「くっ」

「どうした? 僕はここにいるんだけど?」

「わかっててやってるな、あいつ」

 顔をしかめ、リンは嘆息したいのを堪えた。こちらが動揺すれば、相手の思う壺だ。

「ユキ、乗るなよ?」

「わかってるよ、兄さん。でも、ああ言われると腹は立つよね」

「まあな」

 今にも飛び出して行きそうなユキを制し、リンは葉月を引きずり下ろす術を考えた。ただ物理的に引きずり下ろせば、彼は得意の蹴りで氷を割りかねない。ユキの魔力は強大だが、葉月の力量に耐え得るかはわからなかった。

「んだよ、手を出して来ないなら……追い詰めてやるよ」

 リンとユキが動けないのを良いことに、葉月は右足を高く振り上げた。氷の檻の要となっている頂上のつなぎ目を壊し、魔種たちを解放しようという魂胆だ。

 事態は一刻を争う。

「……そうか」

「兄さん?」

 ハラハラと事態を見守っていたユキは、リンの呟きを耳ざとく捉えて尋ねた。何か突破口を見付けたのか、と。

 するとリンは、体を屈めてユキに耳打ちした。それに対し、ユキは目を見開き頷く。たった十秒程で、二人はこの場での戦い方を決めた。

「何を話したか知らないが、ここを壊せばお前たちに勝ち目はないよ」

 葉月は足を上げた姿勢でバランスを保ち、そう挑発する。

 しかしリンとユキは動じず、動く気配を見せなかった。それが葉月を苛立たせ、仕掛けさせると踏んだから。

 案の定、葉月は「チッ」と盛大に舌打ちした。そして勢い良く「じゃあな!」と踵落としを氷の檻に見舞う。

 その瞬間、リンとユキの叫びが重なった。

「ユキ!」

「――咲けよ、氷花ひか!」

 ユキの短い詠唱により、葉月が蹴り壊した要から更なる氷の花びらが噴き出す。

 十数枚の花びらが舞い、葉月の視界を奪う。葉月が怯んだ時、更なる変化が起こった。檻の要から雪崩のように雪が流れ落ち、檻全体を覆う。鉄格子に代わる二重の氷柱に変化し、葉月の蹴りをなかったことにした。

「なっ!?」

 更に葉月を驚かせたのは、氷柱に気付いて躱すために跳び下りた直後だ。氷の檻に気を取られていたため、リンの接近に気付くのが遅れた。

「喰らえっ」

「ぐっ」

 葉月が反射的に突き出した腕を掴み、リンは彼を投げ飛ばす。柔道で言う所の背負い投げに近いが、かなり強引な技だ。

 投げられた葉月はしたたか背中を地面で打ち付けるが、飛び起きてリンの拳を受け止める。単なる力比べならば、葉月に負ける見込みはないはずだった。

「はっ」

「ちいっ」

 間近で睨み合うが、リンは硬直化を避けるために空いていた左の拳を葉月の鳩尾目掛けて繰り出した。それを躱すために腹を引っ込めた葉月の手から逃れ、リンは相手から距離を取る。

 ちらりと氷の檻を見上げれば、ユキが檻の上から遠くへ向かって太い氷柱を飛ばしていた。氷柱は地面に刺さり、リンたちがいるエリアを区画する。これ以上相手をしなければならない魔種を増やさないため、壁を構築しているのだ。

「余所見すんなよなぁ!?」

「悪いな!」

「兄さん!」

「続けろ、ユキ!」

 リンの余裕の態度と思い通りにいかない戦闘とに腹を立てた葉月が、彼に殴りかかる。激高した拳は唸りを上げ、襲い掛かった。

 ユキの悲鳴に対しリンは命令口調で返すと、葉月の拳をしゃがんで回避する。更にバランスを崩した葉月に体当たりを食らわせ、倒れた隙を突いて距離を取った。

 しかしそれだけでは葉月を戦闘不能に追い込むことが出来ず、狼人の重い跳び蹴りを躱し切れない。肩を葉月の足の爪が傷付け、血飛沫が舞う。

「――っ」

「兄さん!!」

「ユキ、こっちは気にするな!」

 弟を叱り飛ばし、リンは葉月から距離を取って傷付いた左肩を撫でてみた。手のひらには温かな血がべっとりと貼り付き、服も裂けている。痛みに顔を歪ませつつも、リンの思考は冷静だった。

(晶穂、みんな。外を頼む)

 混沌を増していると思われる氷柱の闘技場の外側へ思いをはせた時、リンに向かって葉月が吐き捨てた。

「……その冷静な顔、ムカつく」

「そりゃどうも」

 執拗に傷付いた左肩を葉月に狙われるが、リンはそこをかばわずどんどん前に出る。激しい痛みが肩を突き抜けるが、ここで庇えば動きが制限されてしまう。リンにとって、制限こそが致命傷だ。

 魔種の自己治癒力で傷口を塞ぎながら、リンは葉月の隙を探す。

 しかし葉月も戦闘狂だけあって、隙が無い。リンはユキが檻を含む構造物を造り終える前に決着をつけるため、葉月の鼻先ぎりぎりを狙って回し蹴りを繰り出した。

「おっと」

 案の定、葉月は体を逸らして回し蹴りを躱す。

 躱されることを前提としていたリンは勢いそのままに葉月から距離を取り、手に剣を掴んだ。そして、葉月に向かって切っ先を向ける。

「これで――終わりだ!」

「お前の負けだ!」

 二人の叫びがぶつかり、弾ける。

 リンは剣に魔力を籠め、斬撃と共に放つ。斬撃は地を割り、並び立つ氷柱を揺らした。

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